南部靖之の名言 一覧

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南部靖之のプロフィール

南部靖之、なんぶ・やすゆき。日本の経営者。人材派遣会社のパソナ創業者。関西大学工学部卒業直前、人材派遣会社テンポラリーセンター(のちのパソナ)を設立。企業の経営合理化の波に押されて急成長を遂げた。ベンチャー三銃士の一人と呼ばれた。主な著書に『人財開国』『自分を活かせ! 僕はどうやって自己実現したか』『頭のいい人材派遣会社の活用法』『感性ビジネス 創職は五感を狙え』『青年帝王学 器を大きくする七ヵ条』『起業家精神で挑む!クリエイティブ・パワー』『ベンチャー型人間が成功する 感性時代のビジネス行動学』など。

不思議なもので、会社は利益を最優先に考えると利益が出ないもの。


私の唯一の判断軸は、昔も今も、利益ではなく創業精神に沿っているかどうかです。


一流大学出だけ集めていると、企業は危ない方向に行く。


もっと人の力を信じ、活かす努力をしなければいけない。人はすごい力を持っている。それを活かせていないのは、経営者自身が「火事場の馬鹿力」を発揮したという経験をしていないからです。


よく人を見て処遇することも創業社長の仕事です。すべてを人事部長に任せようとするから、問題が起こるのです。


私はいつも社員に風船の話をしています。能力を風船にたとえると、大きな能力、つまり大きな風船でも息の吹き込み方が少なければしぼみます。一方で小さな能力、つまり小さな風船でも息を吹き込んでいたら舞い上がっていく。だから、日々、一所懸命に息を吹き込むように毎日を暮らしなさいと言っているのです。そして、目の前に困っている人がいたら、その人のために相談に乗ってやってほしい、と。


私は事業を社会貢献事業、文化創造事業、社会福祉事業の3つに分けてそれぞれやってきましたが、いずれも「先義後利(せんぎこうり)」、つまり先に義によってすべきことをして、後から利益がついてくればよいという考え方です。それゆえ、事業によっていろいろな評価をされているようです。


新しいものは、利益を生むかどうか分かりません。そこに投資するのは株価や利益を見通せるからとは限りません。利益を判断基準として決断し、追い求めると、短期的なヒット商品は生まれても、ロングセラーにはならない。また利益目的の事業は儲からないとやめたくなりますが、大義名分のある事業は土日でも徹夜でもやりたいと思うものです。つまり事業を長く続けるためには、哲学や理念がないとダメなのです。創業者にはそれがある。


働く者から見た豊かさは、お金以上に自分の夢の達成や自由な環境で仕事をすることにあります。


社会のニーズに応えるのが目的ではなく、働く側の立場で世の中の問題点を発見し、いかにそれを解決するかを考え続けました。「なぜ、子育てを終えた女性の働く場所がないのか」「なぜ、定年退職者の豊かな知識と経験を企業で活用できないのか」といったことです。正社員での採用があるなら、採用しやすい仕組みをつくればいい。そのひとつが人材派遣でした。


フリーターは統計を出すために総合的につられた名称です。時代をさかのぼると、プータロー、フーテンと呼ばれ、100年前には素浪人でした。坂本龍馬も脱藩した素浪人で、明治維新はフリーターが集まって大組織の徳川幕府を倒して成し遂げたのです。自由な立場の人が世の中を変えることは、歴史が物語っています。


すべての基本は「人」です。企業ならばいま、技術力や資金力だけでなくマーケティング戦略のような人的サービスも優れていないとモノは売れません。だから人材ニーズが多様化しています。人事部の役割は非常に重要です。今後は人事部の時代になると思います。


今後は、国の価値はGDPではなく文化で決まります。企業の価値も、売上高や利益や株価ではなく、文化や哲学で評価されるようになります。その文化や哲学を生み出すのは「人」だけです。


少子化で労働力が減るのは国家にとって困ることです。しかし、私は働く側の立場ですから、豊かさに対してワークライフバランスで考えます。「自分にとって大事なものを犠牲にしてまで、一生懸命働かなくてもいい」という考え方は、抵抗なく受け入れられます。いまは、大企業に入ったら使い捨ての人材で終わることを承知のうえで、自分を犠牲にして会社を守り、会社に尽くす時代ではないでしょう。


創業した当時、就職難の時代で、とくに大卒女子の就職率は16%でした。難関を突破して入社しても昇進で男性に大差をつけられ、さらに結婚して退職すると、もう一度働きたいと思っても再就職は不可能でした。そんな女性に雇用の場を提供することが、私の最初のビジネスでした。ターゲットを「子育てを終えた30代の女性」に絞り、雇用形態が正社員かパート、アルバイトしかなかった時代に、派遣という新しい雇用形態を企業に提案しました。


ものすごく忙しい人は何を頼まれてもこなしてしまうように、忙しく働けば働くほど、不思議とゆとりがみえてくるものです。「忙しい」ばかり口にして、時間に振り回されている人は、働き方が中途半端になりがちですね。


私も、忙しかった若いころでも、年に10日間は仕事のことを忘れて遊ぶ期間をつくっていました。それぐらいなら、若手のみなさんでも可能ではないでしょうか。


仕事ばかりのメリハリのない生活を続けていると、惰性で働くようになります。すると、新しい発見や感動がなくなり、感性も鈍ってしまう。これじゃあ、仕事の成果は挙がりませんし、人生もつまらないですよね。


弊社で効率を求めれば、一人でも多くのスタッフを企業に派遣することが目的になるでしょう。しかし、本当に大事なことは、スタッフの話にじっくり耳を傾けること。効率重視だと、それを忘れてしまう。話を聞くことは時間もかかりますが、20代のうちから、「そんな時間はムダ」と中途半端に働いているようでは、あとで大成しません。


20代のうちは、効率を求めないほうがいいですね。「ムリ・ムダ・ムラをなくす」なんて考えは捨てたほうがいい。効率を求めると、損得を考えて行動するようになります。すると、本質を見失ってしまうんです。


会社というのは、経営者の器以上には大きくならないもの。目の前の仕事に追われずに、自らに投資し、自らを成長させる時間をもつ重要性を痛感しましたね。


じつは若いころは「忙しい、忙しい」が口癖で、時間に追われるように朝から晩まで仕事ばかりしていたんです。でも、一度しかない人生を、「忙しい、忙しい」といって生きるなんてイヤだ。時間に料理されるんじゃなくて、時間を料理してやろう。40歳になったころから、そう思うようになったんです。


社員だけでなく、当社への入社を志望してくれた方にも積極的にお会いします。たとえば、新卒採用のときは、最終面接ではなく、一次面接で一人一人と会います。1000人を超えますから、なかなかたいへんですけどね。もちろん中途採用の面接も、同様に全員と会いますよ。


サービス業である当社の最大の財産は、「人」ですからね。私は、社員が結婚するときには、必ず自筆の書でお祝いメッセージを贈ることにしているんです。長さ1mぐらいの巻物形式なんですが、日々の仕事ぶりや激励など、個々に合わせたメッセージをしたためています。これができるのも、日ごろから社員とコミュニケーションをとっているから。スケジュールが空いていれば、式自体にも出席します。


私はCEOですが、その「E」はエグゼクティブではなく、エシックス(倫理)とエンカレッジ(勇気づけ)。つまり、会社を正しい方向に向け、社員を勇気づけることが仕事です。当社は社員が1000人以上いますが、誰がどんな人かは、だいたいわかっていますよ。


新規事業のための営業も毎日のようにしていますし、役員会や経営会議にも出席します。それからなんといっても、社員と触れ合う時間を多くとるようにしていますね。


トップが健康であることは、会社や組織にとっても極めて重要なことです。江戸幕府が260年も続いたのも、初代の徳川家康が長生きしたから。私も80歳、90歳まで元気に生きないと、大きな仕事が成し遂げられないなと思っています。


どんなに忙しくても、毎日2時間は身体を動かしています。都心のホテルのスポーツジムやテニスコートは、夜通しオープンしていますからね。そこで汗を流すのが日課です。いまでも、テニスや腕相撲は、若い人に負けるつもりはありません。夜に運動すると、エネルギーを使い果たすので、ぐっすり眠れる。だから、翌朝スパッと目が覚めて、気持ちよく一日のスタートを切れるんです。


これからの社会は気づきや人の活用の仕方をあらためて考え直す時期です。職場環境を見直すことで、その会社がもっと社会や人の役に立てることに気付くはずです。


パソナ本社に飾られている絵は、すべて障害者の方々が、自由に描いたものです。何も知らず、会社を訪問する方々の中には、「絵を譲ってほしい」と言う人もいます。障害者の人が、何事にも一心不乱に集中して作業し、人並み外れた才能を発揮するように、天は違う才能を与えています。才能を引き出すため、福祉施設に隔離するのではなく、企業としても何か、自主的な仕組みを構築するべきです。


世の中には足が速い子もいれば、算数が得意な子もいます。フリーターやニートと呼ばれる方々にも、必ず何か才能が与えられています。仕事でもそうです。そうした才能を引き出し、チャンスを与えることが大事なのです。そうした仕組みをつくっていくのがパソナの使命だと自負しています。


私は禅の教えの影響を受けました。幼い頃、男兄弟の末っ子でヤンチャだった私は、大学卒業まであるお寺に預けられ、書生として育ちました。そこで、世間の常識にとらわれず、惑わされない心を学びました。それが現在の仕事につながっています。


いま喉元過ぎればなんとかでリスク分散について話をする人が減っていますが、これはコストがかかってもしなければいけないことだと思います。


私が学生の頃、試験の成績が悪くて落ち込んでいたら、父が「何を恥じることがある。人に迷惑を掛けたら恥じよ。試験の成績が悪いのはお前が寝坊したからだ」と叱られた。言われてみれば、周りに対して恥ずかしいと思っていたが、成績が悪い理由は自分が勉強しなかったからだと気が付いた。


私が子供の頃、母が「算数で100点取るも、100メートル走で1番になるも、絵が上手に描けるのも、ピアノが上手なのも同じよ」と話してくれた。世間には物差しがいくつもあることを教えてくれた。


社会にとって必要なことをやればやるほど、問題が起こる。何か問題が起こると、それを取り仕切ろうとする。規制を作り、お互いを縛ろうとするのは好きじゃない。規制は緩めて、本来のもっと伸びやかで自由な発想で考えないと経済の停滞はまた起こると思います。


IQとEQが経営上とても必要だと思う。そして、もうひとつSQが必要だと思う。スピリチュアルのSです。前向きでヤル気があって、向上心があることが重要です。


社会の問題点を考えて事業を始めて行くと、不思議と事業になって利益もついてくる。だから、社会の問題点を解決するという企業理念を最初に確立できたことは非常に大きかった。


実はあるエグゼクティブなリーダーが私と面談したおりに、自分の10年間の実績を語り、自己PRしたことがありました。しかし、私は一秒で断りました。どんなにすばらしい実績があっても自分の理念と合わなければ活躍してもらうのは難しいと判断したからです。


私はM&Aには積極的ではありません。事業規模の拡大だけをめざすのは、私の創業精神とは外れますから。


父は常日ごろ「人生での苦労はすべて勉強」だと言っていました。卒業のときに父からもらった言葉は、「土薄(つちうす)き石地(いしじ)かな(石ばかりの地面から根を張って芽を出すのはエネルギーが要るけれども、いったん根を張ればあとは強い。だから苦労は買ってでもせよという意味の言葉)」です。またナポレオンの「英雄は若者から生まれる」という言葉もよく聞かされていました。


日本企業は海外とも戦いをしていますが、勝つためにはアントレプレナーシップ(企業家精神)が必要です。ですから私は、自分の子どもに対しても学費を出さず、「自分の力で大学に行け」と言いました。でも父親が金持ちだと、日本では奨学金をもらえないのだそうです。そこで娘はファミリーレストランでアルバイトをし、結局、奨学金制度が整っているアメリカの大学に進学しました。アメリカではロックフェラーのような大富豪でも子どもの入学金など出しません。


母も、私の価値観を形づくった重要な一人です。小さいころ、私はよく外で絵を描いていました。絵が好きな友だちと一緒に描いていたのですが、友だちは家に帰るなり「こんな遅くまで何をしていたんだ」と親に怒られたそうです。「また、南部君と一緒か!」と(笑)。でも、南部家は違いました。母は、私の絵を1枚10円で買ってくれたのです。そしてこう言いました。「算数で100点をとるのも、100メートル走で一番になるのも、絵で一番になるのも、すべて同じ才能だ」と。つまり勉強で一番になることが人間の価値ではなく、その価値の考え方は多様なのだと教えてくれたのです。だから私は勉強ができる者、スポーツができる者、両方の友だちがいました。私はもらったお金で新しい絵の具を買いました。そして「絵だけはだれにも負けない」という自信をつけました。


私がパソナの前身である「テンポラリーセンター」を興したのは、父の一言からでした。当時は、大学を卒業したら就職するのが当たり前の時代。「学生ベンチャー」という言葉も発想もなく、私もご多分にもれず、就職活動をしていました。でも内定を決められる雲行きはよくありませんでした。ある日、父から「就職決まったか」と質問され、正直に「むずかしい」と答えました。すると父は「就職活動を通じて、何か気づいたことはないか」と尋ねるので、「ぼくよりも女子大生がたいへんだ」と答えたのです。当時、男子大学生のほとんどは就職するのに、女子大学生の就職率は低く、大学でせっかく勉強しても、企業は彼女らを採用したがりませんでした。さらに問題だと感じたのが、一度家庭に入った主婦たちです。子育てを終えたあと、職場復帰する人はほぼゼロパーセントでした。父は私の報告を聞くと「面白い」と膝を打ち、「この社会問題を解決しなさい」と私に言いました。つまり、女性の雇用拡大に寄与する事業をしろ、というのです。


私は最初から、社会の問題点を解決するということを経営理念として掲げていました。だから売上をいくら上げるとかということではなく、雇用を生むことによって社会問題を解決するということで人材派遣会社を創業したのです。まだ関西大学の学生だった24歳のときでした。


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