大浦溥の名言 一覧

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大浦溥のプロフィール

大浦溥、おおうら・ひろし。日本の経営者。半導体検査装置大手メーカーのアドバンテスト社長。東京大学法学部卒業後、富士通信機製造(のちの富士通)に入社。同社で人事教育部長、総合企画室長、関連事業部長、東支社長代理、東京支社長などを務めたのちアドバンテストに移籍、社長・会長を務めた。経済同友会幹事、経済団体連合会理事、日本電気計測機器工業会副会長なども務めた経営者。

問題は先送りにせず、その場で決断を下す。これが会社経営にとって一番大切なことでしょう。


少しでも決断が遅れていたら。いま考えると背筋が凍るような経験を何度もさせられました。生産中止の判断が一カ月遅れただけで、おそらく会社中に在庫の山が築かれ、大赤字を余儀なくされたでしょう。それほど、半導体産業の変化は急だったのです。なんとか他社より早くリストラの手を打つことができ、厳しい半導体不況を乗り越えてこられました。その結果、会社の体質は筋肉質となり、多少の不況にはびくともしなくなっています。


私は若いころ、富士通で中興の祖と呼ばれた岡田完二郎さんの秘書として、彼の物事の決め方をそばで見てきました。岡田さんは周囲の反対を押し切ってコンピュータ産業への進出を決めたわけですが、この決断がなければいまの富士通はありません。私はそういう姿を見ながら育ち、大変貴重な経験をさせてもらいました。次世代の経営者を育てるという意味でも、トップの決断は大切だと思います。


日本の金融機関がなかなか立ち直れないのも、原因は決断力不足にあるのは明白です。なぜ決断が下せないかというと、現場の情報が少なすぎるからです。私はよく「そんなに簡単にリストラを決断できるね」と聞かれるのですが、現場の情報が詳しく入ってくるから、どうしても手先手先で手を打たないと怖くなってしまうのです。


2001年度には売上高が前年の3分の1になるという大不況を経験しました。このときはさすがに240億円の赤字を出しましたが、実質無借金経営で自己資本比率が80%と高い筋肉質の体質のおかげで乗り切ることができました。


私が富士通の常務からアドバンテストの社長に移ったのはバブルがピークに達した1989年です。バブル時代に造られた負の遺産は大きく、12年間の社長時代はまさにリストラとの格闘でした。その中で、私が最も大切にしてきたのが、素早い決断と現場との密接な関係だったのです。


優秀な人材はいっぱいいるわけです。優秀な人の能力が素直に発揮できるような環境を作ってあげることが、私の仕事だと思います。だから年中、「おまえら、やっている本人がその場の専門家なんだ。一人一人がみな専門家だ。その専門家が十の能力を持っていたら、十の能力すべてを発揮できるように努力してくれ」と言っているんです。全員が十の能力を発揮すれば、ものすごい力になります。


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