奥田務の名言 一覧

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奥田務のプロフィール

奥田務、おくだ・つとむ。日本の経営者。J・フロントリテイリング会長。三重県津市生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、当時日本一の百貨店だった大丸へ入社。30代半ばでニューヨーク州立大学へ留学。その後、大丸オーストラリア法人の社長、本社取締役を経て社長・会長に就任。その後、松坂屋との合併で誕生したJ・フロントリテイリングの会長兼CEO(最高経営責任者)を務めた。そのほか、関西経済同友会代表幹事、政府の21世紀臨調顧問会議代表、関西経済連合会副会長、毎日放送監査役、りそなHD取締役などを務めた。兄はトヨタ社長・経団連会長の奥田碩、祖父は戦前まで三重県最大だった証券会社を作った奥田喜一郎。

経営統合がうまくいくかどうかは、現場で働く人が賛同するかにかかっている。


一度決めたら一気にやり抜く。そのスピード感と覚悟を持ってほしい。


改革は永遠であり、立ち止まることは許されない。経営者の仕事は尽きません。


企業は、縮小に転じた途端に、がたがたと崩れてしまいます。


常に市場の変化に対応してビジネスモデルの変革を続け、利益を生む事業を育てていく。これを繰り返していくしかない。


私は運良く2度海外で経験を積み、日本を外から見る機会に恵まれました。だから日本の百貨店が抱える矛盾に気づけたのでしょう。


ビジネスモデルが変われば、企業のコアコンピタンスが変わる。それに気づかず、優先順位の低い部門にリソースを割けば、競争力は衰えます。


時代とともに消費者は変わり、それに合わせてビジネスモデルも変えなくてはなりません。「最適解」は刻々と変わり、変化に乗り遅れるととんでもないことになる。


根気比べのようですが、言い続けることこそ改革時の経営者の仕事です。私も何度も何度も同じことを言い続けました。すると徐々に思いが伝わり、社員の方が少しずつ考え方を変えるようになる。


すべての産業で共通して求められるのは、変化対応能力です。消費者が変わる前に、企業は半歩先、一歩先を読んで変わらなくては生き残れません。日本の百貨店の多くはもともと呉服店で、自らを百貨店に変えて生き残った。


経営者の役目は数字や行動で社員に思いを伝えること。統合では特に、結果を出して社員に示さねばなりません。


人間は、自分の生活やスタイルを変えたがらない生き物です。ですから私の改革に対して、何らかの反発があることは理解できます。しかし、だからこそ、社員のマインドを変えるには、経営者が断固として思いを貫き、同じ言葉を言い続けなくてはならないのです。


変化に気づくために必要なのは、「烏の目」です。業界や企業を俯瞰すれば、次に来る変化の兆しが見えるはずです。


お客様が高齢化し、とりわけ若いお客様にご来店いただこうと考えたとき、これまでの発想を捨てなくてはいけないと危機感を持ちました。


うちには後継者が山ほどいますから、僕は今日辞めてもいいと思っています。もう既に万全の体制はできています。ですから、僕が退いた後についての心配はいりません。


企業改革は行き着くところ風土改革ですが、これはとても測りづらい。そこで、5年間にわたり、毎年、コンサルタントを使い、営業を担当する約4000人のリーダーシップや変化を好む姿勢などの改善度を面接と調査で定点観測してきました。それを見るとやはり、確実に変わっています。間隔じゃなくて目に見える数値に置き換えないと、改革を受ける側も納得しないのです。


経営を変えていくとき、非常に大切なのは、社員全員が健全な危機意識を持つことだと思うんです。もうダメだダメだと考えるのは本当にダメで、努力しているけれど、もっと高い目標に向かって変えていくんだという意識を永遠に持ち続ける。それが生き甲斐じゃないかと。そうすることで、不況下でも、経常利益を5年連続増益、最高益を2年連続で更新できたし、今期も三年目の最高益を出すつもりでやっています。


大丸250年史に貴重な証言が残っています。存亡の淵に立たされた明治末ごろにかけて、商品に精通した仕入れ係が「縮緬(ちりめん)は何年もたった方がいい色が出るから」と、3年も前の品を山積みにし、買わない顧客が悪いと言っていたというんです。ところが、外からは時代遅れの田舎服と見られていた。お客様の変化を全然見ていなかったため、危機に陥ったのです。


人間の意識を変えるというのは、かけ声だけじゃできない。国内3店、海外11店の閉鎖決定や800人規模の希望退職など後ろ向きの処理を最初の二年で一気に終え、同時に働く仕組みを変えました。あなたにはどういう仕事をやっていただきます、ジョブ・ディスクリプション(業務内容)を明確にしました。売り場ごとに何人必要かということも科学的に検証しました。最盛期の一万人いた従業員がいま6500人でもサービス水準を落とさずやっている。それでやっと自分たちの意識は古かったんだと気が付くわけです。


明治維新以来、昨日より今日のほうが良かったし、モデルにする国もあった。いまは二つともない。改革の教科書は自分で作るしかありません。


改革前に比べ、営業利益は3.3倍、経常利益は3.8倍になりましたが、一瞬でも手綱を緩めたら、すぐ後戻りします。企業風土の改革は時代の変化に対応できる力を埋め込むこと。ですから執念深く永遠に続けると宣言しました。


新しい仕組みにすれば、働き方が変わるから、新しい評価の仕方で処遇する。この連鎖をどう加速させるかが、意識改革のカギを握っています。


どうしても中間管理職は抵抗勢力になりやすい。自分たちの考え方が壊されちゃう、既得権が侵されると思うんですね。バブル期の成功体験で固まってしまい、新しい時代に合わせて変わっていかざるを得ないと、頭でわかっているのに、体がついてこない。でもトップダウンとボトムアップをつなぐ中間管理職の意識を変えないと企業は変われません。


社長に就き、会社の不良事業や財務を全部洗いだしてみて、自分の仕事は企業再建やな、と思いました。二年目から改革に乗り出し、社員には「いつおかしくなっても不思議じゃないですよ」と延々説き続けました。最初はギャップがありました。「そうはいっても隆々と店を張ってやっているやないか」と。


バブル崩壊までの日本は、「隣が買うから私も買おう」という、ブランド志向の強い、ある種発展途上国型の消費だったと思います。バブル崩壊後、そういった志向は薄れてきましたが、リーマンショックが一気に後押しして、「使うお金に対してどれだけ期待に見合う価値があるのか」「本当に必要なものを厳選して買う」というバリュー消費と呼ばれる欧州型の価値観に日本が近くなっているのだと思います。


インターネット通販は、もう好き嫌いじゃなくて、基本機能として持たざるを得ない。今後さらに小売りの垣根が消えると、インターネット通販を我々のビジネスにどう組み込むかが重要になります。ただ正直に言うと、僕はもう分からないんです。じじいが考えてもダメですね(笑)。だから2011年春に、社内に専門部隊を作りました。これは、若い人に任せたい。


僕は決して、いまの結果に満足していません。ただ比較論で言えば、ほかが苦戦しているにもかかわらず、我々は高い伸び率を維持することができた。この3半期は確実に対前年を上回っていますから。ある程度の手応えはあるかな、という感じですね。


百貨店は将来もなくならないでしょうし、努力をすればもっと経営効率を高めることもできるでしょう。けれど、成長の余地は限られています。我々が今後も成長を続けるには、ビジネスラインを広げる必要があったんです。
【覚書き|パルコを700億円で買収した理由を尋ねられての発言】


百貨店業界の売上高は2011年まで15年連続で落ちています。これは非常に危険な状況でしょう。この最大の要因は、百貨店がお客様の変化に気づかなかったか、もしくは気づいていても対応できなかったことにある。


大丸は300年の歴史の中で、過去に5~6回、経営危機に陥ったことがあります。その中でも特に深刻だったのは明治40年代の危機です。当時の経営者はその時、呉服屋から百貨店に切り替える戦略を取ったんですね。呉服屋としてもそれなりの規模がありましたから、当然、取締役の意見は真っ二つに割れました。何度も議論を重ねて、最後にはトップの決断で、呉服店から百貨店に切り替えた。当時、世の中には呉服屋がたくさんあったわけです。けれどもいま残っているのは、我々と三越さん、伊勢丹さん、高島屋さんくらいでしょう。呉服屋であることに拘泥したところは、ほとんど消えてしまった。同じように、いまの我々もお客様と共に変わらなくてはならない。永遠に変わり続けなければ、生き残れないと思っています。


大丸と松坂屋が合併する時、新しい会社名として、2つの案が出たんです。「大丸松坂屋グループ」と「J・フロントリテイリング」です。その時、僕は文句なしに後者を推したんです。我々が百貨店であることは確かです。ただ、今後何十年か先を見据えると、百貨店は確実に成長が止まる。それでも成長するには時代の変化に合わせてウイングを伸ばさざるを得なくなる。けれど、「大丸松坂屋グループ」という社名では、株主も従業員も百貨店の発想から出られなくなるでしょう。百貨店を核にウイングを広げるためにも、僕は当初から「J・フロントリテイリング」という社名にすべきだと考えていました。


日本の経済が苦しいのは、産業構造が古いからです。企業も人も古い産業に居続けている。行き詰まると国が救うから新陳代謝が起きない。プレーヤーが減らず、日本という町内会の運動会で疲れ果て、グローバル競争というオリンピックに出たら倒れてしまう。そんな状況です。


大丸を松坂屋を経営統合させたとき、CEO(最高経営責任者)を作り、最後の意思決定者を明確にしました。会長に松坂屋の岡田(邦彦)さんが就いて、私が社長となり、その下に大丸と松坂屋がぶら下がりましたが、それでは誰が最後に意思決定するのか分からない。そこで岡田さんに「私が全責任を持つからCEOをやらせてほしい」とお願いしました。


改革に着手した当初は相当な反発を受けました。「人を減らせばサービスの質が落ちる」と訴えられたものです。しかし職務分析を通して必要な業務は押さえてありますから、サービスの質が落ちることはありませんでした。まさに「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ですよ。人を減らせばサービスの質が下がると、誰もが勝手に思い込んでいた。けれど私は100%買い取りモデルのオーストラリアでも、もっと少ない人員で百貨店を運営していました。外を知っていたから思い込みに惑わされず、生産性の高い業務運営体制を構築できたのです。


日本の企業を見てみると、自動車や電機などの製造業は、緻密に生産工程を管理して生産性を高めています。しかし一方で、サービス業などの第3次産業は各職務が明確でないケースが多いように感じます。特に百貨店業界は各職務の業務内容が曖昧なうえ、同じバイヤーという職務でも企業によって求められる業務内容が全く違う。これが人材を滞らせ、成果主義力根づかない原因となっています。漠然と社員を働かせても、生産性が上がるわけがありません。


会社の再建において赤字事業の整理は基本中の基本です。それなのに、多くの経営者がなかなか整理に踏み切れない。その大きな要因は経営者の覚悟にあります。赤字事業を整理すれば、先輩経営者の功績に傷をつけかねない。自分の実績を否定する可能性もある。こう思い、多くの経営者が不採算部門のカットを大胆に進められないのです。


私を指名した下村前社長は当時、こう背中を押してくれました。「『先義後利』という社是と大丸ののれんさえ守ってくれたら、後は思い切って何でもやってくれ」。この言葉のおかげで、大胆に改革を進められました。


通常、事業を存続すべきか否かは傷が浅いうちに判断すべきです。しかし、私が社長に就任した当時の大丸の幹部は、「何とかなる」という根拠のない願望に任せて、ずるずると赤字事業を続けていた。百貨店事業でどんなに稼いでも、赤字事業が利益をすべてのみ込む有り様でした。


強みを増すには、成長が期待できる事業を買収する一方で、今後成長の余地が見込めない事業を売却することも必要になります。


明治時代、大丸は大きな経営危機に直面して、呉服屋から百貨店へと姿を変えて生き延びました。同じように、私は大丸や松坂屋という百貨店をマルチリテーラーヘ変え、次の時代につなげる努力を重ねてきました。


経営改革とは、行き着くところは、時代や消費者の変化を先取りして、企業のあり方や企業文化、働く人の意識を変え続けていくことです。


会長兼CEOを退く前の最後の仕事として、子会社のピーコックストアを売却しました。この売却によって良い意味で社内に緊張感が生まれました。「赤字を出していては売却されるかもしれない」という緊張感が出たのはメリットでしょう。


今後、小売業の経営環境は、一層厳しくなるでしょう。その中でも、経営者は企業を成長させなくてはなりません。300年、400年続いた「のれん」を守るには、少しでも成長を続けることが重要です。


まずはグループ内の各企業が強くなって、きちんと利益を生むこと。強い企業が集まることでグループの強みも増していく。シナジー効果は、その過程で追求すべきものでしょう。


日本では長い低迷期を経て、あらゆる業界で企業の統合再編が進みました。スムーズに統合を終えた企業がある一方で、矛盾やいびつな構造を抱えたままの企業も多く見受けられます。失敗の大きな要因が、スピードの欠如だったのではないでしょうか。


企業買収では、多くの経営者がただちにシナジー効果を求めたがります。ですがシナジーを出すよりも先に、買収先の企業が投資に値する利益を出すことを優先すべきです。


私が大丸社長に就いた1990年代後半、日本の百貨店は業界内の戦いに明け暮れていました。しかし2000年代に入ると、ユニクロなどの新しい小売り業態が出現し、一方ではネット通販が台頭した。小売業全体の業際がなくなり、我々はあらゆる業種と戦わなくてはならなくなった。そんな状況で、百貨店の殻に閉じこもっていては成長できません。果敢に百貨店以外の事業を取り込み、ひとつの成長エンジンにすべきだと判断しました。


統合作業のスピードを支えたのが、毎日開いた早朝連絡会です。これは、オーストラリア赴任時に生み出した仕組みでした。当時私は、国籍や民族、宗教、文化が全く違う社員を束ねなくてはなりませんでした。人間は、顔を合わせていなければ疑心暗鬼になる生き物です。これではコミュニケーションが滞ってしまう。そこで毎朝、部長以上が集まってミーティングを開くことに決めました。些細なことから重要なテーマまで、あらゆる議題を全員でディスカッションし、最後に私が決断を下すようにしたのです。決断を下した理由もその場で説明します。すると日を重ねるこ、とに私の考えが現場に浸透していった。トップの判断基準がどこにあり、何を考えているのか。これらが現場に伝わり、私自身も現場の問題を即座に把握できる。何よりその場その場で決断を下すので、経営のスピードは格段に上がりました。


スムーズな統合を支えたカギであり、私にとって最も大きな経営ツールが朝の連絡会でした。大丸と松坂屋という歴史や文化の違いを乗り越えられたのも、両社の幹部が毎日顔を合わせて話し合ったからだと思います。


あらゆる統合作業の中でも特に気をつけたのが人事制度です。私は大丸時代の改革で、学歴や経歴、性別、年齢を問わない適材適所の人事を進めました。統合でもこれを貫き、大丸と松坂屋の人事制度を一体化することを急がせました。企業で働く人は、誰でも給料や昇進を気にしています。人間はある面では非常に現実的ですから、賃金や処遇は労働意欲の根幹でもある。同じ仕事をしているのに、出身会社が違うことで給与や処遇が変われば、誰だってモチベーションが下がるでしょう。


経営統合の際、大丸、松坂屋とも担当者が「システムの統合には3~5年はかかる」と訴えました。しかし、これでは全く話にならない。「何を言っているんだ。責任は全部私が取るから思い切ってやれ」と叱咤したものです。松坂屋から見れば、「このおっさんは何を言っているんだ」と思ったことでしょう(笑)。しかし結局、1年でシステム統合を終え、問題は何も起こりませんでした。


大丸では、私が社長に就いてから改革を続けてきましたから、徹底した低コスト体質になっていた。ですが松坂屋は後発です。まだまだ無駄が多かった。統合と同時に大丸のコスト管理のプロを松坂屋に送り込みました。コスト管理に厳しい人物なので、大きな軋礫が起こるのではないかと危惧しましたが、松坂屋側の皆さんは、彼の言うことを忠実に進めてくれた。最初は驚いたのでしょうが、どんどんコストが落ちて赤字が減っていく。大丸のやり方を進めると利益が上がると分かったんです。改革は、利益が目に見えて上がると社員がついてきます。すぐに結果が出たので無用な軋轢は起こりませんでした。


経営統合のとき、「決してミックスさせてはいけない」と各担当者に伝えました。システム部門などの統合では、どうしても現場の担当者が、2社の長所を混ぜて「いいとこ取り」をしようとします。ですが業務運営やシステムは、ひとつの思想に基づいて構成されています。異なる思想で作られたシステムを、パーツごとに寄せ集めても、必ず破綻が生じてしまう。そうではなく、どちらを残すべきかを徹底的に議論し、まずは片方の方式を基に統合すること。そしてオペレーションが根づいた後で、捨てた方の良いところを修正して部分的につけ加える。これを大前提としました。


周囲の誰もが「なるほど、あの人なら」という人材を、積極的に登用しました。私は会社の人事はできる限り公平にすべきだと考えています。人間はどうしても、「好き嫌いで人事をやっている」と思ってしまいがちです。ですから極力それを排除し、きちんとやった人が遇される環境を作りました。その人がどれだけ企業に貢献したかに尽きる。


経営スピードを上げるためにプロジェクトチームを作らないことにしました。日本企業の意思決定の遅さのひとつの原因が、プロジェクトを作ることにあります。何かというとプロジェクトを立ち上げて話し合う。ですが、これでは現場が無責任になります。そこで一切プロジェクトを作らず、すべて通常の業務ラインで話をするように要請しました。財務は財務担当、営業は営業担当が議論を重ねる。そこで出た結論に対して、私が直ちに可否を決める。これだと話が一気に進みますし、何より現場が当事者意識を持ちます。


私は日本の百貨店を外から観察して問題の本質を見抜きました。そしてこれを基に経営改革を進めました。変化を先読みできたから、松坂屋と統合してマルチリテーラーに変わることができた。つまり、「烏の目」こそ経営者に欠かせない大切な資質なのです。


企業の経営統合で何より怖いのは、ひとつの企業の下に2つの企業文化が根づくことです。いびつな環境が統合後の社風となれば、それこそ改革は難しい。


企業の統合で経営者が最も重視すべきことはスピードです。企業統合では、いち早く成果を出さなくてはなりません。「鉄は熱いうちに打て」という言葉通り、互いの気運が高いうちに一気に進めないとモチベーションが下がってしまう。


大丸と松坂屋の経営統合に向けて、まずは最終責任者を明確にすべきだと思いました。統合では連日、様々な決断を迫られます。誰が意思決定者か分からなければ混乱は必至。社員は誰が最終決断をするのか必ず見るでしょう。責任者が明確でないと、統合がうまくいくはずはありません。


経営とは社会科学だと思います。自然科学の世界では、どの国でも「1+1=2」だし、「H2O」は水を指す。しかし経営では、同じ現象が国の歴史や風土、人々の生活習慣などによって変わります。原理原則は共通していても、現場で当てはめるとギャップが出ることもある。


リーダーシップ、決断力、分析力……。もちろんこれらも不可欠です。けれど、これらが正しく発揮されるためには、ある前提が欠かせません。それが、「烏の目」を持つことです。「烏の目」を持てば、思い込みにだまされず、問題の核心が見えてきます。正しい課題を見いだせなければ正しい解決策も生まれません。私の経営者人生を支えたのもこの視点でした。


大丸の社長に就任した当時の営業利益率はわずか0.8%でした。これを、松坂屋との統合直前には4.1%、統合を経た直近では、3.6%に伸ばしました。300年近く続く老舗企業の体質を変え、百貨店業を脱してマルチリテーラーになった。斜陽産業と揶揄される百貨店でも、時代に合わせてビジネスを変えれば確実に成長できる。それを具現化した16年間だったと思います。


日本の百貨店は、全く違う2つのビジネスモデルを備えています。商品を自前で買い取って社員が販売する買い取り型と、ブランド単位で売り場を設けて、ブランド側に商品を売ってもらう消化仕入れ型です。前者は粗利が高いけれど、人件費がかかって商品の在庫リスクもある。後者ではブランド側に売り場を与えて、その代わりに売上高の何割かの利益をもらうから、粗利は低いですが在庫リスクはなく人件費も低い。この2つは全く事業構造が違います。そこで消化仕入れと買い取りの組織を分けました。それぞれの売り場でマネジメントが何人必要で、彼らに何を期待するのかをはっきり伝えたんです。当初は非難囂々でしたよ。けれどもそれによって、随分とオペレーションを効率化することができました。


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