守屋淳の名言 一覧

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守屋淳のプロフィール

守屋淳、もりや・あつし。日本の評論家、作家。東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業後、大手書店勤務ののち、中国文化評論家として独立。主な著書に『孫子・戦略・クラウゼヴィッツ その活用の方程式』『最強の孫子 「戦い」の真髄』『孫子とビジネス戦略 成功し続けるリーダー、企業は何を考えているのか』など。父は中国文学者の守屋洋。

権力を持つと、他人を自分の意のままに動かせるようになります。その状態に慣れて当たり前だと思うようになると、傲慢になっていく。


成功が続いたり、目標を達成して「これでいいや」と思うと、もう上を目指さなくなる。それが慢心の始まり。


傲慢にならず、成長し続けるには、自分の至らなさや足りないところを、常に外部から知らしめてくれるような環境に身を置くことが大切。


現代社会でどういう戦略が必要なのかを考えるためには、現代がどういう社会かという現状認識が欠かせない。


『孟子』には「天のまさに大任をこの人に降(くだ)さんとするや、必ず先ずその心志(しんし)を苦しめ、その筋骨を労し、その体膚(たいふ)を餓えしめ、その身を空乏にし、行なうことその為さんとするところに払乱(ふつらん)せしむ」とあります。天が大きな仕事を任せる場合には、必ずどん底に突き落として試練を与える。そう考えれば、「出向」を次のステップへの試練だと捉え返せるでしょう。


『宋名臣言行録』には「君子は進め難くして、退き易し。小人はこれに反す」ともあります。立派な人間は、簡単には引き受けないが、辞めるべきときはあっさり身を引く。そうした人物を登用したほうが、組織がスムーズに動く、と教えています。


江戸時代には、「バカ殿」という言葉は褒め言葉だったといわれています。バカにならなければ殿様は務まらない、というわけです。「ダメ」に見える上司も組織のために「バカ」を装っているのかもしれません。むしろ事あるごとに細かい指示を出す小利口な上司のもとでは、部下たちは自由に能力を発揮できず、やりづらいでしょう。本当に「ダメ」なのか。見極めが肝心です。


『淮南子(えなんじ)』には「年五十にして四十九年の非を知る」とあります。当時の五○歳は老人に近い年齢ですが、そんな年齢になっても、過去の人生の過ちを反省し、自らを変えていくことができる、という教えです。現代においても、社会の活力を生み出す「イノベーション」は、変化のなかから出てくることが知られています。変化を恐れていれば、生き残ることはできません。


中国では変化に対応して自らを刷新できる人が尊敬を集めてきました。『易経』には「君子は豹変し、小人は面を革(あらた)む」とあります。これは「君子豹変」という四字熟語の出典で、「豹変」とは、動物のヒョウが季節に応じて毛皮の模様を大きく生え替わらせること。つまり立派な人物は自分の過ちがわかれば大胆な自己刷新を図るが、器の小さい人間は表面をいじるだけで中身を変えようとはしない、という意味です。


『礼記(らいき)』には「人臣たるの礼は、顕わには諫めず。三諫(さんかん)して聴かざれば、則ちこれを逃(さ)る」とあります。この「三諫」は、君主の過ちを三回諫めてもダメなら、その国を去るのが礼だという教えです。状況を変えることができないなら、さっさと職を変え、派閥を移ったほうがいい。現代に置き換えれば、そう理解できます。歴史を考えれば、能力を発揮するために主君を変えることは、信用を損ねる行為とはいい切れません。


『論語』には孔子の弟子である子游の言葉として「君に事(つかえて)えて数(しばしば)すれば、ここに辱めらる。朋友に数すれば、ここに疏(うと)んぜらる」とあります。主君や友人に諫言や忠告ばかりしていると嫌われてしまうから、ほどほどにしたほうがいい、という教えです。


『十八史略』には唐代の名宰相・婁師徳(ろうしとく)が残した「唾面自乾(だめんじかん)」という言葉が収められています。顔に唾を吐きかけられたとき、顔を拭えば相手の怒りを買うかもしれないから乾くまで笑って待て、という教えです。怒りに身を任せて、「倍返しだ!」と叫んでも、現実には殺されておしまい。我慢や忍耐は、生き残るための処世術です。表面ではひたすらニコニコ笑いながら、復讐のチャンスをじっと待つ。中国の古典はそう教えています。


『孫子』に「朝の気は鋭、昼の気は惰、暮の気は帰」ともあるように、中国では、勢いには盛衰や波があると考えられています。勢いに乗っているライバルは調子に乗らせて、自ら墓穴を掘るのを待てばいいのです。


『老子』には「ちぢめんと欲すれば、かならずしばらくこれを張る」とあります。これは縮めようとするなら、まず伸ばしてやる、つまり、勢いに乗っているライバルは増長させてから叩き潰せばいい、という意味です。


歴史・古典に学ぶことは少なくない。古今の動乱期にはまさに生きた知恵が集約されているし、マインドが卓越した人物が数多く活躍している。現代人の悩みの多くは、すでにそんな先人たちの通った道なのだ。


ムダなものを切り捨てる「勘」が働かないと情報に振り回される。その「勘」を身につけるには経験を積み重ね、時に痛い思いをすることも必要だろう。


変化の激しいいまの時代、情報の重要性の尺度がどんどん変わる。錯綜する情報の中から不完全でも「これだ」と思われるものを得たら、ひとまず先に進んでいかないと、成果をあげるのは難しい。


インターネットが普及した現代では、昔とは比べものにならないほど豊富な情報を集められる。しかし、収集が容易になるほど、人は入手しやすく自分に都合の良い情報ばかり集めて安心し、そこに安住してしまう。


策略とは、情報戦である。相手よりいい情報を持っていれば動き、そうでなければ動かない。


情報の収集・選択は、その発信者の気持ちになれるかが重要。その情報に発信者の意図が入っているか否かを掴み、使えるか否か、腐りやすくないかを判断し、取捨選択するのだ。


策略で最も重要なのは、相手の気持ちになって考えきれるかどうか、相手の心がわかるかどうかだ。相手になりきり、何が相手の強み・弱みでどうされるのが嫌だと思っているのか考え、その弱いところを攻めて嫌がる方向へと持って行く。これが策略の基本中の基本である。


クラウゼヴィッツが奇策に頼るのを戒める理由は、同じ相手と何度も戦う場合、奇策が使えるのは一度きり。同じ手を二度は使えないからだ。しかも、策略はリスクを伴う。確実性の低い策略に労を費やすよりも正攻法で勝つ方法を考えるほうが有効だと説いている。


戦略・戦術書の二大古典『孫子』と『戦争論』を座右の書として成功を収めた人物は少なくないが、この二書は策略についてどう述べているか。一言でいえば「取扱注意」だ。策略はみだりに用いるべきではなく、応分の備えと心得が必要だという。


古今東西の名勝負師や、ずば抜けたビジネスマンたちの足跡をたずねてみると、「彼を知り、己を知る」「天を知り、地を知る」という行為を、人並み外れて実践している姿が浮かび上がってくる。


「顧客」や「環境」を知る努力とは、いわば外的条件に関する知識だが、内部条件のほう、「己を知る」ほうがより重要度が高く勝敗のポイントになるケースも現実には多い。誰しも贔屓目や欲目があるため、自分を客観視することは難しく、己ほど知りがたい存在はないからだ。


孫子の中で最も多くの人に知られている言葉は次の一節だろう。「彼を知り、己を知れば、百戦してあやうからず(謀攻篇)」。トップセールスマンの書いた本を読むと、似たような内容を目にすることが多い。相手を知り尽くすことが、営業では何よりの力となるのだ。


戦略とは、どんなに素晴らしい考え方でも使うべき状況、使うべきでない状況がある。もし戦略が状況と合わなければ、逆に失敗の元凶にもなってしまう。


不思議なことにビジネスの世界では、往々にして「有名な経済誌が特集していた」「一流の先生がお墨付きを与えていた」「他社や他人はこれで成功を収めたらしい」といった情報に流され、戦略を決めてしまう場合がある。自分の状況に合った戦略とは何かを、徹底的に考えることが、成功するための第一歩となる。


各個撃破の原則は万能の戦略なのか、というと、そうとはいえないところに、現実の難しさはある。個人や戦争の場合、実際に戦う敵は一者、切り刻んでしまえば確実に小さくなる相手だ。ところがビジネスでは、あるジャンルが儲かりそうだとわかれば、数多くのライバルが参入してきてしまう。しかも、その中には自社より圧倒的に強大な相手が含まれている場合もある。これでは、いくら集中しても、ライバル多数の混戦状態や、圧倒的に巨大な企業が参入する中で、利幅も勝ち目も薄くなってしまう。


「こちらが仮にひとつに集中し、敵が十に分散したとする。それなら、十の力で一の力を相手にすることになる(孫子 虚実篇)」これを各個撃破の原則という。巨大でとても敵わない相手でも、小さく分散させたうえで、個々に戦うよう仕向けられるなら、最終的な勝利を得られるというのだ。古今の名将が勝利の切り札とした戦い方だ。


厳しいビジネスの世界で働いていると、誰しも複数の厄介ごとを一度に抱えてしまうことがある。上司からの無理難題、顧客とのトラブル、家庭での不和、自身の病気……。こんなとき、すべてをひとまとめにして対処しようなどと考えてしまうと、気が滅入って体が動かなくなってしまう。逆に、問題を個々に切り離し、集中して順番に対処していくよう頭を切り替えると、案外、やすやすと片づけられるものだ。


孫子の謀攻篇「百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するのは善の善なるものなり。」。なぜ、百戦百勝が最善とは言えないのか。100回戦っているうちに、財力や体力を擦り減らしてしまい、101回目に第三者に漁夫の利をさらわれてしまえば、愚かの極みでしかないからだ。


戦略とは、対象となるライバルの数によってとるべき方針を変えていかないと、うまく機能してくれない面があるのだ。とくに、ライバルが多数いるのに、一対一の決闘だと思って戦ってしまえば、第三者に漁夫の利を提供するだけになりかねない。勝負事を制したければ、まずライバルの数に注意深くなる必要がある。


いま「二極化」や、「勝ち組」「負け組」といった言葉がマスコミで盛んに使われている。こうした思考のベースにあるのが、「勝ち以外は負け」「勝者になれなければ惨めな敗者」という二分法に他ならない。しかし、それは本当なのかという根本的な疑問を、いまから2500年も前に投げかけたのが孫子だった。孫子は中国古代、春秋時代の末期に活躍した孫武という武将が書いたといわれる兵法書だ。孫武は当時の戦争のありさまを考察することにより、勝ち負け以外にもうひとつ、不敗の状態があるのではないかと考えた。


孫子は不敗と勝利の違いに鑑み、次のような戦いの筋道を考えた。「戦上手は、自軍を不敗の状態におき、敵が隙を見せれば勝利を目指す」。勝ち負けという単純な二分法に「不敗」が入ることで、すぐれて戦略的な発想になっていることがわかる言葉だ。さらにここからは、そもそも戦略に3つの基本パターンが存在することも見えてくる。(1)最初から勝利を目指すべきもの(2)不敗を守っているべきもの(3)不敗を守ってチャンスと見たら勝利を目指すもの。自分の目指すべき目標がこの3つの筋道のうち、どれによって達成できるのかをよくよく考えないと、戦略は失敗してしまう可能性が高くなる。


戦略の三つの基本パターンの使いどころ

  1. 最初から勝利を目指すパターン。
    デパートのバーゲンのような先着順、先手必勝の状況だ。こんなときに不敗でもいいやなどと構えていれば、良い商品はみな他人にさらわれてしまう。
  2. 不敗を守っていればいいパターン。
    生き残りの環境が激しく、無理をすれば脱落しやすい状況。たとえば離職率が高く、足の引っ張り合いの激しい職場では、あまり目立たず敵を作らなかった人物が最後に役員に収まりがちだったりする。無理に勝ちを目指して脱落するよりも、不敗を守った方が最後に笑いやすい。
  3. 不敗を守ってチャンスと見たら勝利を目指すのがいいパターン。
    生き残り環境がそれなりに厳しいが、チャンスも定期的にめぐってくる環境となる。多くのビジネスパーソンはまさにこうした状況に立たされているのではないだろうか

どんなジャンルであれ、神業のような職人の仕事は洗練されて無駄な動きが一切ない。逆に、ごく自然に動いているようにしか見えないため、はたからはその凄さがわからなかったりもする。同じことを素人がやろうとしても、雑念ばかりでギクシャクしてしまう。こうしたアナログ的な強みの長所は、デジタルと違って容易に真似できない点だ。ビジネスでいえば熟練の勘で難しい判断を捌くリーダーのような存在に近い。


デジタルの入力は定量的、論理的に構成されるため、出力には全く差が出ない。論理的な学習や、大量生産される製品を開発する場合、デジタルの特性を必ず持つので、結局ライバルにも学習され、真似されてしまう。もちろん逆もしかりで、この競争はエスカレートせざるを得ない。


ビジネス系の雑誌で、論理力を高めるとか、戦略的発想を磨くといった特集が組まれることがある。内容はどれもうなずけるものばかりだが、ひとつ疑問に思うのは、ライバルも同じ特集を読んで学習していれば、結局、差をつける原動力にはならず、武器にするために際限のない努力を強いられるのではないかという点だ。


歳を取ると慢心しやすくなる。緊張感を維持し続け、自分を厳しく節制し、成長させようという努力は、体力、気力がないとなかなかできない。40代半ばを過ぎると、どうしても緊張が緩んできます。それまでに自分のやり方がうまくいっていれば、このままでいいと考えるようになる。


私の知り合いの社長さんが、ダメになる中小企業の社長を見分ける2つの方法があると言っています。豪邸を建てて、周囲に見せびらかすこと。もうひとつは飲み屋の女性を愛人にすること。この2つを兼ね備えると、だいたいその会社はもうダメらしい。これは、自分の成功と権力に満足して緊張感を失い、自己節制ができなくなった人の象徴的な姿です。同時に、男性が成功しておごると、何をするかを表わしています。


リベラルアーツのリベラルとは「自由」という意味ですが、文字どおり、その根底には「人は学ぶと自由になれる」という考えがあります。人は知らず知らず、古くからの習慣や価値観に縛られています。でも、幅広い教養を得れば、自分たちが何に縛られているかがわかり、そこから自由になれますよね。これもまた、教養を身につける大きな意味のひとつです。


かつてはある分野の専門知識や、速く正確に仕事をこなすスキルなどが、ビジネスマンの能力として重宝されていました。でも、それらのほとんどは、今後はコンピュータに代替されていきます。さらに言えば、変化の激しい現在、専門知識やスキルをいくら磨いても、次の一手は見えてきません。一見違うものを結びつけ、新たな原理原則を導き出し、自分でオーダーメイドの対処法を見つけていくしかない。これはコンピュータにはできない、人間だけの能力です。


一見関係のないジャンルでも、思考の抽象度を上げて考えてみると、意外なところで結びついていることがわかります。こうして、関係のないもの同士を結びつけ、そこから教えを導き出したり、新たな原理・原則を発見する能力を得ることこそ、教養を身につける最大の意味だと私は考えています。


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