北島素幸の名言 一覧

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北島素幸のプロフィール

北島素幸、きたじま・もとゆき。日本の料理人。福岡県出身。高校卒業後、「ロイヤル」に入社。25歳で上京し、六本木「レジャンス」でパティシエとして働く。その後、フランスで6年半、多くの名店に勤務し修行をする。帰国後、東京・京橋「ドゥ・ロアンヌ」、赤坂「パンタグリュエル」のシェフなどを経て、「北島亭」をオープンした。

料理の世界って、これでいいということがないから、つねに自分を追いつめていかなければならないんです。うぬぼれていたら、やることをやらなくなる。チヤホヤされて謙虚でなくなると、かならず落ちていくんです。


苦労をしてつらいことに耐えておかなければ、いざ勝負という時にそれだけのことができないんです。ちょっとのずるさで進路は変わってしまうのだから、自分にウソをつかず、自分に負けないようにしなければ。


結局、長い目で見たら、日常の言動はすべて自分に跳ね返ってくるわけでだからこそ、毎日真剣に勝負をしなきゃいけないんです。


じゃあ、社長も運転手つきの車をやめて、調理場を直してもらいたい。本気で店を再建したいなら、経営側も死ぬ思いをしたらいいと思います。
【覚書き|総料理長として店を再建してほしいといわれたときの発言】


ガタガタの店を満席にできた原因は、情熱ですよね。「やるんだ」という心で、店ってよくなるんです。


環境や他人のせいで嫌いになるなんていうのも、結局はその人本人の責任なんだもんね。どんなに悪い条件のときにも、前向きに考える余地はあるはずですから。


自分の店を持てば、誰も頼りにできない。力がなければ、人は寄ってこない。それが現実なのだから、修業時代には苦労をしなければね。


「65歳や70歳になってもこの仕事を続けるなら」と想像しておけば、全力も出すし無理もしないし、目先の利益のためにウソをついたりごまかしたりしないことにつながるんじゃないのかな。


結局、仕事って苦労や失敗の連続の中で何とか上に向かうものだから、失敗は成功のもとなんだよね。怒られたらそれを直して自分のものにすればいいんだし、青春は汗と涙ですよ。汗水垂らすのが一番素敵なんです。


大成する人は、まじめに奉仕をしていますよね。若い時には「俺には帰るところはないんだ」と思って歯を食いしばらなければ。実際、年を取ったら帰るところなんてないんだから。


中途半端に商売をはじめたら人生が終わる。経営って、一回の失敗で終わりますからね。ハングリーでいなければ、勘違いをしたまま、借金だらけで終わりかねない。


俺はいまでもあの人たちみたいな仕事をしたいなぁと思っているんですよ。あの人たちのような達人に教えてもらったのは、料理には「これでいい」というのはないということだね。愛情をかけたらもっと素晴らしいものになるのだし、店をやっていれば自分のすべてを出して采配を振るえるんです。だから、人生を、もっともっと懸けなければ。
【覚書き|あの人たちとはフランス修業時代の恩師たちのこと】


三ツ星も高級菓子店も経験し、名料理人と言われる人とも働いてみて自分なりにわかったのは「技よりも心が大事なんだな」ということ。とくに高級菓子店「エルガーリッシュ」のムッシュ・エルガーリッシュと、「トロワグロ」のジャン・トロワグロは、心がすごかった。


店の経営が「お金を得るための手段」だけになってしまったら、工夫をおこたって、かならず料理の質は落ちていきますよね。そういう人はあちこちで見てきた。いいものを作りたいとか、喜んでもらいたいとかいう気持ちがなくなったら最後、という生活なんです。


自分の店を開店したときはこんなはずじゃなかったってことばかりだよね。でも、そこからが本当の勝負なの。自分を捨てて、馬鹿になってやるしかない。涙が出るほどの仕事をしてさ。一所懸命にやっていれば、ちょっとほめられても涙が出てくるものでしょう?そうやって必死になってあきらめないで2年3年とやるうちに、ようやく花が咲きはじめるんじゃないのかな。


料理長という仕事は、まあ、いやなことが数えきれないほど起こるものです。俺は昔、お客さんがあまりにも入らなくて、もう人の顔を見るのもいやで、何かどうしても地下鉄に乗れなくなって、家まで涙を流して歩いて帰ったことが何回かあった。朝の6時から、仕事をやってもやってもお客さんが入らないときがあって。掃除が悪い、あれが悪いこれが悪いと騒いでも、そういうときって入らないものは入らないんだよ。つらくて怖くて、頭は前に進もうとしているのに体がついていかなくて足が動かなくなったこともあった。疲れとストレスで手や腕が紫色になることもあった。この店がつぶれたら死のう、と思ったこともある。でも、そういうことで強くなったし、つらい時期にも助けてくれる人はたくさんいた。ありがたいし、やっぱり最近はそういう人たちに恩返しをするつもりでやろうと思っています。


勝負はそれこそ料理学校にいるときからはじまっているんです。勉強も必死に、仕事も一所懸命に続けなければ、青春は一回だけですからね。若い人を脅すわけではないけど、その時期に目先の快楽を追ってのちのち地獄にはまった奴なら何人も見てきました。ただ、やりすぎもよくない。仕事は休んでばかりではいけないけれども、食事や睡眠時間を削りすぎたり無理をしたりというのでは、あとでガタが来ます。まあ、人生に近道はないよ。


ホテルのレストランや、大企業の傘下に入っているレストランの居心地がいいのはわかるけれど、居心地がいいのは、そこにいるときだけです。一生そこにいられるならいいけど、辞めなければならなくなったときに「技術はありません」では地獄が待っています。


うちの出身者のその後にしても、いま、本当の意味で料理の世界で成功しているというのは、全体の1パーセントくらいだと思う。見てると、自分にプラスになることばかりしていたら、むしろその目先の計算が裏目に出て、中途半端に終わるみたい。


若い料理人を見ていて思うことは、修業時代に、きついとかつらいとかでいちいち辞めていたら、生きていけなくなるんじゃないのってこと。仕事は長い。給料は安い。ぜんぶ自分でやんなきやならない。そういう環境で苦労をしておいて、将来に「ふるい」にかけられても生き残れるようにして鍛えておくべきなんじゃないの。


年を取ったら、体力的には若い時のようにはいかないけど、商売の規模を小さくすれば仕事は追究できるだろうと思っています。大規模にしちゃったら、他人の心配ばかりになって自分らしい仕事が究められなくなるんじゃないのかな。そういう進路も含めて、若い頃から考えておいたほうがいいことだとは思う。結局、このへんの選択は「考え方」が問われることになるから。


働かないとつまらないし、体もおかしくなりますし。


事業に専念し、家は奥さんに任せっきり。休日もロクにない。電話をかけてもどの店舗にいるかわからない。それで子どもの教育に失敗したり家庭が崩壊したりなんていうのは、やっぱり事業が成功してもよくないと俺は思う。


誰のために仕事をしているかって大事だよ。多店舗展開に乗り出したら、利益は上がってお金は儲かるかもしれない。節税にもなるだろう。でも、一回規模を大きくしてしまえば、戻れない。職人としての仕事を究めるのはむずかしくなるんですよね。「商人に車は要らない。トラックがあればそれでいい」ってのは、近所の肉屋の親方がその息子に言っていたことだけど、料理の仕事も結局はそういうところがあります。目先の利益や成功は、職人には禁物なんです。


軌道に乗ればうまい話が持ちかけられるけど、それって結局利用されることが多い。多店舗展開は教育の行き届かない従業員を増やすことにもなり、店のクオリティを維持できなくなるリスクもありますよね。多店舗で従業員を雇い過ぎ、組織を目の届く範囲ではハンドリングできなくなれば、職人というよりは社長としての仕事に専念をしなければならない。俺は職人の仕事を追究したいから、商売の規模はだんだん小さくしていきたいと思っているんです。65歳になっても70歳になっても料理の仕事をやっていると想像してみたら、そのときにもいい店でいい料理を出せて、いい家族でいられるのかというのは大きいんじゃないのかなあ。


商売がうまく行けば多店舗展開を持ちかけられる。経営の才能があれば、もちろんそれもいいのですけど。でも、多店舗展開は「拡張せざるを得なくなる」というところがむずかしいのだろうと思います。


今後は、商売は縮小させ、仕事は追究していくというのが理想じゃないかな。仕事の後半戦というのは、人生の後半戦でもあります。「いい人生って何だろう?」ということも視野に入れざるを得なくなる。


仕入れのとき、はじめはだまされたり、こちらも値切ろうとしたりしていたけれど、俺をだました店は他の人のこともだましていて、そのうち信用を失ってつぶれていったなぁ。商売って「仕事が好きで、人によろこんでもらいたい」という気持ちがなければ続けられないものでしょうね。築地でいい素材を提供してくれる人は、本当に魚が好きなのよ。仕事人の「気」みたいなものは、素材や料理に載せられていて、それは長い目で見ればかならずお客さんにも感知される、と俺は思っています。


開店以来、ずっと朝は築地に通って仕入れをするという生活を続けています。通い続けて感じていることは、時間をかけないとわからないことがあるということかな。開店時から、毎朝6時40分のバスで築地に通うという生活によって、信用が生まれました。いまは「今日は北島さんに売るようないい魚はないよ」なんて、ほとんどの築地の人たちが俺のことを知っていて声をかけてくれます。


仕事に情熱を注いでいてわかるようになったのは、ワンパターンには意味がないということです。俺は独立前には魚は本番(営業時間)の前にかなり準備を済ませていたけど、独立後には、注文を受けてからの即興に近いかたちでやるようにしました。準備を最小限にするというのは、本番になってからの手間も緊張感も増やすのだから、いちいち苦しいわけです。そこに新しい挑戦も加わる。すると、仔羊を鍋に入れて「どうしよう」と迷ううちに鍋にフタをしたら偶然にいいものができたり、逆に悩んでいるうちに煮汁が煮詰まっちゃったり、まあアップアップする。でも、そうやってアタフタしてやることが、自分の店をやることのおもしろさなんじゃないのかな。そこで工夫して愛情を注いだぶんだけ、材料と環境がおいしさを教えてくれますから。


俺自身、自分の言動はこれでいいのかと考えると改善の余地だらけなんです。しかも、言動を変えようとすると苦労にまみれることになる。ただ、俺の場合はそういう苦労が人生を変えてくれました。だから「俺の料理を食わせてやる」なんておごりたかぶる人は、その一点だけでもダメだとは思う。


今日の昼と夜の間の休憩時間には、若いスタッフに「ミスをして済みません、は聞き飽きた。済まないなら、どうするかだろう?」と話した。「東京でひと旗揚げたいんだろ?だったら今のうちに苦労して努力して人よりも力をつけとけ。10年ですごい差になる。怒られたことは紙に書いて覚えろ」とも言った。


焼き方を知るだけでは「焼き方でこんな工夫をしているなら、それ以外の工程にはどんなにか工夫がこらされているか。どんなにか執念をかけて料理に取り組んでいるか」までは届かない。つまり、方法だけでは、盗んだものと同じくらいおいしくなんてできるはずがないんです。結局、ラクしてノウハウを得るなんて無理でしよ。


修業時代に料理の基本は知っておくべきだけど、基本がいつも通用するわけではないから、自分の店の環境に合わせて変えなければいけない。「北島亭」の肉の焼き方も、いまの方法に至るまでに、どれだけ時間がかかったか。でも、そういう時間を過ごしてきたからこそ「改善の余地はいくらでもあるんだな」ともわかる。「いまの方法に至るまでに苦しんだプロセスは他の作業にも応用できる」とわかる。店の財産とはそういうもので、単に「ノウハウを盗んだ」「レシピを手に入れた」だけでは足りないんです。


独立してからの勝負が、これがとても長いんですよね。あんまり得意なことばかりをやっていてもお客さんには飽きられちゃうから、環境もそのつど変えなきゃいけない。それに、お客さんや業者さんやスタッフと信頼関係を築くまでにはものすごい時間がかかるものだけど、このあたりのケアは、雇われ料理人が手薄になりがちな、むずかしいところなんですよ。


俺の場合も、自分のフランスにいた時期を振り返ってみても、あれ以上フランスにいても意味はなかっただろうなと思う。あの頃の自分には、三ツ星や繁盛店の本当のすごさや学ぶべきところというのは、毎日、目の前にあるのに気がつけなかったから。そういうのって独立してはじめてわかるわけです。


いくら有名店のノウハウを知っていても、あるいは高度な技術を身につけていてもだよ、予算や機材や人材に限りのある自分の店でそれをやるには、かなりの工夫が要るの。料理を自分のものにするというのはそういうことで、自分の店でやれなければ意味がないんだよね。


一店の経営者になると、もう自分を信じて進むしかないし、どんな事情もムダにはできないんですよ。無意識に仕事をやっていたら店はつぶれてしまうから。店でやっているどんな作業に関しても、もういちど考え直す余地があるんです。つまり、万全というものがないまま追究を続ける生活になるわけだけど、これは「修業時代に見てきたものに、店の実力をついていかせるプロセス」と言えると思う。そういう点で、雇われ料理人とはまるでちがう生活になる。


俺は50代の後半だけど、朝、築地に仕入れに行くと、魚が好きで一所懸命に仕事をやっている若い人を見かけて、心を打たれるんだ。応援したくなる。大事なのはそれなんです。ウチの常連さんも、「30代の夫婦が必死にやっている店には『気』があるから、それを吸収したくて行く」とおっしゃる。それこそが魅力なんです。


「ドゥ・ロアンヌ」は京橋のビジネスマンを相手にした店で、お客さんたちはたとえ接待で来ていても急いでいたから、すぐに作れて好きな人の多い牛肉のステーキランチをはじめたら当たってね。昼で1万1000円という客単価は当時の最高レベルだったから社長が喜んでくれました。


俺がフランスから帰ることにしたのは、フランスに行って5年経った頃、労働ビザが取れたのがきっかけですよね。それで給料が倍以上になったんだけど、給料が上がりすぎるとかえって意欲がなくなった。無給で研修をしていたときのほうが、この店のすべてを吸収しよう、と全力をつくしていたの。商売って、儲けすぎたらつまらなくなるのかもしれないね。


一所懸命だった料理人なのに、親が甘やかすとか、はじめから大きなことをしようとするとか、苦労しないでいいところぽかり取ろうとするとか、そんなことで、修業も開業も中途半端になっちゃって泣かず飛ばずになる人も多いんだから。店を持ちたいなら、まあ店を持つだけのことはしないとダメなんですね。


料理人にとっては、自分の店を開く前までの心がけというのはシンプルに「雇ってもらっている限りは、その店が盛りあがるように一所懸命にやる」というのが一番でしょう。だから、ハングリーなほうがいいし、若い人なら親元を離れ、安い給料で一番きついところに行ったらいいんです。苦労することによって、社会の現実や自分の進路が見えてくるのでね。


高校のころはケンカをしたりバイクに乗ったりパチンコをやったりって感じだから、まあ「やんちゃ」でね。とても人に言えんようなこともしていたし、地元じゃ評判のワルだったから、就職も決まらなかった。で、担任の先生に「北島はレストランに行くか?」と紹介してもらって、高校を出てすぐに料理の世界に入った。ただ、福岡の「ロイヤル」に入社してみても、ナマイキで我が強いもんだから、トラブルが絶えない。当時は、心が弱かったから、我が強かったんだろうな。そのまま九州にいたら、たぶん地元の仲間をまきぞえにして、手のつけられない奴にもなったのだろうけど、料理の世界で「上」みたいなものを目指そうとするうちに東京の料理を食べに出かけてみたり、東京で食べたものを作りたくなったり、それで六本木の「レジャンス」でパティシエになったりと、だんだん親元を離れるようになったのがよかったんじゃないのかな。


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