伊藤忠兵衛(二代目)の名言 一覧

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伊藤忠兵衛(二代目)のプロフィール

伊藤忠兵衛(二代目)、いとう・ちゅうべえ。伊藤忠財閥2代目。父は同社創業者の伊藤忠兵衛(初代)。父から受け継いだ呉服商の丸紅伊藤本店を発展させ、伊藤忠商事、丸紅の基礎を築いた経営者。第二次世界大戦後、公職追放を受けすべての役職を辞任。追放解除後は富国生命取締役、東洋パルプ会長、呉羽紡績社長などを務めた。

悪いとき、落ち目のときに人間はすべてをさらけ出すものだ。


欧州大戦がはじまってから、実業界の人は皆いい気になって豪勢な暮らしをしているのに、武藤さん(武藤山治、鐘紡社長)だけは奥さんの作った弁当を下げて、住吉から毎日汽車で兵庫の工場に通っていた。これを見て私は武藤さんも時勢に遅れたなと感じたことがあった。しかし、相場が暴落し、いままで宴会ばかりやっていた連中は尾羽打ち枯らし、銀行に頭を下げて回っている中で、武藤さんは相変わらず平然と弁当箱を下げて兵庫の工場へ通っている。やはり武藤さんは偉いなとつくづく感心した。
【覚書き|第一次世界大戦の特需と、そのあとの大不況を振り返っての発言】


別に聖人風をふかす要はないが、私にはまったく別の世界であった。父を失ったことと、番頭兼主人なので若いながら責任を感じたのか、英語の勉強と商品の研究に、出張地帯では夜はまったく僧院生活の様式を続け、自然、変り者の扱いをされた。青春というものに時間を見いだせず自発的に遠ざかり、呉服屋らしからぬ生活を続けた。
【覚書き|若いころに夜の付き合いに出なかった理由を聞かれての発言】


私は勉学よりも商売の方が面白くなってきた。ここでひとつ、私の胸に油のように広がってきた野心は、日本は将来外国製品輸入よりも、自国で製造すべきだということであった。
【覚書き|英国留学中、大学へ行くよりも家業に精を出していたときを振り返っての発言】


勉学が目的だが、実家の織物の仕事もあるから、有名大学をさけて最初ロンドン大学へ行った。経済学部で講義を受けたがさっぱりわからぬ。ところが下宿屋へ帰って教科書を読むと大半理解できる。これで私は通学しなくとも勉強できると考え、本ばかり買い入れて商売の方に精を出した。
【覚書き:留学しながら実家の丸紅伊藤本店(伊藤忠商事と丸紅の前身)の仕事を両立していたころを振り返っての発言】


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