吉田松陰の名言 一覧

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吉田松陰のプロフィール

吉田松陰、よしだ・しょういん。幕末の武士、思想家、兵学者、教育者。長州藩士。6歳のときに叔父で山鹿流兵学師範の吉田大助の養子となる。叔父の玉木文之進の開いた松下村塾で学ぶ。アヘン戦争をきっかけに西洋兵学に興味を持ち、九州に遊学。遊学後は江戸に移り、佐久間象山に師事する。黒船に密航した罪で幽閉の身となったのち、松下村塾を引き継ぎ、伊藤博文、高杉晋作、山形有朋など次世代を担った人物たちを教育した。

生死は度外(どがい)に置きて、ただ言うべきを言うのみ。


才あれども勤めずんば、何をもって才を成さんや。


士は過ちなきを貴しとせず、過ちを改むるを貴しとなす。


学 ゆるむべからず、一日をゆるめば、まさに大機を失せん。


天下才なきにあらず、用うる人なきのみ、哀しいかな。


仁人は天下に敵なし。
【覚書き|慈愛の深い人には、この世に敵はない。】


進むこと鋭き者は、退くこと速かなり。


聖人の胸中は常に多事(多忙)にして楽しむ。愚人の胸中は常に無事(暇)にして楽しまず。


材なきを憂へず、その材を用いざるを憂う。


創業は難しいようで易しい、守成は簡単に見えて難しい。


古より大業を成すの人は、おだやかで人と争わず、ゆったりとして物静かである。


古より議論は易(やす)くして事業は難(かた)し。
【覚書き|事業=物事を実行に移すこと】


何事も ならぬといふは なきものを
ならぬといふは なさぬなりけり


君子に大切なことは、志と肝だけである。志がなく、肝がすわっていなければ、わずかな才能や知識があったとしても、何の役に立つであろうか。


あらゆる能力が備わっていることを、一人の人に求めてはいけない。


志を立てたならば、まずひとつのことから、思いついたその日から始めるべきである。


志をもっている人間は、何かを目にしたら、必ず心中に感じるものがある。


順境にある者は怠りがちである。また、逆境にある者は励みやすい。


恥を知らないということほど恥ずかしいことはない。


学というものは進まざれば必ず退く。故に日に進み、月に漸(すす)み、ついに死すとも悔(く)ゆることなくして、始めて学というべし。


人の精神は目にあらわれる。だから、人を見る時には、目を見ることが大切。


志を立てて始めたことは、全身全霊を尽くして行い、やめるのは死んだ後だけである。


俗人が見るのは形である。君子が見るのは心である。


得ることが難しく、失いやすいのは時間である。


何もせずに機会を失ってしまうのは、人の罪である。


人には賢い人、愚かな人がいるとはいえ、それぞれひとつやふたつの才能がない人はいない。


世の中のことは、何であっても、全て自分の望み通りになるということは大変難しい。


賢明な君主や賢く優れた将軍など立派な上役というものは、まず心(腹)を決めるものである。上役の心が決まれば、部下たるもの、どうしてそれに従わないことがあろうか。


もし大将の心がふらふらしている時には、その下の将軍達にいくら知恵や勇気があっても、それを実際に使うことはできない。


死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。
【意訳:死んでも後世に残るだろうと考えるなら死んでもいい。生き延びて大きな仕事ができそうだと思うならどんな状況でも生き続けろ。】


天下のことをなすは、天下有志の士と志を通ずるにあらざれば得ず。


今日死を決する安心は、四時の順環において得るところあり。
【覚え書き|四時(しじ)=四季】


身はたとひ 武蔵の野辺に朽ぬとも 留置きまし大和魂


積徳積善(せきとくせきぜん)でなくては大事は出来ず。
【覚書き|徳や善行を積まなければ大きな仕事を成し遂げることはできない】


何事であっても、人に対する思いやりや慈しみの心を動機としないのであれば、どうしてなし遂げることができようか。


読書というものは、最もよく人の心を変えるものである。書というものは、何と恐るべきものだろうか。


人と交際する際には、あるがままの心で接することが大切である。


勉強しない人の気持ちには3つある。ひとつ目は、「年をとりました」と。ふたつ目は、「馬鹿ですから」と。そうでなければ、「私は才能が高く、もう学問は極めました」と。


同じではない人を同じにしようなどとせず、いわゆる、その人の優れた才能を育てることに努めるべきである。


立派な人物というものは、時間をかけてゆっくり成長するものあって、騒々しい状態では本物の立派な人物になることはない。


いたずらに身を衛(まも)ることを知る者、いずくんぞよく国(やす)を安んぜんや。
【覚書き|保身に走る人がどうして国を守れるだろうか】


身体が死滅しても、その精神が死んでいないものは、昔の聖人や賢者らであり、これらは永遠に朽ちることのない人である。身体は死滅していないが、精神が死んでいるのは、今のくだらない人間の類であり、生きながら死んでいる人である。


要は内に省みてやましからざるにあり。


人はただ真(まこと)なれ。真、愛すべく敬すべし。


人生というものは極めて短いものであり、夢、幻のようなものである。誹(そし)りを受けることも、褒められることも一瞬である。栄えることも衰えることも瞬時である。はかない人生である中で、ひとつだけでいい、永遠に朽ちない事柄をなし遂げられれば十分である。


大事なことを思い切って行おうとするとき、まずできるかできないかということを忘れなさい。


士(立派な人)が重んじるのは人徳であって、才能ではない。実際の行動であり、学問ではない。


人の心というものは、苦しめば奮い立ち、思うようになれば、怠けてだらけてしまうものである。


心の中に思うことがある者は、外の事物に対して感じやすいものである。


およそ学をなすの要は己がためにするにあり。己がためにするは君子の学なり。人のためにするは小人の学なり。


こまごまとしてわずらわしい規則や礼儀を作るよりは、君子が自ら模範を示して国民を教化する方が優っている。


利を争えば乱を長(ちょう)ずること、自然の勢いなり。
【覚書き|長ずる=助長する】


聖人もとより苛数(かすう)を以て人を責めざるなり。
【覚書き|聖人は相手の罪を数え上げて人を責めることはしない】


今人、大眼目(だいがんもく)なし、好んで些事末節を論ず。この弊(へい)読書人もっともはなはだし。
【覚書き|大眼目=ものごとを大局的に見ること】


君子は渇(かっ)すとも盗泉を飲まず。


貧賤をもってこれを軽蔑する者は、必ず富貴をもってこれに諂屈(てんくつ)す。
【覚書き|諂屈=へつらい屈すること】


立派な殿様、賢明な将軍であるか、あるいは、馬鹿な殿様、愚かな将軍であるか否かは、日ごろの生活において決まることである。つまり、日ごろの言葉や行いはそれぞれその人の遺言、臨終の時のいいつけと一緒である。


書を読む人は天下に満つれども、道を求むる者は絶えてなくして僅(わず)かにあり。
【覚書き|本を読む人はたくさんいるけれど、人の道を追求する人はわずかしかいなくなった】


彼の道を改めて我が道に従はせ難きは、なお我の万々(ばんばん)彼の道に従ふべからざるごとし。


地を離れて人なく、人を離れて事なし、人事を論ずる者は地理より始(はじ)む。


政(まつりごと)をなすの要は、人々をして鼓舞作興(こぶ・さっこう)して、各々自ら淬励(さいれい)せしむるにあり。
【覚書き|淬励=気を引き締めて励む】


才能を伸ばし、人としての徳を身につけることは、辛く、苦しいことだ。


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