佐久間俊行の名言 一覧

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佐久間俊行のプロフィール

佐久間俊行、さくま・としゆき。日本の経営者、空手家。フィットネスクラブやカフェなどを展開するイチゲキグループのCEO(最高経営責任者)。国際空手道連盟極真会館総本部正指導員。東京都出身。18歳で極真会館に入門。その後、道場経営を経てフィットネスクラブイチゲキを創業し、カフェなどにも事業分野を広げた経営者。

私に圧倒的に不足しているのは経験です。とくに失敗の経験が不足しています。そのため、経営者やプロスポーツ選手など各界の一流の人たちとお会いしたとき、できるだけ失敗談を聞くようにしています。


最近では、社内で椅子とインターネットを廃止し、業務改善をしたという記事を読み、私も社内で実行しました。すると、スタッフがどんどん現場に出るようになったのです。


昔、ビジネス誌に尊敬する経営者のインタビューが掲載されていまして、その中に、「ビジネスマンとして上達する近道は、とにかく仕事の量をたくさんこなす。 圧倒的な量をこなすことで、見えてくるものがある。私はそのために職場の行き帰り以外は、ずっと仕事をしていた」といった内容が書いてありました。それなら、私は泊まりこんでみようと。尊敬する経営者の仕事量をまずは上回ってみようと、最初の6ヶ月間は家に帰らず、ずっと泊り込んで仕事をしていました。単純に忙しくて、家に帰る暇がなかったということもありますが、それは経営者として経験の浅い私なりの工夫と挑戦でもありました。


経営者として、リーダーとして私がビジョンを明らかにすることも大切ですが、それと同じくらい大切なのが、スタッフ一人一人のビジョンやニーズに触れ、それに近づくために力を貸すことを厭わない姿勢です。私のチームのスタッフは誠実で、今までの人生でなんらかの成功体験がある。また、なければ、これからそれを作っていこうと考え、向上心を持っている人ばかりです。『チーム一撃(イチゲキ)』にないものは、まず私が率先垂範する。つまり、背中を見せます。そうすれば、自ずとチームはひとつになります。


私もまだ20代ですし、スタッフの平均年齢も20代半ばです。生まれも育ちもバックグラウンドも違う人間同士がチームを組むとなると、気持ちのすれ違いも行き違いもあって当然です。初めのころは私も考えを一方的に押し付けていたこともありました。反発をされたこともありますし、衝突したこともあります。そんな時に心がけていたのはとにかく話を聞き、真剣に向き合うということです。しかし、そのピンチは半面、成長のチャンスでもあります。何を考えているのか、どうしていきたいのか、互いに腹を割って話す 絶好の機会でもあるからです。


経営者の責任は、道場での厳しい稽古や道場を経営していた時代に経験してきた重責とは全く種類の違うものでした。自分の行動、成功、失敗が、自分だけでなく、お客様はもちろん、スタッフの人生にも大きく影響を与える。応援してくれる師。支えてくれる人々への想い。そして、絶対に負けることが許されないという状況。肩がずっしりと重くなるということを初めて体感しました。


業績を上げることはもちろん、新規事業や組織改革、サービスの質を上げるための スタッフ育成、そして、従業員の生活と幸せを守ることが私の役割です。


以前は手帳にワクワクする予定を緑色のペンで書いていました。朝の読書も仕事も、普通の人には黒色かもしれませが、私にとっては緑色です。勉強や仕事は、自分が成長するための時間なので、楽しまないのはもったいありません。


人間の体は緊張と弛緩が表裏一体です。ぐっと緊張しないと緩まないし、緩まないと最大の緊張は生まれません。仕事も同じで、リラックスがないと最大の集中は生まれません。


スタッフと一緒にすごしてきた時間は裏切りません。時を共有する中で価値観や想い、夢を理解し合ってここまできました。そこには絶対の自信を持っていると同時に、まだまだと謙虚な気持ちも持ち続けています。私はこれからも経営者であると同時に、スタッフにとって力になれる仲間でありたいと思っています。どんなに優れた書籍にも書いていない、どんなに素晴らしい勉強会でも得ることのできない生きた学びに、一撃の仲間たちと日々触れていることに、私は誇りと自信を持っています。


道場も、お客様がいてお金の流れがあるのは会社と同じです。「道場=会社」ととらえて経営を学びました。
【覚書き|22歳で極真会館の道場ひとつを任されたときを振り返っての発言】


私が修行を積んだ極真空手は、世界的にも猛稽古で知られ、猛稽古を通して己の弱さと常に向き合わされました。その過程で私自身も克己心を養い、大きく成長することができました。舞台は変わりましたが、空手からビジネスという道へ変わっても、道はいまも続いています。


まず、経営者になるということは、早くに決めていましたから、 キャリアチェンジといっても、想像されるほど大きなものではありませんし、 競技選手として引退する27歳の時には、完全燃焼したことを実感しました。18歳のころから、具体的に何をすべきかわかりませんでしたが「28歳で経営者になる」というビジョンを持ち、10年間その準備を重ねてきました。
【覚書き|空手家から経営者になったことについて聞かれたときの発言】


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