安永竜夫の名言 一覧

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安永竜夫のプロフィール

安永竜夫、やすなが・たつお。日本の経営者。「三井物産」社長。愛媛県出身。東京大学工学部卒業後、三井物産に入社。プラントプロジェクト第二部室長、プロジェクト業務部長、経営企画部長、執行役員、機械・輸送システム本部長などを経て社長に就任。

もう黒子の集合体では生き残っていけない。自分たちで自分の運命を決められるようになる必要がある。


トップダウンで話を進めないと、今の時代のスピード感に合わない。


ビジネスは会社対会社とはいえ、人間対人間の勝負。


収益基盤が資源エネルギーに偏ってきたことは否めない。だからこそ危機感を持ち、非資源の収益力を強化していく。


素振りだけではなく、空振りしてもいいから打席に立ってバットを振ってこい。


今の動きに一喜一憂しても仕方なく、中長期的視点で取り組むのが重要。


いち早く新市場を開拓し、新事業を起こしていくためには、現場にどんどん出ていくしかない。


当社は日本企業が海外進出する際の「水先案内人」でもある。だから日本で一番アグレッシブな組織にしていきたい。


狩猟民族的な人々と相対峙する「体力」と「胆力」をつけなければ勝っていけない。


1人でサバイブ(生き残り)するということを20代で経験させてもらったので、その後、海外のどこにいても怖くなくなりました。


ビジネスは案件の本質質に直接さわり、相手の本気度も確かめながら信頼関係を作ることが大切。


肉食系の国に行ったら、肉食系になる。


これから私が交渉していくことになる世界の経営トップは、40~50代が当たり前。私の人事に注目が集まっているのは、いわば日本が送れている証拠でしょう。
【覚え書き|役員序列32人抜きで社長に抜擢されたことについて】


私は30代後半から、10億ドル規模のプロジェクトで交渉団団長として、ロシアの国営企業の経営陣などとハードな交渉をする機会に恵まれました。その際、常に心がけてきたことは三井物産という会社ではなく、個人として自分自身を売り込むことです。最後に交渉を成功させるのは、「お前となら話をしてやる」と相手に思わせる、個人としての人間力だからです。


若手を厳しい海外の環境にどんどん送り込んでいます。


社長就任1年目で初の赤字に転落したのは、ある意味、天の僥倖です。こう言うと投資家に怒られそうですが、逆境は好機。赤字転落で、さすがに社員の目の色も変わってきました。


三井物産が三井物産たるゆえんは、「ジャングルガイド」のように、ツンドラでも砂漠でも、厳しい環境で生き残るだけではなくビジネスに食らいつくハンターとなれる「個」の力にある。


事業投資について言えば、これまではマイノリティー出資が中心で投資先をサポートするという役目が多かったですが、今後は三井物産が自らドライビングシート(運転席)に座るべきだ。


さっさとポートフォリオを入れ替えろと要求するような短期志向の投資家とは、話が合いません。むしろ、我々の方から株主を選ぶと考えるしかない。


我々はポートフォリオを入れ替えるのではなく補強していきます。既に連結で4万7000人の社員と460の会社を抱えます。グループの社員や会社が、単体の三井物産からの指示を待っていては、攻めを加速できません。それぞれが自律的に動けるようにすることで、伸びる事業をもっと伸ばしていく。


海外に行っても日本食を食べる人がいます。私も日本人ですから日本食が好きですが、海外に行ったら必ず、その現地のものを食べるようにしています。その国で最も美味しいのは、その国の人々が食べているものであり、飲んでいるお酒です。海外の人々と戦うのに、日本食ばかり食べてしまって、戦う相手と同じものを食べていなければ、本当の力は出ないと思います。


イメルト(GEのCEOジェフリー・イメルト)氏に会った時に、少し私がヒートアップした場面がありました。そうするとイメルト氏がいきなり私の似顔絵を描き出したのです。「まあまあ、おまえのことはわかっているから」とテイク・イット・イージー(気楽にやろう)というために、そういう絵を描いて、場を少し和ませた。


日本人が苦手なのは、大きな絵、「グランドデザイン」を描いて、それを実現するための道筋を含めた部分。これがなかなかできなくて、欧米人の得意とするところです。


本当にいろいろな仕事を体験させてくれた会社だと感謝しています。入社してすぐに中国語研修員、その次に化学プラント輸出第二部でインドネシアの仕事、さらに米国三井物産に転勤した後に世界銀行への出向を経験しました。東南アジア、ロシア・CIS(独立国家共同体)、さらには中近東、アフリカまで、担当者としては世界中をカバーしてきました。


新興国においていろいろな新しい事業、産業を立ち上げるときに、我々だけでできるという驕りは捨てて、必要なパートナーはどこかと探す。パートナー戦略が大事。


資源プラントの建設現場は大体が砂漠かジャングルかツンドラだ。そんな過酷な地域に出かけていって、ハードな交渉をしてきた。いい経験をしたと思うのは、30代後半でプロジェクトリーダーを務めた「黒海横断パイプラインプロジェクト」だ。交渉が長引き、疲れとストレスで痛風の発作が出て、足を引きずりながら交渉のテーブルに着いたことも。でも交渉相手からは「早く帰りたいからそんな(足を引きずる)格好をしているのか」と非難された。海外ビジネスは戦いだと痛感したが、同時に商社マンとしてのプロ意識も養えたと思う。


自分が選ばれた理由はいろいろあるだろうが、最大のポイントは若返りだ。商社のビジネスは今、トップ同士が直に話し合って合意する機会が圧倒的に増えている。一年の半分は海外に赴き、時差ボケをものともせずに議論や交渉をするには体力が必要だ。


心の準備もしていなかったので心底驚いた。しかし託された以上は、社長職をきっちり務めようと思い、その場で腹を括った。
【覚え書き|社内序列32人抜きで社長に指名された時を振り返っての発言】


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