佐々部晩穂の名言 一覧

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佐々部晩穂のプロフィール

佐々部晩穂、ささべ・くれお。日本の経営者。松坂屋会長。福岡県出身。京都帝国大学政治経済学科を卒業後、日本銀行に入行。大阪支店営業局勤務、福島支店営業主任、日銀ロンドン代理店監督役付き書記、国庫局検査役などを経て、親類の伊藤次郎左衛門から請われ財閥の伊藤家松坂屋へ移籍。伊藤銀行(のちの東海銀行)副社長、松坂屋監査役、東海銀行非常勤取締役、伊藤産業合名専務理事、千年殖産専務、松坂屋副社長、日本発の民放ラジオ局中部日本放送(CBC)初代社長、松坂屋会長などを歴任。名古屋商工会議所会頭なども務め、名古屋財界の重鎮として経済発展に尽力した。

名古屋の中心部が焦土と化したことは、たしかに大きな不幸であった。しかし、当時市当局が今日見るような日本一の都市計画をつくり、青年都市名古屋の基礎作りをされたのは、一面から考えると禍を転じて福となしたものといえよう。伊勢湾台風のときも、まったく同じであった。やはり人間はこうした天災に際会しても絶対にくじけず、絶えず進んでいくことが必要だと思う。


いまから思えば、若いときに大阪時代、福島時代を通じて日銀以外の各界の人と接触したことが、世間を知るというか、自分の将来に大変役立った。
【覚書き|日銀大阪支店、福島支店で営業をしていたころを振り返っての発言】


放送事業は海のものとも山のものともわからない新事業であったから、私もこれを引き受けて100%成功できるという自信はなかった。しかし、中部地方の産業文化の発展のためにとにかくやり抜こうと決心して、引き受けることにした。【覚書き|上記発言はCBC(中部日本放送)の社長を引き受けたときの言葉。CBCはこの後、日本の民間会社初のラジオ放送を行う】


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