大川博の名言 一覧

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大川博のプロフィール

大川博、おおかわ・ひろし。東映の実質的な創業者。中央大学法科在学中から鉄道省入省。鉄道省事務次官を務める。経理の才能を発揮し頭角を現す。その後、同省OBの五島慶太にヘッドハンティングされ東急に入社。次長、事業部長、専務、副社長として五島慶太の右腕として活躍。債務超過で潰れかかっていた3社(東横映画、大泉映画、東京映画配給)を合併させ東映を発足させ、同社の経営再建に成功した。またプロ野球の振興に励み東急フライヤーズ(のちの日本ハムファイターズ)オーナー、パ・リーグ初代会長を務めた。そのほか、日本経済団体連合会常任理事、日本映画産業団体連合会会長、映倫維持委員会常任委員会委員長、中央大学理事長、中央大学学員会会長、東横学園理事長、日本教育テレビ(のちのテレビ朝日)初代会長・2代目社長なども務めた経営者。

「まったく、素人よりコワイものはない」と、一同は大ビックリの、大むくれだった。ところが、こちらはその素人が付け目で、盲ヘビに怖じぬのが唯一の手でもあったので、わかるの、わからぬのと言われても一切平気の平左、いささかムシのいい考えのようであったが、少しでも安く写真(映画)をつくり、少しでも多くの収入を上げることを願い、少しでもこの窮地を抜け出す足がかりをこしらえたいと思った。
【覚書き|東映の経営再建に乗り出したとき、映画制作費の上限と1本あたりの利益目標を従業員に提示したことを振り返っての発言】


上手くいくかどうかわからぬとしても、わからぬながらどこまでも一生懸命やってみると覚悟を決めた。いまとなって、上手くいくと考えていたと言ってもそれは嘘になる。
【覚書き|東映の社長に就任したときを振り返っての発言。赤字の映画会社3社を合併させてできた同社はいつつぶれてもおかしくない状態だった】


あとでわかったことだが、あまりに五島(慶太)さんが私を持ち上げられたので、社内には相当反感も起こって、私の入社を冷たい目で迎えた連中も出てきていたようである。しかし、私はひたすら、五島さんの知遇に、実際の働きをもって応えさえすればよいと考え、毀誉褒貶(きよほうへん)をかえりみず、ただただ自分の仕事に精魂を打ち込むことにした。何事も実績によって理解を勝ちうるが一番と、それこそ必死の努力を己が職務に傾倒したものだった。
【覚書き|東急にヘッドハンティングされた当時を振り返っての発言】


入社に伴う私の地位などについても細かく心遣いをされていた模様であるが、私は最初の地位や待遇などはどうでもよい。正式なポストは、働いた結果を認めてのうえのことにしていただきたい。とにかく、五島(慶太)さんの知遇に応えて、うんと頑張って働こうというだけの考えで、自分からは何もそれについての希望を述べなかった。
【覚書き|東急にヘッドハンティングされ、出社一週間前に五島慶太氏と話したことについて振り返っての発言】


人間、人の師になるということも、なかなか得難く、また嬉しいものである。


まったく人間の運命というものはわからない。一寸先は闇である。幸いにこのとき、私は生き残るほうの運命に噛り付いたが、その運命をもたらしてくれたのが、じつはたった一片のこの電報命令だった。
【覚書き|関東大震災直前、高崎での鉄道省の講習会で講師をせよという電報を受け、高崎に向かったことで震災に巻き込まれずに済んだことを振り返っての発言】


実を言うと、私は五島(慶太)さんから初めてお話があると、ただちに映画事業の客観的な分析にとりかかっていた。そうして、3社の業績不振がいかなるところに根ざし、経営の不合理がいかなる点に潜むかを徹底的に追究した。
【覚書き|五島氏からのちに東映になる映画会社3社(東横映画、大泉映画、東京映画配給)の経営再建にあたってほしいと打診を受けたときを振り返っての発言】


映画といえども企業は企業である。企業の要となる経理を自分でしっかり押さえてかかるならば、映画企業も立ち直りの例外となるまい。
【覚書き:東映の新社長に就任した時を振り返っての発言。東映は東横映画、大泉映画、東京映画配給の赤字3社が合併して発足した。】


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