加藤廣の名言 一覧

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加藤廣のプロフィール

加藤廣、かとう・ひろし。日本の小説家、ビジネス書作家。東京出身。東京大学法学部政治学科卒業後、中小企業金融公庫(のちの日本政策金融公庫)に入社。大阪の中小企業投資育成会社に出向し、金融マンとして働きながらビジネス書の執筆を行う。その後、中小企業金融公庫を退職し、山一證券経済研究所顧問、SNベンチャーキャピタル社長などを経て75歳で小説家としてデビュー。代表作に『信長の棺』ほか。大阪経済大学客員教授なども務めた。

人は学び続けることでその能力を活かすことができる。30代のうちに学び続ける姿勢を身につけることを、強く勧めたいと思います。


一度身についたスキルが永遠に通用するわけではありません。パソコンのOSにバージョンアップが必要なように、ビジネスマンとしての能力も定期的に更新していかなくてはなりません。


30代も半ばを過ぎれば、それなりに仕事の能力が身についてきて、上司たちがバカに思えることもあると思います。しかし、それはとりもなおさず、未来の自分の姿なのです。自分の能力の更新を怠れば、あなたが上司の立場になったとき、自分の部下から冷笑を受けることにならないとも限りません。歴史と同じで、人の因果も巡るのですから。


よく「俺は何倍も働いた」なんて自慢する人がいますが、私に言わせればくだらないと思います。人類の幸福に大きく貢献する仕事をしたのなら別ですが、ただ無目的な努力の量を誇るほど愚かなことはありません。


私には小説家になるという夢がありましたから、それを実現させるべくひたすら勉強しました。40代になってビジネス書を出版するようになっても、これは本来の仕事ではないという意識がありました。そして、晴れて小説家になったのは75歳のとき。夢というのは、叶えるのにはずいぶん時間がかかるものです。


文章力は説得力そのものですから、小説家を目指して文章修業をしていたことも、仕事のスピードアップに役立ったと思います。


大学を卒業して就職したのは、中小企業金融公庫(のちの日本政策金融公庫)という政府系金融機関でした。仕事はそれほど大変ではなかったのですが、トップは大蔵省と通産省のたすき掛け人事でした。いくら頑張っても先は見えている。ですから、38歳のときに辞めようと決意しました。しかし、いきなり組織を飛び出しても、一人ですぐにやっていけるわけがない。外でも通用するポータブルスキルを身につける必要がありました。専門の金融の知識に磨きをかけることとともに、英語はもちろん、中国語にも取り組みました。


私は組織人ではありませんでしたが、組織を裏切ったことはありません。部下時代の個人プレーなら平均より3割増し、上司としての組織プレーなら一割から一割五分は高い成果をあげてきました。決して無理なことはやらない、やらせないで成果を出すには、仕事を早く片づけなくてはならない。


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