北条氏綱の名言 一覧

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北条氏綱のプロフィール

北条氏綱、ほうじょう・うじつな。北条早雲の息子。小田原北条氏(後北条氏)2代目。早雲から家督を受け継ぎ、さらに相模、武蔵、下総へ領土を広げた勇将。また、早雲から受け継いだ領国経営手法を洗練させ安定した国政を行った。

大将だけでなく、およそ侍たるものは、義を守るべきだ。義に背くことをしたのでは、たとえ一国や二国手に入れたとしても、後の世の恥辱はどれほどかわかったものでない。


昔から天下の政治を執るほどの者でも、一度は滅亡の時期はある。人生は短いのだから、醜い心がけが決してあってはならない。


すべてにおいて、役に立たない者はいない。その者の役に立つところを召使い、役に立たないところを使わず、それぞれ何かの役に立てている人をよい大将というものだ。この者は一向役に立たない馬鹿者、と見かぎってしまうのは、大将たる者の心として、いかにも浅く狭い心である。


手際のよい合戦をやって大勝利を得た後、おごりたかぶった心ができて、敵をあなどり、行儀が悪い行いをしてしまうことは必ずあるものだ。このように滅亡した家は昔から多い。勝って兜の緒を締めよ、ということを忘れてはならない。


わが亡き父の入道早雲(北条早雲)殿は、身分の低かったころから天性の福人であると世間が評した。それでこそ神仏の加護を受け給うたのであるが、第一には、倹約を守り贅沢を好まれないからである。すべて、侍は古風なのがよい。当世風を好むのはたいてい軽薄者である、と常々諭しておられた。


万事について倹約を守るべきである。贅沢な生活を求めるには、下の人民から搾取しなければその出所がない。倹約さえ守れば、人民を困窮させず、侍から地下人や百姓にいたるまで富貴となる。国中が富貴になれば、大将も鋒先が強くなって、合戦の勝利は疑いない。


侍たるものは、高ぶらず、自慢せず、それぞれ身の程をわきまえるのをよいとする。たとえば、500貫文の土地を領する身分で1000貫文の土地を領する人の真似をするのはよくない。


人びとをそれぞれ役にたてるのも、大将が考えるべきことだ。昔でも賢人といわれるほどの人物は滅多にいないのであるから、末世においてはなおさらあるべきはずがない。大将といわれるほどの人にも、これで十分と思われるほどの人物はいないのであるから、人への評価の見誤まりや聞き誤まりがどれほどあるかわかったものではない。


侍どもの中に、自分は大将から見かぎられたと思いこんでいる者は、進んで仕事をやる気がなくなり、本当の馬鹿者となり果てて、なんの役にも立たなくなるものだ。だから、大将たる者がどのような者に対しても目をかけているということを、人びとに広く知らせたいものである。


侍から地下人や百姓にいたるまで、それぞれ目をかけてあげるべきである。すべてにおいて、役に立たない者はいないものだ。器量・骨格・弁舌・才覚が人より優れていて、しかも道にも達し、天晴れよき侍であると思っていると、意外に武勇に劣っている者がいる。また、何事も不案内で馬鹿者で通っている者に武道において思いのほか立派な働きをする者がいる。それだから、たとえいかに半端な働きしかない者でも、その用い方によって重宝になる場合が多いものである。


無道の働きをもって名利を得た者は、天罰を避けることはできないと知るべきだ。


古い物語を聞いても、義を守って滅亡するのと、義を捨てて栄華をほしいままにするのとでは、格別の相違があるものだ。大将の心がけがこのようにしっかりと定まっていたならば、その部下の侍どもは、義理を第一と思うものだ。


天運が尽き果てて滅亡したとしても、義理を違えまいとさえ心得ているならば、末世に至ってもうしろ指をさされることがないだろう。


能を一番興行するにも、太夫(舞い手)に笛を吹かせ、鼓打ちに舞を舞わせたのでは、見物することはできない。大夫に舞わせ、笛や鼓もそれぞれの人にいいつけたならば、その人を替えることもなく、同じ役者で能一番が成就するのである。一国を領しているほどの大将は、侍を召使うのにも、これと同じようなものである。


たとえ500貫文の土地を領する身分でも、6、700貫文の分限者の真似はできるはずである。しかし、1000貫文の分限者の真似は、よほどの小細工をしなくては及びもつかない。たとえどのような手段で分限の上の者の真似ができても、つつましくその分限を守っていくのよりは劣っている、と思わねばならぬ。


人の命わずかの間なれば、むさき心底(卑しい動機)、ゆめゆめ、あるべからず。


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