天谷雅俊の名言 一覧

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天谷雅俊のプロフィール

天谷雅俊、あまや・がしゅん。日本の経営者。住金物産社長。東京出身。一橋大学社会学部卒業後、住友金属工業に入社。薄板第二部長、鋼板・建材カンパニー長、常務、住友金属小倉社長、本社副社長などを経て、系列会社の住金物産社長に就任。経営が傾きかけていた同社を再建した経営者。

経営哲学や経営理念を口で教えることは大切です。しかし、それだけでは駄目です。経営トップや現場の先輩がどんなに苦しい状況にも背を向けず、顧客の信頼を勝ち取る姿を見せることが、若い人を育てる最良の方法です。そして、若い人の意見を引出し、全員の士気を高めながら、適材適所の人材登用を積極的に行っていくのです。


経営環境の良いうちに次代を担う人材の育成や充実を図るしかありません。現在、「鉄鋼」「機械・金属」「繊維」「食糧」の4つの分野で専門性を発揮していく複合専業商社としての体質強化を目指しています。それには、各分野に精通した一騎当千の強者たちを育てていくことが重要になります。


現在は、世界景気拡大に伴い鉄の市況が堅調なこともあって、業績は最高益を更新中です。しかし、たとえ外部環境が悪化しても会社の基盤が揺るがないように、経営環境の良いいまこそ、手を打っておく必要があります。


振り返ってみると、住友金属小倉の時代が私のビジネス人生の中で一番苦しかったのかもしれません。しかし、いまとなっては楽しい思い出であり、その貴重な経験は住金物産の社長に転じてからも生かされています。


どんなに素晴らしい構想を打ち出しても、実行する人材がいなくては絵に描いた餅に終わります。当時、小型高炉の建設には200億円かかると言われていました。しかし、住友金属小倉の技術陣が叡智を振り絞って画期的な工法を編み出し、何と90億円で作り上げることができました。その高炉はいまも住友金属小倉の屋台骨を支えてくれています。


住友金属小倉に社長として就任した当時、平成の大不況で業績は極端に悪化していた。しかも、競争社会の中では当然であるが、分社化を悪くとらえ、存続を危ぶむうわさも流れました。主力製品はシャフトなど重要保安部品向けの特殊鋼で、並み居る強敵も数多く存在していました。住友金属小倉を蘇らせるために構想の要は何かを思案するうちに、古い高炉に目が向きました。通常、高炉は20年から25年も稼働し続ける。それだけに先を読む深謀遠慮が不可欠です。しかし、古い高炉のままでは、二・三年のうちに生産量や品質面で顧客のニーズに応えられなくなり、ジリ貧になっていくのは明白でした。多くの関係者を膝詰めで説得し、高炉建設という乾坤一擲の勝負に打って出ました。


バブル経済がはじけると、景気の落ち込みで製品が売れなくなりました。しかも、価格も下落しました。そんなときに救いの手を差し伸べてくれたのが、バブルのときに誠心誠意対応した得意先でした。


住友の家訓に「信用を重んじ、確実を旨とする」という言葉があります。私はこれを仕事上の信条にしていました。顧客あっての商売です。得意先大小合わせて500社ほどを、これまでどんなお付き合いをし、恩義を受けてきたのか、一社一社詳細に調べました。そして、関係の太さを考慮しながら、注文全部に応えられなくとも、信頼を失わないようギリギリの調整を行い、納得してもらいました。


私が初めて『三国志』を手にしたのは、いまから20年ほど前、住友金属工業の薄板営業部長の職にあり、吉川英治歴史時代文庫シリーズが刊行されたときです。全八巻を一気に読破しました。第一に人物眼が養えます。さらに、顧客のもとに足しげく通い、じっくり話し込みながら頭の中でめぐらせている戦略思考が鍛えられます。商社マンに限らず、ビジネスマンにとって必読の書といっていいでしょう。


我が社は「鉄鋼」「機械・金属」「繊維」「食糧」を4本柱に据えた専門商社です。その商社の財産は何かというと、人に尽きます。なぜなら、一人一人の社員がプロとして顧客に密着したビジネスを展開していく必要があるからです。加えて、その結束力も大切になってきます。


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