佐藤卓(グラフィックデザイナー)の名言 一覧

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佐藤卓(グラフィックデザイナー)のプロフィール

佐藤卓、さとう・たく。日本のグラフィックデザイナー。東京出身。東京芸術大学美術学部デザイン科卒業、東京芸術大学大学院美術研究科構成デザイン専攻修士課程修了後、大手広告代理店電通に入社。携帯電話のプロダクトデザイン、ガム・酒・牛乳・そのほかの製品のパッケージデザインなどで才能を発揮。主な受賞に毎日デザイン賞、東京ADC賞、JAGDA 新人賞、東京TDC賞、ニューヨークADC賞、日本パッケージデザイン大賞金賞、Gマーク大賞、デザインフォーラム金賞、原弘賞受賞ほか。武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科客員教授なども務めた。

若い時というのは、たいていは不遇ですよね。仕事の質、量、環境、クライアント、報酬などに不満があるからこそ、むしろ、力が湧いてくるとも言えるのではないのかな。


前例のないことはやりたくないという体質が日本の商品力の弱体化を招いたところもあるから、物価高や環境問題といった深刻な状況は、飛躍のためのよいきっかけと捉えています。


企業のみなさんも、言いたいことをほとんどすべて、10のうちの「9」までをデザイナーに聞いてもらえたら、最後にこちらがふと提案する「1」の話を聞いてもくださるんですね。


まず、目の前の相手に本当に思うことを言う。相手が何かを話してくれる。それをこちらも考えて、また本当に思うことを言う。そんな議論ができれば仕事は成立するんだとわかると、どの仕事もおもしろくなっていきましたね。


既存の容器を使えばお金も時間もかからないで済むけれど、パッケージというものはやはり、独創的な中身には独創的な外見がふさわしいのです。


デザインの仕事は、とにかく商品にまつわる状況を把握しないことには成立しないだろうと思っています。万が一、同じ種類の商品を手がけるにせよ、商品環境は刻々と変化していますよね。だから、それまでの自分のネタや得意技はすぐにでも通用しなくなります。


ときどき、アイデアがなければ局面を打開できないタイプの仕事もいただきますが、かえって前例のない企画に挑戦できるチャンスになると思って前向きに取り組んでいます。


なぜ、短期間の仕事がよくないのかというと、短いサイクルだけで仕事が回ることになると、そもそも「長く持つ必要のない仕事」が求められてしまうからです。


クライアントのスケジュールに合わせて仕事を調整するようにしています。多くの仕事を進行させるには、計画については相手の状況に任せるということも、仕事をうまく回していくための技術のひとつだと思うんです。


「普通の中の普通」を設計するためには、技術や発想を足すことよりも、余計な要素を加えないことに力を注ぎました。要素も意図も単純にすれば、表面のごまかしはできない。特殊なデザイン技術を見せびらかすようなデザインよりも、仕事はむずかしくなったんですよ。そうやって、お客さんが商品の核に直に触れられるように、デザイナーの処理や存在を消すことこそが、デザインの仕事をする上で僕が大切にしていることなんです。


僕が2002年にデザインした「明治おいしい牛乳」には新しさはひとつもありません。僕がそこで重視したのは普通の牛乳にすることですから。複雑な処理をすることは、デザイナーにとっては簡単です。ただ、ほとんどの仕事は、発注されている時点で事情が混乱しています。だから要素を分解して単純にしなければと思っていました。その結果、「……あの牛乳のパッケージって、一体何をデザインしたんですか?」と言われるぐらいに、人に意図や処理を感じさせないものができたのはうれしいんです。そこまで日常になじんだのは、日本人にとっての牛乳に対して抱いているイメージの中の、もっとも「普通」なポイントを徹底的に追求したから。青と白の配色も、縦書の書体も、それまでの牛乳にもすでにあったものでした。でも「明治おいしい牛乳」では売場における子どもや高齢者の目線まで計算して、フォントの位置も0.1ミリの差まで調整して配置してあるのです。


デザインの仕事で大切にしていることは、長く残るものにするということですね。1980年代、バブル経済の時期に痛感したのは「デザインは生きものなので、見守って育ててやらなければ死んでしまう」ってこと。その頃には、短期集中で売りまくるという風潮が強かったですから。その流れで、本来だったら長く企業や商品の財産となっていったはずの伝統的なデザインがどんどん消されていってしまいました。1990年代にそれぞれの企業が伝統的なデザインの重要性に気づく頃には、もうたいていの企業におけるデザイン資産はポロポロになっていたんです。そういうことがあったからこそ、その後、企業はデザインを継続させるということの大切さを理解してくれるようになったので、必要なプロセスでもあったのかもしれませんけれども。


体力的にも精神的にも限界が来たといっても仕事はやめられない、とはじめは苦しんでいましたが、スケジュールや進捗 状況の管理をまわりにしてもらうことにして、物理的に自分の抱えている作業の量を減らしたら、次第に仕事のバランスも取れるようになっていきました。


つらい時は、引退して海外で勉強したいということばかり考えていた。でも、最後には踏み留まることになりました。コンビニやスーパーの店頭で10年以上生き残った商品に対する責任を感じたと言うか、デザインしたものが企業と自分の子どものようで見捨てられなかったんですね。


何をデザインするのだとしても、素直にしかも新鮮に対話を重ね、商品環境を理解し、企業の判断を促さなければならない。そこで企業の要望については、わからなければ何回も理由を尋ねることにしているのです。どんな些細な要望にもきちんと理由があるのですから。商品の高さを20センチ以下にしなければならないと言われてそのままデザインを手がけるよりも、「20センチ以下にしなければ、店の商品棚に収まらないからそうなっている。それなら、上の面は上の棚に隠れてお客さんからは見えない」などと、事情を知った上でなら、それぞれの面に載せる情報を考慮できたりもするわけです。そうして疑問や理由を検討した上でのデザインは、同じ「高さ20センチ以下」になっても、業界の常識に沿うだけのものとはちがうものになる。


「こんな斬新な化粧品を開発されたのに、こんなに短い開発期間で、しかも既存の容器からの選択という方法でデザインを決めてもいいのですか?」と、期日を知りながら質問をすることもあります。そういうやりとりが僕にとっての「本当に思うことを言う」なんです。受注で成立している仕事であっても、ときには仕事を出す側と受ける側のワクを越えた対話が要るんですよ。


企業の10の意見のうちの9をデザインに反映させるということは、何も言いなりになるということではありません。企業の納得がないままデザインを進めてしまえば、問題が起きたとたんに、「ほれ、見たことか」とすぐに首をすげかえられてしまうのであぶないんですよ。


僕は仕事において、企業からうかがう要望や意見のうちの9割は誠意を持ってデザインに反映させています。それで10のうちの1ぐらいは自分の意見を入れさせてもらうことにしている。


大学が東京芸大だったせいか、まわりには作家性の強い人がたくさんいて、早い時期から有名になるのはそういういわゆる個性的な人ばかりでした。僕にはなかなか作家性が見えなかったので焦りもしたけど、そのうち「まあ、全員が自己表現をする必要なんてないよな」と吹っ切れました。そう思えたのは、作家性がなくても仕事は現場でちゃんと機能してるじゃないかと気づけたからです。それに、仕事をしていれば、どうしたって個性は出てしまう。だから無理に個性的になろうとする必要はないと考えるようにもなりました。むしろ、企業との話しあいのプロセスの中にこそ仕事がある、と思えるようになっていったんです。


若い頃は、よく、もっと強引にやりたいことをやればと言われて悩んだこともありました。でも、僕にはそれは向いてない。性格的に強引に「これだ」と正解を導けないのです。
【覚書き|クライアントとじっくり話をする仕事スタイルについて聞かれたときの発言】


原因不明の仕事というのは、継続できなくなってしまいがちです。これが重要な分岐点になるのだと思うんですね。つまり、僕は感性を職能にしているからこそ、感性以外の言葉で「なぜ、このデザインが必要なのか」についておたがいに納得のできる結論が導けるよう、企業の話をよく聞かなければと思っているんです。


同じものを見てても、自分がきれいと思っているのに相手がそうは思っていなければ、それに「きれい」という言葉を使った時点でコミュニケーションは断ち切られる。「これはきれいですよ」と話をするデザイナーもいるけれど、もともとの価値観が一致していなければ感性の言葉は成立しない。でも、個人的な感性が一致する人なんて、世の中にはごくわずかしかいません。結果的に、それでごく一部の人としか仕事ができなくなるなら、プロの職能にはならないのです。感性がズレたまま、言葉での納得もないままデザイナーが押しきるかたちになるなら、商品化に漕ぎつけても、企業の側としては、成功しても失敗してもその理由がわからないんですよ。


僕の仕事の中心にあるのは会議やプレゼンなどでの言葉なんです。そこでは、むずかしい言葉や感性の言葉は使わないようにしています。とくに、きれい、かっこいい、美しいといったたぐいの言葉は、相手がデザイナーで、しかも共通の感性を持っていると思えなければ、まず使いませんね。


もともとデザイナーは匿名性の強い仕事であって、商品と顧客をつなげる方法を見つけることこそを役割にしているのだ。そのように社会における自分の位置を客観視できたら負担や重圧に感じていた部分が減り、ラクになりました。


商品デザインとは、商品と顧客の間をつなぐものです。つなぐべき商品はもうすでにあるので「僕がつなぎました」と大声で主張する必要はない。自分こそが何かをしなければダメであるという強迫観念は抜けばいいんですよ。


電通に入社すると、広告というのは課題も期日も相手の都合や制約だらけだから「自分の意見」なんてものと戦わなくてよくなりました。会話や会議を通して自分たちの行くべき方向を考えるという仕事のやり方が、僕には逆に自由を与えてくれたんです。


大学時代にはバンド活動や文様研究を一所懸命にやったけれど、やっていたことにリアリティはなかったんです。学生時代って、何をしてもいいからこそかえって自分を追いこめないし、やるべきことも見えてこなかった。そこには必然がなかったですから。


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