千本倖生の名言 一覧

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千本倖生のプロフィール

千本倖生、せんもと・さちお。日本の経営者。イー・アクセス、イー・モバイル会長。奈良県出身。京都大学工学部電子工学科卒業後、日本電信電話公社(のちのNTT)に入社。フルブライト留学生としてフロリダ大学大学院修士課程に留学。同大学大学院博士課程を修了し工学博士号(電気工学)取得。近畿電気通信局技術調査部長などを経てNTTを退社し、第二電電(のちのKDDI)を共同創業し専務に就任。第二電電副社長、DDI東京ポケット電話社長などを務めたのち第二電電退社。慶應義塾大学経営大学院経営管理研究科教授を務めたのち、イー・アクセスを創業し、同社を約5年で東証一部に上場させた。そのほかカルフォルニア大学バークレー校経営大学院客員教授なども務めた経営者。

競争を疲弊と恐れて内に篭ることなく、切磋琢磨して、より強くなることを目指すべき。


競争を回避したり、新しく出て来るフレッシュなチャレンジャーや新たなアイデアに背を向けた途端に、社会のニーズと離れていく。


不況を、長期成長戦略を練り直す好機ととらえ、そのために時代の大きな流れ、現実や変化を国際的な視野で迅速につかむ必要がある。


常に意識すべきは消費者です。消費者にいかに近いところにいるか、現場をいかに大事にしているかが重要。


起業は9割が苦労。喜びは1割しかない。それでも、世のためになる事業であれば、挑戦する意義は非常に大きい。


決断するには心理的な突貫力、勇猛心というべきものが必要です。賢いだけではダメで、いい意味での無頼性のようなものがなければ、何事も起こせない。


自分の思いをアクションとして起こさない限り、世の中は変わらない。


決断するにあたって最も大事なのは、頭がいいことでも見事な分析でも的を射た批判でもなく、アクションをとること。


経営者には何よりも強い思いと熱意が必要。


世間がどう言おうが、世間の常識に反してでも信念を持って決断を下さなければ、大きな事業はできない。


困難や危機に際して小手先の対策をとったり、右往左往したりしてはいけません。後退して原点に戻ることが非常に大事です。


松下(幸之助)さんや稲盛(和夫)さんに教えてもらったのは、「やめたときがプロジェクトの失敗だ」ということ。


大きな経営判断を下すには、自分の周りや国の中ばかり見るのではなく、世界がどう動いているかを見ることが欠かせません。


起業が日本の将来を決めます。世界にインパクトを与えるようなベンチャーが、日本から1社でも多く出てきてほしい。


「千本さんだからできたのでは」と言われることもあります。ただ、大きな志と、世の中の常識にとらわれない心を持てば、必ず一歩を踏み出せます。


認識しているだけではダメ、決断しアクションに結び付けないといけません。一歩を踏み出すか踏み出さないかは、天と地ほどの差があります。


会社は誰がどう経営するかで決まる。もちろんビジネスプランも、周到にきちっとやることが大事ですが、誰がやるかが最も大切。


イー・モバイルは独立ベンチャーで、あるのはビジネスプランだけだった。


我々は真っ白なキャンバスに次世代用のネットワークを一番最適なやり方で創っている。完璧な後発のメリットです。


企業というものは保護されればされるほど国際競争力を失ってしまう。


ベンチャーが立ち上がる過程には、大変な苦難が沢山あります。そういう時に心の支えになるのは、「自分の事業しているものが本当に世界のためになっている」という絶対の確信です。


ベンチャーはかっこよくて、きらびやかなように見えますが、実際はより慎重に周到に準備をしなければなりません。そして並々ならぬ忍耐力が必要です。


良きパートナーを得て下さい。やはりチームワークがない会社は本当に長続きしません。


勉強は何も学問だけではない。社会に出れば、人との交流も勉強だ。


いくら頭脳が優秀でも、勉強をしないと宝の持ち腐れになってしまう。とりわけ、若い時代は集中して、情熱を持って勉学に励むべきだろう。


今の日本に必要なのは、与えられた環境の中の矛盾に対して、おかしいと立ち上がる勇気。


起業は一種の麻薬ですね(笑)。大変だけれども、それ以上の見返りというか、精神的充足感が大きい。


DDIを立ち上げるというお話をしたとき、松下翁(パナソニック創業者・松下幸之助氏、当時90歳前後)は「やめたらあきまへんで」と言われました。やめたときに、事業は初めて失敗する。この言葉に支えられました。いったん始めたら、どんなにつまらないことであっても、目の前にあることをひとつひとつ確実にやっていくこと。それが、私が諦めることなくやってこられた理由です。


世の中には3種類の人がいます。

  1. 何が起こっているのかを「見る人」。半分くらいの人はこれです。
  2. 何が起こっているのかを「尋ねる人」。分析をしたりできる頭のいい人たちで、これが残りの大半です。
  3. 1%くらいの人たちが三つ目の「起こす」人です。これができる人は少ないのです。でも、これからの若い人は、この「起こす人」でなければなりません。

「言いだしっぺ」は基本的に楽観主義でないといけません。バラ色の夢を描き、周りを引き込むのです。


DDI設立当初、まるで暗闇の暴風雨の中を進んでいるような思いでした。初めての起業で、何もかもが手さぐりでした。それ以降の起業はDDIの経験があるので、「いま、このくらいまできているな」というのがわかりますが、DDIのときはそれがなかったのですから。


稲盛さんと出会ったころ、私は電電公社の部長でしたから、稲盛さんのような経営力がありませんでした。私のような「言いだしっぺ」も必要ですが、それだけでなく、稲盛さんのような強い経営力がある人が、成功するためには必要です。稲盛さんがいなかったら、いまの私はありません。もちろん、いまのKDDIもありません。


私利私欲ではなく社会のためになることをやっていると思えば、いくら叩かれたって、そんなものはなんでもありません。


リスクもとらず挑戦もしないという人生に、どれほどの意味がありますか。


会社から言われたことを漫然とこなしているだけでは、たいした力はつきません。入社10年くらいまでの時期、必死になって努力したかしないかが、将来大きな差になって現れてきます。


最短距離とは本質を行くことです。つまり、経営者なら1円でも経費を節減し、1円でも売上をあげ、お客さんに「ありがとう」と言ってもらえるように汗を流す。少なくとも僕は、この方法以上に効率的なやり方を知りません。


そのときは遠回りのように見えることほど、あとになって生きてくるのですから、すぐに結果を出そうなことだけ一生懸命にやって、後は手を抜くような努力が、実は一番効率が悪いともいえます。無駄な恋愛はしたくないから、一発で理想の人に巡り合って結婚したいと思っても、そんなのは無理じゃないですか。人生とはおしなべてそういうものなのです。


僕の人生は山を越えればまた次の山の連続です。苦労が絶えることはありません。でも、ひとつの山を乗り越えれば、何ものにも代えがたい喜びが手に入ることも知っています。だからどんなに苦しくても、僕は山に登り続けるのです。
【覚書き|次々と会社を起こしていることについて語った言葉】


正直言って、日々の努力は決して楽しいことではありません。だからこそ、夢や志、大義といったものが必要なのです。山登りと一緒です。富士山の頂上を見据えて、あそこに立つんだという強い意志を奮い立たせるからこそ、坂道を上る一歩一歩の苦しさに耐えられるんじゃないですか。


私も、2メートルは跳べるくせに1メートル95センチの目標を持ってきた部下を、「バカもん!」と何度怒鳴りつけたか知れません。


目標を設定することが重要です。ただし、2メートルの高さを跳べる人なら、バーの高さを2メートル50センチと、実力よりやや高めに設定するのです。日本のサラリーマンは、本当は2メートル跳べる人も1メートル80センチにしておこうというケチな発想になりがちですが、これでは目標は超えられても、成長は期待できません。何より、楽にこなせる程度では、日々の仕事に情熱が湧きません。できるかどうかわからないギリギリのところだからこそ、やる気も知恵も出るのです。


なんの蓄積もなければ、たいした挑戦はできないし、結果だってたかがしれています。だから、入社10年くらいは将来を見据えて、仕事の知識や進め方といった基礎力を身につける期間だと考えればいいでしょう。僕自身、NTTで18年間かけて、通信のエキスパートとなるための基礎固めをじっくりやったからこそ、39歳で第二電電(のちのKDDI)設立という勝負に出られたのだと思います。


僕は60年以上生きてきて、若いころ組織の中でリスクをとらなかったエリートが、どれだけみじめな晩年を送るかを実際に見てきました。これははっきり断言できます。いくら組織で偉くなっても、新たな価値を生み出せない人は、世の中から居場所がだんだんなくなるのです。


僕はハーバード大学でも教えていましたが、クラスの学生の半分は起業家志望でした。新しい産業やサービスを起こすために必死で努力するのが真のエリートであり、リスクを恐れないからこそ尊敬されるのがアングロサクソンの伝統です。ところが、日本の場合は、狩猟民族と農耕民族の違いなのかもしれませんが、頭のいい人ほどリスクを嫌って大企業に就職し、しかもそこに安住しようとする。これでは、イノベーションなど望むべくもありません。


第二電電(のちのKDDI)のときも、たった数名でNTTという国家企業に立ち向かう僕たちを、マスコミは皆、ドン・キホーテのように扱ったけど、僕は勝てると確信していました。当時、日本の市外電話料金は、いまの携帯電話と一緒で、世界と比較するとものすごく割高でした。でも僕は、周到に計算して、NTTの抱える無駄をそぎ落とせば、料金を必ず下げられるとわかっていたんです。


たしかにイー・アクセスは好調です。でも、固定ブロードバンドの市場規模が約1兆円なのに対し、モバイルには約10兆円の市場があります。しかも、世界標準からみれば通信料金は高いし、端末は使いにくいなど、まだまだ矛盾だらけです。これだけのビジネスチャンスを前にしたら、経営者としては挑戦しないわけにはいきません。
【覚書き|イー・モバイルを創業した経緯について語った言葉】


このまま電電公社(のちのNTT)にいても、本当に国を強くすることはできない。新しいベンチャー企業を興して、独占企業に対抗する。フェアに激しく競争してこそ、本当に産業は強くなる。その仕組みをつくらなければ、日本はよくならない。
【覚書き|DDIを設立した当時を振り返っての発言】


電電公社が嫌いだから新しい会社をつくったわけではありません。むしろ、感謝しています。ただ、独占的にサービスを提供していては、日本の通信産業は世界に伍していけないものになってしまう。競争していく中で、電電公社もよくなると思ったのです。そこで私は新しい電電公社をつくろうと思いました。


留学中に世界規模の仕事をしたいと思うようになり、世界展開している企業への入社も考えました。そのときもまだベンチャー志向ではなく、IBMやAT&Tなどの企業を考えていました。グリーンカードもとっていました。いくつかの企業からオファーももらったのですが、結局帰国することにしました。それは、当時の主任教授に「君の祖国が、いま世界を引っ張るような国になろうとしているのだから」と帰国を勧められたのもその理由のひとつです。


通信網は、今後、国民生活を支えるインフラになる。それが国家の独占であることは、国民にとってよくない。来たるべき(電電公社の)民営化を見据えて、競争相手が必要だ。
【覚書き|DDIを設立した当時の考えを語った言葉】


京都商工会議所に呼ばれて通信自由化について講演をしたところ、聴衆の中に当時京セラ社長だった稲盛さんがたまたまいらっしゃったのです。それをきっかけにDDIの事業プランをお話しし共同創業することになりました。


フェイスブックやツイッターといった企業を見て回りました。みんなエネルギーに満ち溢れています。日本では見られないほどの勢いを感じました。世の中の仕組みを変えるパワーを、アメリカは常に生み出せる。そのパワーが国を強くしているということを、改めて確認しました。


米国留学時代、寮のルームメイトが法学を学んでいるエリートで、毎日のように彼と様々なことを議論しました。私は電電公社の社員でした。日本を支える大企業であり、そのことを誇らしく思っていました。そういう話をすると、彼は「そんな人生はつまらない」と言うのです。独占企業に勤めるなんて面白くない、と。「それまでにない新しいことを、リスクをとってつくりあげていくことが、価値ある人生だ」というわけです。当時の日本では、大企業に入って出世していくのが価値のある人生だとされていました。その価値観を否定されたのは衝撃的でした。でも半年後には、彼の考え方に共感するようになっていました。


日本には世界に誇る技術もあれば、優れた人材もいます。あとは戦略と志です。高い目標を掲げ、それを実行することによって、世界に評価される経営を目指すべき。


私たちのようなハイテクを扱っている会社の経営者として反省すべきは、商品の機能に重きを置きがちで、使い方から広がる潜在需要をあまり掘り起こしてこなかったということです。


第二電電(のちのKDDI)立ち上げのとき、稲盛(和夫)さんにはしかられっぱなしでした。「電電公社の考え方を捨てろ」と何度も怒鳴られながら経営者の思考を学びました。


私が第二電電をつくろうと思った根本的な動機には、キリスト教の精神に裏打ちされた社会のあり方があった。つまり社会はフェアでなければいけないという、不公正さに対する一種の憤りというんですかね。国民生活を支える通信網が、国家の独占であるのはよくないと思った。


英語のマネージメントは「管理」と訳すのが一般的ですが、それには違和感を覚えます。そうではなく、「そのままにしておくと危機に陥りそうな事態に際して、何としても隘路(あいろ)を探して成功に導くこと」がマネージメントだと私なりに解釈しています。


神様ではないのだから、そんなに上手くいくはずがない。経営者にとって一番大事なことは、失敗の中に隘路(あいろ)を見つけて、いかに生き抜いていくかです。


私の人生は成功の連続だと思われがちですが、それはとんでもない誤解で、実際にはトライしたことの9割が失敗です。うまくいったのは残りの1割にすぎません。


私の40代というのは、ともかく人の3倍は働きました。ですから、今の若手経営者の皆さんにも、自分が決断を下して目標を掲げたら、それに向かって人の3倍は働いてほしい。


第二電電を立ち上げた際には、途方もない大きな問題ばかりで、それこそ毎日のように「もうやめよう」と思っていました。でも、「もう1日だけやろう」「もう1%だけやってみよう」と考え直しました。ずっとその繰り返しで、振り返ってみたら、えらく高い山に登っていたということです。


私が、慶應義塾大学経営大学院の教授を辞め、「イー・アクセス」を創業した理由は、一つには巨大な流れとなるインターネットの魅力に抗することができなかったからですが、もう一つは、そうすることが必ず世の中のためになるという大義があったからです。


会社を立ち上げる前にはもちろん不安もあり、始めてからも困難だらけでした。しかし、この事業が完遂できないとは微塵も思いませんでした。多くの社員たちも、「千本さんについていけば、必ず目的地に着ける安心感があった」と言ってくれました。それは、私の中に大義にもとづく確信、絶対に完遂できるという思いが深く内在していたからだと思います。


これまで私はいくつも会社をつくってきましたが、その決断を下すきっかけになったのは偉大な人物との遭遇です。松下(幸之助)さんや真藤(恒)さんといった巨人たちに触発され、私の中に大化学反応が起こった。人との縁には、それほど大きなものを生み出す力があるのです。


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