安野モヨコの名言 一覧

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安野モヨコのプロフィール

安野モヨコ、あんの・もよこ。日本の漫画家。東京出身。高校在学中、少女漫画雑誌『別冊少女フレンドDXジュリエット』でデビュー。『ハッピー・マニア』『働きマン』『さくらん』『花とみつばち』ほか数多くの作品をヒットさせた。『シュガシュガルーン』で講談社漫画賞(児童部門)受賞。『ハッピー・マニア』『ジェリー イン ザ メリィゴーラウンド』『働きマン』がテレビドラマ化、『さくらん』が映画化された。

漫画というものは、普通の読者からするなら、ほかにもたくさんあるいろいろな娯楽のうちのひとつですよね。そういう漫画とは割と薄くつきあうタイプの大多数の読者にも喜んでもらい、おもしろがってもらえる。それこそ、私がこれまで一貫して求めてきたものなんです。


『働きマン』の連載をはじめる頃には、それこそ、「何でも描いてほしいと言われる漫画家」にはなっていたのですが、そうなってみると「だから好きなものを」とはいきませんでした。いまの時代に『モーニング』という大人の男性が手に取る雑誌でおもしろがってもらえるものを、と割と理詰めで考えて描いたんです。


『ハッピー・マニア』連載当時、自分なりに工夫していたのは、たくさんの人に読んでもらうために、簡単な言葉を使う、設定を特殊にしない、ということでしたね。とにかく、ほんとに普通に生活をしていて、それほどは漫画にお金を使わないという人にも読まれるための工夫は、かなり大切にしてきました。


風景を描くことひとつにしても、誰かの写真や映像などで見かけたものではなく、自分で葉に触れ、匂いや手触りを感じて描かなければと考えています。誰かが描いた葉をトレースするなら、それは他人の表現の縮小再生産で、栄養の詰まっていないジャンクフードのような漫画になってしまう。そういう、一見表現に見えるけれど内容のないものにはエネルギーは宿らないんです。


「先生のお好きなように」が許されるのは、大御所、もしくは大人気漫画家だけなんですよ。それなら、こちらは編集さんから「描いてくれるなら何でもいい」と言われるようにならなければ、と考えるようになりました。


21歳の頃に連載がはじまったのですけど、それでよく同業者から「ファンです」と言われて喜んでいたら、編集さんには「同業者なんかに受けても仕方がないだろう」「同業者に受けるなんて、自分よりも売れるわけがない漫画だと思われているからだ」とクギを刺されもしました。


漫画家とは絵で読者にエネルギーを伝える職業ですから、きちんとしたものを食べて、体調を整えて、自分にエネルギーのある状態で作品は描きたいな、と私は考えています。


アシスタントをしてきた漫画家というのは少なからずついてきた先生の影響を受けてしまうものではないでしょうか。目に見えるところと見えないところと、どちらにも。私は岡崎京子先生のアシスタントをしていたのですが、デビューした頃から「岡崎先生のパクリ」と言われていたので、自分では注意しているつもりでも、もっと気をつけなくちゃと思ってきました。オリジナリティについて考えざるをえなかったからこそ「これまでなかったジャンルを」という漫画を描くことにもなって『働きマン』や『さくらん』にもつながったという側面もあるんです。


漫画家は自分の作品が読まれているところをじっと見ているわけにはいかないですよね。それに、じっと見たとしても、読者の心がどう反応しているのかはわからない。だから、作者というのはどうしても漫画を買ってくださる読者の人数によって「あ、喜んでくれたのかな」などと想像するしかないところがあります。


もちろん、悩んで悩んであれこれ考えたことを切り貼りしたような回もあるけれども、そういう苦しいときにも、何とか調子がいいときと同じぐらいのレベルにまで、何と言うのかな、「自分の気の済むレベル」にまでは持っていくというのが大事かな、と思っていました。


運動をしたり、リラックスした日々を過ごしてたりという時期には割と調子がよくて、はじめから完成したかたちで漫画が頭の中に浮かんできて、それをそのまま描けばいいだけなんて場合もありました。ただ、そういうときでも焦ったらペースが崩れてしまう。だから、あんまりペースを飛ばし過ぎず、きちんと頭の中にあるものを描き写し、すっきりと仕上げなければならない。


紙に向かえば、あとはこの時間の中でこれだけのことをやらなければならないのだから、と現実に即して描いていきます。すると、いまの自分はこのぐらいの実力なのだから、と、ある程度あきらめなければならない部分は出てきていました。でも、毎回、「次回こそはすごいものを描きたいな」と思ってた。そうやって、とにかく、いまできる範囲でベストをつくして一定のレベルをクリアするということの繰り返しで仕事をしてきました。


連載をたくさん抱えていた時期の私なりの仕事のコツというのは、あんまり考えすぎないことでした。私はそもそも自分の才能というものは信じていないので、じっくり考えはじめると悩むばかりでまったく進まなくなってしまいます。自分に疑問を抱いたり、何でこんなにくだらない話しか思いつけないんだなんてなりはじめたら、もう終わりなんですね。だから、流れに任せて、こうなって、ああなって、と描いていくわけです。その時期には、簡単なプロット(話の筋)を立てたらもういきなり本番の原稿用紙に向かっていました。途中で思いがちになる「でも、これっておかしくないか?」みたいな突っ込みを入れないまま描いていけば漫画はできあがったし、ぶつつけの緊張感のせいか、いつも決まったページ数にちょうどぴったり収まっていました。


売れているかどうかで態度が豹変する編集さんはたくさんいましたが、その人たちも個人としては普通の常識ある社会人でした。むしろ、「相手の立場によって態度を変えることはするまい」と、よほど自分を律している人でもなければ、無邪気な常識人ほど、当人は気づいていないまま残酷に変われるものなんじゃないのかな。


はじめは、私の漫画は売れませんでした。連載も打ち切られた。当時は「描きたいものをやらせてもらえないから人気が出ない」などと思ってたのですが、あとで冷静になって考え直せば、描きたいものを自由に描かせてもらえる漫画家なんていうのはほとんどいないんですよね。その時期に話を聞かせていただく機会のあった売れっ子の先生がたでさえも、たいていはいろいろ編集さんに言われて直す部分があったようでした。


私がデビューしたのは、講談社というかなりメジャーな出版社さんの出している雑誌からでした。それもあって、編集さんには、はじめにたくさんの読者に読まれるための方法というのを叩きこまれてもいるんですね。たとえば、好きな洋服や音楽を漫画に出すときには注意が必要だと言われました。「ある特定の読者に対してだけのメッセージを送ったらダメだ。そういう種類の読者以外には入りこめない世界になってしまうから」と。もちろん、客観的に証明されていることでもないし、いまの私ならそうではないという議論もできてしまうけど、その頃は高校生の新人でしたからね、やはりすべて従ったわけです。そのことなんていまだに呪縛になってて、だから私はいまもある特定のブランドの洋服や音楽、場所などを描くことをあまりしていないんですよね。


私自身としては現実の環境に近いものを描かないわけにはいかない。そうでなければ、現実を見つめるための創作にはなりません。そしてやはり、現実を見つめるための漫画こそが、いわゆる普通の読者、サブカルチャー的な文脈でいろいろ発言されているよりも外側にいるたくさんの人の求めているものだろうなと感じていますので。


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