久保田豊の名言 一覧

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久保田豊のプロフィール

久保田豊、くぼた・ゆたか。日本最大手の建設コンサルティング会社である日本工営の創業者。東京大学土木工業科卒業後、内務省で河川改修工事に従事。その後、朝鮮北部に当時世界最大規模の水豊ダムの建設に関わる。太平洋戦争後は日本工営を創業し、東南アジア、南米、アフリカ諸国の水利や電力開発に貢献した

思えば大学を出てから五十余年、私は仕事に感激をもってあたってきた。ひとつの仕事に命を注ぐことができたのはまったくありがたいことだ。私はそんな自分を幸せ者だと思っている。


私は76歳。まだまだ10年、20年働きたいと思っている。生きることに望みはないが、ただ働きたい一心である。


社内では文字通り私と生死を共に今日まで来た部下の協力に頭を下げたい。私の一生を通じ、以外にも大きな仕事ができた、またできつつあるということは、私が単に運がよかった、とひとことで言いきれない事柄である。


私は築き上げた会社を奪われ、さらにいろいろな肩書の理由で合計5枚のパージ(公職追放)を受け取ったが、闘志は少しもくじけなかった。そこに、はからずも「捨てる神あれば拾う神あり」である。
【覚書き|太平洋戦争終結により朝鮮にあった会社の権利をすべて失い公職追放を受けた時代、知人伝いで日本工営の設立資金を得た当時を振り返っての発言】


私は考える前に行動する性格で、そこが袋小路であったら戻ってきてやり直す。出たとこ勝負でことを運び続ける人間だ。


私も請負工事費をギリギリの線で押さえるので、業者からよく泣きつかれたことがある。しかし私は応じないことにしている。それはたとえ、金額を上げても、その分だけゆったりした気分となり、余計な金がかかるからである。「ギリギリの予算だ」というところで、請負業者も「損をするまい」と必死になるのだ。工事費を上げるのは、すべて終わってからのことである。これが私の行き方である。


私は、工事のスピードと工事費の節約、正確さを念頭に置いた。工夫を昼夜交代制に分けて仕事を進めたり、土砂捨て場に部落の湿地を選んで、その埋め立ての代わりに部落から人夫を提供してもらったりした。工事費を少なく、しかも地元民からは喜ばれる一石二鳥の策としてやった。


私はいつも陣頭に立って働いた。あるとき降雨が続いて洪水が起こった。内務省は河川の改修をやっているのだから、洪水を防ぐ責任はない。責任は県にあるわけだ。しかし県の役人は誰もこの対策を講じない。それを見かねて私はこれを買ってでた。二日二晩、不眠不休でとにかくこれを食い止め、地元民から大変喜ばれた。


私は病気には負けなかった。私は胸(肺)をやられた人によく言う、「絶対病気に負けてはならぬ。気力で治せる。ただその代わり、医者の言うことはよく聞け」と。私は3カ月で退院した。病気をねじ伏せたのだ。
【覚書き|肺病で倒れたときを振り返っての発言】


いまさらながら過去のことを記すのはあまり気が進まない。私にはまだまだこれからすることがたくさんあるからである。
【覚書き|76歳のときの発言】


細かいことで私欲を出したり、無理に人を押しのけたりすることは感心できません。たまに赤字覚悟、損得勘定抜きの場合があってもいい。その方が相手側の信頼を得て、結局はプラスになって返ってきます。


細かいことで私欲を出したり、無理に人を押しのけたりすることは感心できません。たまに赤字覚悟、損得勘定抜きの場合があってもいい。その方が相手側の信頼を得て、結局はプラスになって返ってきます。


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