大八木成男の名言 一覧

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大八木成男のプロフィール

大八木成男、おおやぎ・しげお。日本の経営者。帝人社長。東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、帝人に入社。化学品開発部、米国バブソン大学でMBA取得、医薬営業企画部長、東京支店長、執行役員、医薬営業部門副部門長、医薬事業本部長、子会社の帝人ファーマ社長、本社常務、専務などを経て社長に就任。帝人の医薬医療事業部の立ち上げから参加し、同事業を大きくした経営者。

私は上司から文章を細部にわたって叩かれ続けてきました。徹底的に叩かれることによって、文章を書く経験は厚みを増していきます。部下にきちんとした文章を書かせたいと思ったら、叩くという作業もときに必要なのです。


医薬グループの課長時代、中国進出の現地調査の決裁を上司に仰ぎに行きました。上司は「現地に行って一体何を質問したいのか、質問項目を100個書いて持って来い」と命じました。ところが、どうしても80項目を超えることができませんでした。すると上司は、コツがあるのだと教えてくれました。まず大きな質問項目を10個考える。それができたら、そのひとつひとつについて10個の質問項目を考えればいい。ステップを踏めば、質問を100や200考えることなど容易なことだと。


ドイツの製薬会社ベイリンガーインゲルハイムの子会社に、ディ・アンジェリというイタリアの製薬会社がありました。まだ私が30代の後半だったころ、当時のディ・アンジェリの社長のドクター・バンキに面会しました。私と同世代の彼は、後年、ベイリンガーインゲルハイムのワールドワイド・チェアマンまで登りつめた人物です。ドクター・バンキは私を社長室に招き入れると、「君、経営とはつまりこれだよ」と言って、壁にかけられた額を指さしました。そこには「Keep it simple, stupid.(単純にしろ、バカ野郎)」と書かれていました。


30代半ばを過ぎて部下を持つようになると、どの企業でもさらに高いレベルの働き方を求められるようになります。それに応えるためには、自分で自分を高度化していかなければなりません。学び方もより拡張的になり、最後は発展的学びというところまで高める必要があります。ところが、基礎ができていないとそこには進めません。


ビジネスマンに求められているのは単一の能力や専門性だけではありません。専門分野の枠を軽々と越えられるようなスキルがなければ、仕事にダイナミズムは生まれません。そして、そのような働き方を実現するためには、あらゆるジャンルの、せめて基本には通じていなければならないのです。


米国留学から帰国してからも、終業後に上智大学の会計講座に通ったり、英文速記を習ったり、自分にとって仕事のツールになりそうなものは片っ端から身につけました。パソコンやワープロも市場に出るや、すぐに大枚をはたいて買い求めました。多少懐は痛みましたが、新しいツールは人より少しでも早く先に学んだ方が価値だと思ったのです。


私は、読み終えたらいったん本を閉じ、そこに何が書いてあったかを頭の中で思い出して、それらが自分の生活や人生にどのように反映させられるかを考えるようにしています。


米国留学で得た大きな収穫のひとつは、10のうち8の力を準備に使うくらいの覚悟がないと、交渉の席についてもらえないということを学んだことです。そのころのアメリカでは、アジア人は常に身分証明書を5種類携帯することが義務付けられていました。ひとつでも足りないと両替もしてくれず、どんなに頼み込んでも絶対に首を縦に振ってくれません。アメリカというのは万事がこの調子でした。


「自分にはツールがない。ツールを身につけないと大変なことになるぞ」これが、私が入社して最初に痛感したことです。それなりに自信もありましたが、実際に入社してみると、朝から晩まで失敗の連続です。書類の清書を任されると、自分ではちゃんと書いたつもりなのに、いくつもミスが見つかる。英語の議事録を書けば、こんなものは使えないと投げ返される。海外の取引先宛の社長のレターを私が清書したら、投函したあとにカンマとピリオドが間違っていたことが発覚し、羽田空港まで運ばれていたレターを取り返しに行ったこともありました。


私が入社した当時の帝人は、ちょうど創業時から手掛けてきたレーヨン事業から撤退したばかりで、繊維に代わる新しい方向性を探しはじめたところでした。私は「新しい事業なら上に人がいないから、早く第一線で活躍できる」と思い、この会社を就職先に選びました。


58歳になってから猛烈に仕事をしたんです。もう第4コーナーを回ったんだから、最後の直線を全速力で駆け抜けるんだと。12時前には家に帰らない。ともかく仕事をやるんだと。過去、年上の上司をそう言ってたきつけてきたので、自分も最後は駆け抜けなければ。そんな思いでこの数年を生きてきました。


大企業にいながら、ずっとベンチャー企業みたいなことをやっていました。上司から常に言われていた言葉は、「人につくな、仕事につけ」でした。上司の言うとおりに動いても新規事業は駄目です。自分の知識とアイデアと行動力がすべてなんです。


新規事業部は、ここに骨を埋めるんだと決意した瞬間、チャレンジ集団に変わるんです。ちょっとちょうぢがよくなってくると、もうチャレンジ、チャレンジ、チャレンジですよ。
【覚書き|医薬医療事業部の立ち上げにゼロから参加したときを振り返っての発言。】


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