中村雅哉の名言 一覧

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中村雅哉のプロフィール

中村雅哉、なかむら・まさや。日本の起業家。ナムコ(現:バンダイナムコゲームス)創業者。東京都生まれ。横浜工業専門学校(現:横浜国立大学)造船科卒業後、有限会社中村製作所を設立。商号をナムコ(namcoはNakamura Amusement Machine Manufacturing Companyの略称)に変更。アタリジャパンを買収し、アーケードゲーム事業に進出。パックマンが世界的大ヒットを記録した。アメリカにある国際ビデオゲームの殿堂に先駆者5名の一人として殿堂入りを果たす。財団法人マルチメディアコンテンツ振興協会 (MMCA) 会長、日本アミューズメントマシン工業協会(JAMMA)会長なども務めた。藍綬褒章、旭日小綬章授章。

体力のあるものでも賢いものでもなく、変化に対応できるものだけが生き残れる。


自分はそんなに苦労をしたとは思っていません。会社が大きくなって、もっと社会的な責任を担っていくことができるようになるんだとの気持ちがあったからです。


社会から大いに期待され資金援助を受けながら駄目になっていったベンチャーをたくさん見てきました。資金が潤沢だと、ついそれが自分の実力だと勘違いしてしまうのでしょう。苦労をするときには、苦労をさせなくては駄目なんです。私自身も、資金に恵まれていたら、世の中って甘いものだなと思ってしまったかもしれません。


ベンチャー企業の支援が重要だと言われていますが、私はベンチャーを助けることにはあまり積極的ではないんです。というのも、自らの経験から、自分で苦しんでこそ企業は力をつけていくと考えるからです。


アタリ・ジャパンの買収も、業界の将来像が描けたから決断できたのです。そしてナムコはアミューズメント産業から、さらに付加価値の高いエンターテインメント産業に脱皮できたのです。


20年以上前ですが、一次産業、二次産業に比べて三次産業があまりに大きくなっていると感じました。それで三次産業は肉体を使うサービス、四次産業は知恵を使う「知識産業」、五次産業は心に訴える「情報産業」と分類し、三次より四次、四次より五次の方が付加価値が高いとみなしたのです。その方向に向かっていくことが企業の成長につながると思ってやってきました。


29歳で会社を起こしてから、いつもどやってお金を集めようかと考えていました。増資は何十回とやりました。出張に行くときに、実際は三等列車を利用しているのに二等列車に乗ったことにして、その差額を蓄積して増資の資金に充てるようなこともしました。そうやって資本金を30万円から50万円、200万円、300万円へと増やしていきました。


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