堀江薫雄の名言 一覧

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堀江薫雄のプロフィール

堀江薫雄、ほりえ・しげお。日本の経営者、経済学博士。東京銀行頭取。徳島県出身。東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、東京銀行の前身である横浜正金銀行に入行。海外支店に勤務。終戦後、横浜正金銀行改組室長に就任し、東京銀行への改組を担当。取締役、常務、副頭取、頭取、会長を歴任。国際金融問題の権威で、経済審議会、関税率審議会などで活躍。東京大学、京都大学で講師として国際金融論を教えた。主な著書に『国際為替金融講話』『国際金融講義』『国際通貨基金の研究』『国際経済論』『国際金融』など。

不安や人気の勢いというものは恐ろしく、また信用というものは微妙なものである。
【覚書き|第一次大戦中の好景気と、その後に発生した金融パニックについて語った言葉】


横浜正金銀行(のちの東京銀行)では、「たとえ間違った意見でも、黙っているよりは勝る」という考え方が強かった。何事にも意見を持てということであり、これは行員対支店長、支店長対重役、重役対頭取いずれの場合もそうであって、オピニオンとオリジナリティのない者は駄目とされていた。大多数の正金の人間が、いつも勤勉努力して、緊張感を持ち続けてきたのは、おそらくこのせいではなかろうか。


横浜正金銀行(のちの東京銀行)には、正金スピリットという伝統的な気風があった。これにはそれなりの背景もある。

  1. 人員採用が厳重なため優秀な人材が集まること。
  2. 身分保障がしっかりしていて、正金を生涯の働き場所と決めることができたこと。
  3. 首脳部が常に他の銀行界に劣るような待遇を行員に与えてはならないとし、銀行の利益と名誉を守るという精神に徹していたこと。

支店長といえば、正金(東京銀行の前身、横浜正金銀行)では、支店長と呼ばずに支配人といったが、支配人に何でもできる広範な権限を与えていたことがひとつの特徴であった。これは外国為替という仕事が、遠隔地の間にまたがり、また敏速を要するという関係もあったであろうが、やはり、上下の信頼関係がスムーズであった証拠である。


思うに昭和2年の金融パニックは、第一次大戦後の日本経済のインフレ病を大正9年のパニック処理で完全に治療、回復させていなかったことに原因する。それ以降、依然として放漫な経営を続けた業者と銀行とが、いつかは徹底的な手術をしなければならない運命にあったわけだ。それを怠っていたところへ、さらに世間一般の不安と不信の真理に勢いがついてどうにも処理できなくなったのが、昭和2年の金融パニックの実態であろう。


横浜正金銀行(のちの東京銀行)は上下の信頼感が強く、四季の儀礼的な挨拶や贈答などは一切しないでよいことになっていた。その半面、頭取や重役の門戸は行員のためにいつも解放され、下の者が上役を役名で呼ばず、たとえ頭取でも井上さん、児玉さん、大久保さんなどと呼んだ。


横浜正金銀行(のちの東京銀行)には、一種の正金スピリットという伝統的な気風がある。それは行員が上下一体となって協力し、己を捨てて銀行のために尽くし、銀行を通じて日本国の国際発展に寄与しようという気概である。私は入行してすぐ、この正金スピリットに触れて、心から頼もしく感じた。


このような国際環境の中では、我が国も百年の大計を立て、外国企業の直接投資自由化にも積極的な姿勢で取り組み、また日本企業の海外進出も進んで行うべきである。かくて、経営や資本そのものが日本へ入り、日本からも盛んに出ていくのが、将来の大勢ではないかと思う。こうなると相互にワールドエンタープライズへの発展ということになる。


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