古賀信行の名言 一覧

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古賀信行のプロフィール

古賀信行、こが・のぶゆき。日本の経営者。野村ホールディングス社長。福岡県出身。東京大学法学部卒業後、野村証券に入社。野村証券総合企画室長、事業法人一部長、人事部長、職員部長、企画担当、常務、副社長、野村ホールディングス社長・CEO、野村証券社長・CEOなどを務めた。

いっぱい経験を積み重ねてきた人ほど、過去の経験値の高さに頼ることの危険性を熟知しているものです。


楽観主義を貫けるのも、若さの特権のひとつです。


20年後、そして30年後を見据えると、その時代に直接関われる世代、すなわちコミットできるヤング世代が意思決定の中心であるべきです。「失敗した時は自分が被る」という覚悟がないと、良い決断はできません。


高齢化社会が今後進む中で、野村グループが続けてきた、若い人材が会社を支えるという「キープヤング」の精神が改めて求められていると感じます。会社を率いていく人や経営のど真ん中にいる人は、絶えず若い世代であるべきだということです。


最も効率よく、かつ広範囲に学ぶ術は、「できる人に聞く」こと。それも、一人でなく複数の情報源を持つことです。


ものごとを考えるときには、なぜそうなったのかを知ることが大切です。そのために、海外メディアから情報を取得したり、歴史を検証する必要があるのです。


新しいものの見方を身につけるには、やはり、異質の媒体に触れる機会を持つことが大切です。何か視点の違うものを用意しておかなければ、世の中をものすごく偏ったかたちで見続けることになってしまいます。


ファイナンシャルタイムズや、ウオールストリートジャーナルが海外の代表的な媒体でしょう。つぶさに読む必要はありません。見出しだけでもいい。日本ではまったく記事にもならないことが、少なくともどれぐらいの大きさで、どう報道されているかを知ることが大事なのです。そうすれば、世界の金融市場の鳥瞰図を描くことができる。古典的な言葉でいえば、大局観を養うことができます。


自分はわからないのに、これまでの自分の経験則や流儀を押し付けようとしても、うまく機能しません。


すべてのことを一人の人間がやり遂げることは、ほとんど不可能です。


人に質問して聞きっぱなしでは駄目です。人から聞いたヒントを手掛かりに本や資料などで自ら調べ追求する。そうすることで、人から聞いて得られた情報にも広がりが出るはずです。


アメリカやヨーロッパなどで起こったことが、日本市場にも影響を与えます。日本の新聞にも海外市場の情報は書かれていますが、その量は限られている。また、あくまで日本から見たアメリカ市場やユーロ市場であるのです。偏りをなくすためには、やはり、英語媒体にあたっていくしかありません。


市場の動きを判断する際にも、過去を振り返ることは有効です。私は、中長期的な統計データなどを眺めることが多い。そこから、現在の状況を推測します。


日々めまぐるしく変化する状況をすべて把握することは、大変難しい。私が日ごろから心がけているのは、ひとつの報道に踊らされず、偏りなく情報を摂取しようということです。そのひとつの方法として、英字新聞などの海外メディアに触れるようにしています。日本の新聞をすべて読んだとしても、内容にそう大差はありません。つまり、日本の新聞ばかりに浸かっていると、同じ視点のものばかりを眺めるだけになってしまいます。


野村証券に入社が決まっていたのに、証券取引法65条にある「銀証分離」すら、私は知りませんでした。そんな条文があり、意味が分かったのは、入社直前ぐらいでした。その程度の理解で、証券業界で仕事をすることになったのですが、企業社会で働くうえでは「わかりません」となかなか言えない。しばらくそういう状態が続いていたので、わからないものはわからないと言えるようになったのは、自分にとってある種のブレイクスルーでした。


わからないことをわからないと言ってしまえば、今度は自分の問題として覆いかぶさってきます。次は、いかに早くこれに対応するか。ここで重要になるのが、人に聞くことです。誰かに質問をする。その答えを教えてもらう。よほどのことがない限り、それだけでは終わりになりません。相手といろいろな話をするわけです。会話はどんどん膨らみ、余計な話が、知識に大きな広がりを持たせることになる。何より、人間関係を築くきっかけになるものです。


いまでこそ「デリバティブ」は華やかですが、この言葉が登場したころは、マネジメント層に、その仕組みを理解できる人はいなかった。その当時、どうしたかといえば、デリバティブを少しでも理解して、仕事として努力している人の能力を最大限に発揮させるようなマネジメントを行っていました。


野村証券から野村不動産に移った社員がまずすることは、早朝出勤です。証券会社は朝が早い。彼らにとってはそれが当たり前なんです。ところが朝早くに出勤しても、不動産の社員はまだ来ていません。しばらくして出勤してきた不動産の社員を見ていると、デスクワークばかりで、あまり動かない。証券から移った社員から見ると、ものすごく怠慢に見えてくるわけです。そこで電話営業でもしようかという話になりますが、朝から家を買おうなどと思っている人はほとんどいないんです。不動産の仕事を知っていれば、朝から営業しようなどという話は出ないでしょう。


インターネット全盛のいまは、誰かに尋ねるよりも、クリック一つである程度の知識、データを比較的簡単に得ることができます。かつて、書物や資料を探して、目的項目を見つけるという作業では、かなりの時間が必要でしたが、インターネットの普及で時間の問題は解決しました。半面、人に聞くことの効用まで奪ってしまいました。私もインターネットを利用しますが、主に統計データなどを探す程度にしています。やはり、わからないことはできるだけ人に聞くようにしています。


弊社は株式会社ですから、株主あっての弊社です。その意味では、株主が一番です。しかし、株主がただ弊社の株式を持っているだけであれば、何の営みも生まれません。株主だけを一番に据えているだけでは、弊社は意味がない。やはりお客様の存在があってこそ、初めて弊社は成り立ちます。その観点ではお客様が一番です。ところが、弊社には、お客様に満足を与えるビジネス上の責務があります。そのためには、従業員が働かなければ、お客様に満足を与えることはできません。やはり従業員も一番です。つまり、株主、お客様、従業員は切っても切れない関係だと思います。


新人時代、私は人事の仕事が長かったのですが、その後、引受部に移りました。部内会議に出席すると、そこで交わされる話は、言葉の3から4割程度しか理解できませんでした。意味不明の打ち合わせをしている。新しい部署に移って2から3か月は、わからない苦しみを味わいました。顧客からの電話を受けたときは最悪です。相手は当然、こちらが理解しているものとして話を進めてくる。とにかく冷や汗ものでした。しかし、あるとき「そんなことを急に言われてもわかりません」と言ったときに、自分の中で踏ん切りがつきました。つまり、きちんと調べて、改めて連絡すればいいという踏ん切りです。


人事異動で未知の分野の仕事を任されることになったとします。もちろん現場レベルは、その分野に精通している人たちでなければ仕事になりません。しかし、その上のレベルでマネジメントする人であれば、その仕事に詳しくなくてもいい。そこで大切なのは、知ったかぶりをするのではなく、わからないことを自覚することです。そうすれば、わかっている人にあるレベルまでは仕事を委ねることができる。


40代などすぐに終わってしまいます。「光陰矢のごとし」を肝に銘じるべきでしょう。


最近は40歳を過ぎても、「まだ自分は若い」「まだ自分の順番ではない」などと悠長に構え、アクションを起こさない人が目立ちすぎます。高齢でも元気で活躍する経営者が多い今だからこそ、40代がおとなしくしていてはいけません。会社のど真ん中に座ったつもりで、本気で先のことを考えなきゃいけません。


私は40歳の時に総合企画室長に就き、当時の4大証券による「損失補填事件」の対応に追われることになりました。この不祥事は、昭和の終わりのバブル経済が崩壊する過程で起こったものです。突然のトップ交代を間近で見ました。突発的な出来事を前に、右往左往するだけの役員も少なからずいました。こうしたことを通して、生意気にも「自分が(経営の)真ん中だったらどうすべきか」ということを考える癖がついたように思います。


私は52歳で社長に就任し、57歳でその座を譲りました。曲がりなりにも50代で重責を担わせていただけたのは、40代の様々な葛藤の賜物だと思います。


懸命な努力さえしていれば誰かがきっと見ていてくれる、と思い込むことが大切です。


日本の将来を変えられるかどうかのカギを握っているのは、40代の人たちだと思います。特に、日本人の職業人生で真ん中の節目に当たる45歳前後の人がキーマンです。


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