坂本幸雄の名言 一覧

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坂本幸雄のプロフィール

坂本幸雄、さかもと・ゆきお。日本の経営者。エルピーダメモリ社長。群馬県出身。日本体育大学体育学部卒業後、半導体メーカーの日本テキサス・インスツルメンツへ入社。米国本社勤務を経て同社で20年勤務し、日本法人副社長まで勤め上げる。その後、神戸製鋼半導体事業副本部長、神戸製鋼社長補佐、半導体委託製造の日本ファウンドリー(のちのUMCジャパン)社長を経て、エルピーダメモリ社長。

僕は臆病だから、逆にいろんな判断ができるのでしょう。


競争が厳しい世界にあっても、僕の理想は社員が幸せになれる会社です。そんな会社をつくるため、一緒に世界一になりましょう。
【覚書き|台湾メーカーとの合弁会社をつくったときの発言】


不況時は好況時の5倍くらい動き、考えるので、市場が悪いときほどいろんなアイデアが出てきます。精一杯考え、仕事に集中するから逆に今が不況だという閉塞感がなくなります。不況時に本当に動きながら考えた会社が、好況時に強くなれます。イージーに過ごした会社は好況の果実をもらえません。


僕は社員たちと現場の情報を共有したうえで、常に一緒に動きながら考えます。社長室も専用車もなければ、海外出張も一人です。自分としては経営者というより、運動部のキャプテンのような感じです。


右に行くと決断し、間違ったら戻ればいい。そう決めておけば決断することは怖くありません。


学生時代に同じく体育系だった経営者と互いに納得したことがあります。スポーツにはシナリオがなく、思った通りにならないのでじっと座ってではなく、動きながら考えなければならない。ビジネスも同じだと。即断即決で動かないとその間、社員が遊んでしまう。


そのまま残れば、次の社長になる可能性もありました。ただ、自分としては尊敬できる人のもとで仕事をしたかった。年齢的には当時50歳。もう一度、力を試してみようと退社を決断しました。
【覚書き|テキサス・インスツルメンツ日本法人の副社長を務めたのち、同社を退社したときを振返っての発言】


部下の弱い部分については、褒めた後に、ここはちょっとこう変えた方がいいんじゃないかと言うと、弱点の部分は徹底して勉強しようという気になります。僕は日本にいたころは、部下に対してキツイ言葉を吐いたり、手を上げたりしました。でも人間褒めないと伸びません。


その上司は、僕の2年間の在米中、一度も声を荒げたことがなく、常に褒めてくれました。僕が何か判断すると、これはいいねえ、君じゃなければできないね、と。そう言われると人間って、すごく頑張るんです。
【覚書き|テキサス・インスツルメンツの米国本社勤務をしていたときのアメリカ人上司について語った言葉】


不思議なのは病気を機に、結果に対し割きりができるようになってから、昇進のスピードがさらに上がっていったということです。ヒラから部長までと、部長から役員までとは後者の方がハードルは高いのですが、以降は2年にワンランクのペースで上がっていきました。


結果は求められなければなりませんが、プロセスが悪かったら意味がありません。ベストを尽くせば結果はついてくると割り切れるようになりました。


それ(仕事のし過ぎで十二指腸潰瘍になり血を吐いて入院する)までは毎月の予算を達成するために、週に二日は徹夜をするほど仕事に追われました。結果に対してセンシティブになり、最後の最後までやらないと気が済まない。体力があった分、逆に限界を超えてしまったのです。それからは最大限の努力をして、そのうえで結果が悪かったら仕方がないと思えるようになりました。


数字が全部頭に入るまで、資料は読み込みます。


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