塩原研治の名言 一覧

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塩原研治のプロフィール

塩原研治、しおはら・けんじ。日本の時計職人。高校卒業後、セイコーのクォーツ時計を専門につくっていた島内精器(のちのセイコーエプソン島内事業所)に入社。セイコー技術研修所で時計の組み立てを学ぶ。国際技能競技大会(技能五輪)に出場しアイルランド大会時計修理部門で金メダルを獲得。その後、セイコーにて数々の新製品の立ち上げ、量産化の仕事に携わる。時計製造の技術の継承を目的としたマイクロアーティスト工房をセイコー内に設立。同工房が製作した機械式複雑腕時計「クレドール・ノード・スプリングドライブ・ソヌリ」は年間5点限定、定価1500万円でありながら発売後注文が殺到した。国家検定時計修理1級、厚生労働省卓越技能者「現代の名工」認定、黄綬褒章受章。

技術の伝承とは、既存の知識を勉強するところにではなく、いま、一番むずかしい課題を突破するところにしかありません。つまり、そのためには、まず自分たちが先輩から受け継いだ技を少しでも高めないといけないわけです。


私は不器用なタイプなのですけど、時計の修理においてはそれもひとつの個性と捉えて、直観でパッと仕事を進めるのではなく、あらゆる方法を試してから最善の方法を見つけるという手順を追求することにしたんです。


セイコーの研修センターの先生は、「教えられたことをしているだけでは応用してものを考えて実行することができないから、世界では勝てないのだ」という考え方を徹底していたんです。しかも、ただ放任というのではなく、「○○を一時間以内に、○○の精度で」と、こちらに与える課題がとてもハッキリしていて適切なんです。課題を解くために必要な工程を自分で工夫して作るので「やらされるもの」にはならない。おかげで、自分だけの領域を開拓する楽しみにのめりこみました。


セイコーの研修センターでは訓練を「やらされている」という印象は全然ありませんでした。それは指導員が素晴らしかったからだと思います。研修センターの先生は、1967年に、スイスの天文台が主催する時計コンクールの「ニューシャテル」において、機械式時計の精度を1日5秒以内どころか0.03秒以内の誤差にまで高めた、当時で間違いなく世界最高の水準に達していた時計職人でした。「後輩が先輩を越えていくのは当然」というのが基本的な姿勢で、つまり先生のやり方を押しつけることがないんです。教えることをしない。「この修理は最初にここから」なんて説明はいっさいありません。修理の順番も方法もこちらが自分で考え、必要な道具についてもそれぞれで改良していくんです。


セイコーの研修センターは土日になると休みなのですが、休みは「カリキュラム通りではなく時計の勉強を自由にできる日」と思っていたぐらい、時計の世界に入りびたっていました。


諏訪の研修センターには偶然ですが知り合いが一人いました。高校の先輩が私と同じように島内精器(のちのセイコーエプソン島内事業所)に入って諏訪に来ていたのです。話をしてみたら「技能五輪というものがあって……」と目を輝かせて熱心に時計の勉強をしていました。その先輩は一年後にセイコーではじめて技能五輪において世界一になった人だったのですが、その熱意に惹かれて、時計の勉強にすごくはまりこんでいきましたね。
【覚書き|修行時代を振り返っての発言】


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