奥村綱雄の名言 一覧

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奥村綱雄のプロフィール

奥村綱雄、おくむら・つなお。日本の経営者。野村証券社長、野村証券中興の祖。滋賀県出身。京都帝国大学経済学部卒業後、野村証券に入社。主任、取締役、大阪副支配人、京都支店長、専務などを経て、太平洋戦争後43歳の若さで社長に就任。財閥解体によって消えそうになった野村の社名を守ったり、日本の投資信託法制定に尽力するなどの業績を残した。そのほかに東京証券取引所理事、経団連外資問題委員会委員長、ボーイスカウト日本連盟理事長などを務めた。

ひとつ上の仕事をやれ。社員は主任、主任は課長の、課長は部長の、部長は役員の、それで初めて大きな仕事ができる。


人生に四つの関係がある。長い闘病、浪人、牢獄、放蕩。そのうちどれかを突破した人がモノになる。


私は若いときから、いま流行の権限の委譲を実行してきた。私は部長には「君は重役のつもりでいたまえ。そして君の権限は次長に任すようにしなさい」と言う。課長には「あなたは部長のつもりで働くんだ。課長の仕事は代理にさせなさい。その方が大きくなるよ」と言う。上も下もみんなこの調子で権限が委譲されているから、自然にい人材ができる。


投資信託法案も通って、第一回の投資信託の募集をどのくらいにしようかということになった。我々としては、10億くらいは軽く消化できると思ったが、私は最大限5億円ぐらいにしてくれと皆に頼んだ。でないと目につきすぎて、せっかくの投信事業も大成するまでに叩かれてしまう。武田信玄ではないが、まず兵を伏してやってくれというわけだ。
【覚書き|野村証券で投資信託を始めて売り出したときを振り返っての発言】


社員はいつも自由に行動してほしい。ただし、それにはきちんと責任を持ってもらいたい。私はよく人から「涙もろい」とか「情にほだされる」とかいわれるが、同時に私はペナルティを忘れない。ひとたび秩序に反するようなことがあれば「あの奥村さんが……」とビックリするほど断固たる処置をとることにしている。


京都の支店長は京都野村証券の社長のつもりでやれというのだから、虎を野に放ったようなものだ。混乱のヤミ時代には、まず社員に満腹の充実感を与えねばならぬ。満腹の充実感には何よりも新円を十分に手に入れなければならぬ。新円を手に入れるためには何かいい仕事を発見しよう、という三段論法からふと映画館の経営を思い立った。
【覚書き|その後奥村氏は、得意先の金持とともに映画館を建て、野村証券京都支店社員たちの生活物資を得るための資金を手に入れることに成功した】


一介の社員にすぎぬ私が、おやじ(野村徳七)の代理で満州視察へ行くことになったから、役人はびっくりするし、周囲からもずいぶん失笑を買ったものだった。なかには、「野村さんの親心は奥村にとってプラスかマイナスかわからない、でなくともだいたいあいつは頭が高いから、今度のことでますます増長するに違いない」と酷評する声もあった。だが、どんなに憎まれ、どんなに出世が遅れても、私という人間形成の上で、あのときの満州行きの意義は大きかった。亡くなった野村さんにはまったく感謝の言葉もない。
【覚書き|関西財界のそうそうたるメンバーによる満州視察に野村徳七氏の代理で参加したことを振り返っての発言。奥村氏は当時まだ主任だった】


社長と会長の二元統制になったら会社はおしまいだ。


会長に代表権があろうがなかろうが、大した違いはない。大きい組織では、誰が最高の中心者であり責任者かといえばもちろん社長である。またそうでなくてはならぬ。その社長の地位や権限を少しでも縮めたり制約するような会長であったら、会長制は初めから敷かぬがよい。


私は近代経営者として立派に成功したかどうかの一基準を、その人がよき後継者をつくったかどうかに置きたい。近頃のトップ・マネージメントとか、ヒューマン・リレーションとかいろいろの言葉で近代経営の在り方が議論され、また、実践に移されている。私から言わすと、口幅ったいようだが、いまさら何をおっしゃるかである。


心配してくれるのはありがたいが、たとえ扼殺(やくさつ)されても自分の信念は曲げられない。それに、よしんば私が倒れても、同じ志の者が続いていく。
【覚書き|43歳で社長に就任し、様々な改革を一気に進めたため、周囲から諌められたことに対する返答】


投資信託法案が通った当時、日興証券の遠山(創業者の遠山元一)さんの偉さを知った。はじめ遠山さんは投資信託には無関心で、あくまで信用取引で行くべきだという態度をとっていた。その遠山さんが、いよいよ投信が本決まりになったら、一夜にして自分の主張を変えられた。いうべくして、なかなかできることではない。その切り替えを、遠山さんともあろう人が、スパッとやってのけたのである。普通なら「あんな奥村なんて若造が……」と見くびるのが当たり前だが、遠山さんはその私に一転同調した。立派な人である。


株価暴落の原因は供給の過剰にあるんだから、この過剰を吸収するプール機関をつくったらどうかということに一致した。そうしてそれはいいということになったが、それではどのくらい出してくれるかとなったら、10億だという。私のハラづもりでは、どうしても100億は必要だ。10億ぐらいならドブに捨てるようなものでものの役に立たぬ。この際100億出してくれと頼んだが、とても駄目だとなったので私はこのプール案を諦めた。
【覚書き|太平洋戦争後の株価暴落時に富国生命社長と日銀総裁にかけあったことについて語った言葉。その後、このプール案は投資信託という別の形で結実する】


京都で遊んでいる一年余りの間に、東京では先輩が片っ端から公職追放になってしまった。私は出世が遅れていたが、その私だって、もし中央にとどまっていたら、なんかのことでパージ(追放)にひっかかっていたことであろう。その私が、京都で悠々自適していたため、かえって首がつながったのである。運と災難は紙一重である。
【覚書き|太平洋戦争終結後、公職追放にひっかからなかったことについて語った言葉。出世が遅れたことで追放されず社長に就任することができた】


友人が「あのときの新円を大事にしまっておいたら、奥村、お前は今頃大したものだ」という。しかし、僕はあんな狂った時代の狂った金は、気持ちよく霧散霧消してしまうのが本当だと思っている。あの金を後生大事に溜め込むようなら、僕はあのときが人生の終着駅になったといまでもそう思っている。
【覚書き|敗戦直後、京都支店長時代、奥村氏は新円を得るため映画館を経営して大いに儲けを出していた】


私は右から左へとすぐに間に合う重宝な男ではなかったと思うが、不思議なことに、いざというときに一種の動物的な総合カンが働くようである。そのおかげで、今日までどうやら大道を見誤らずにやってこられたと思っている。


会長ほど難しい仕事はない。だいたい仕事を抱えるのは容易であり、仕事を離れるのは難しい。忙しい忙しいといえるのは結構な話で、仕事から浮いてしかも仕事をつかんでいることはなかなか凡人には無理なことである。だがこの難しさをやってのけなければ、本当の会長にはなれぬ。


野村という社名の信用は、一朝にしてできたものではない。これは幾多の先輩の血と汗が染みこんでいる。証券あっての野村であり、野村あっての証券である。この栄光ある社名をちょっとやそっとのことで変えられますかいというのが私のハラであった。
【覚書き|戦後、財閥解体時にGHQから「野村」という社名を変えろという命令があったとき、断固として応じなかったことについて語った言葉】


敗戦による財閥解体がやってきた。出世の遅れた私であったが、それでもそのときは取締役京都支店長になっていた。ところが財閥解体に続く追放令で、常務以上の方々は会社を辞めねばならなくなったわけである。人間何が幸いするかわからない。出世が遅れたばっかりに、私の首がつながったわけである。


入社後10年ほどたって、同僚がみんな支店長や部次長になっているのに、私はやっと主任で、ゆうに3年以上のハンディがついてしまった。野村に入ってからの私は、出世こそ遅れたが、勉強だけはしたつもりでいる。


ダイヤモンドはいろんな面が相寄って燦然たる光を放っているが、同時によく見ると真ん中の頂上にひとつの大きい面がある。この面はよく見ないとちょっと気が付かない。けれどこの長上の面が大きいほどダイヤモンドが2カラットから3カラット、数カラットと大きくなる。ダイヤモンド経営は集中体だと一般の常識では言うが、もうひとつ掘り下げると、この頂上の中心面が社長なんだ。私はダイヤモンド経営を打ち出すとともに、この真ん中の中心面になり、目立たぬ中に大きいものになろうと努めてきた。


入社とともに私は自分で希望して調査部に入り、5年ほど勝田貞次さんの指導を受けた。人のことはいえないが、勝田さんも変わった人で、よく我々若い者を引っ張っては飲み歩いた。ただごちそうしてくれるだけならいいが、夜分遅くなってから分厚い原書を取り出して「これを一週間で読んで来い」なんと言われるのには参った。冗談じゃない。一週間内なんて無理ですよと言うと、「君たちはまともに読もうとするからできないんで、斜めに読めば簡単にできるからそういう修行をしろ」と言って後に引かない。これが、遊びたいさかりの私たちにいい薬になった。
【覚書き|野村証券入社当時を振り返っての発言】


ダイヤモンドは中央の面を囲み、多くの面が多角的に集まって底知れぬ光を放つ。会社経営もまたかくありたい。一人の独裁でもいけないし、多数の悪平等でもいけない。個が集まって全を形成するが、個は全あっての個であり、個あっての全ではない。


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