中村好文の名言 一覧

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中村好文のプロフィール

中村好文、なかむら・よしふみ。日本の建築家、家具職人、エッセイスト。千葉県出身。武蔵野美術大学建築学科卒業後、設計会社に入社。都立品川職業訓練校木工科で家具製作を学んだのち、吉村順三設計事務所に移る。同事務所で家具製作アシスタントを務めたのち独立し、設計会社を設立。主な受賞に、吉岡賞、吉田五十八賞特別賞ほか。そのほか建築についてのエッセイの執筆や、日本大学生産工学部建築工学科居住空間デザインコース教授などを務めた。

結局、人って相性だし、相性のいい人との仕事は必ずいい結果になるような気がしますね。


建築家は、個人の大切なお金を預かっていますから、1円たりともムダにすることは許されないという重い責任があるけど、緊張し過ぎたり萎縮してしまったりして眉間にシワを寄せていては、いい仕事はできません。仕事は鼻歌交じりで、楽しみながらやらないと。だから、楽天的な性格がいいのね。


僕の最初の設計は両親の家でしたが、じつを言うとこれは僕の最大の失敗作でもありました。まだ22歳の若造で、建築のことを何も知らないくせに、自意識過剰の格好ばかりの家を建てちゃった。動線計画は悪いし、生活に対するキメ細かな配慮もぜんぜんなかった。両親は正真正銘の犠牲者です。相当住みにくいはずだけど、さいわい呑気な人たちで、さほど気にしてもいなかったようなのが救いでした。でもねえ、九十九里浜に建てたその家が、飛行機で成田空港を離着陸するときに窓からよく見えるんです。そのたびにサッと血の気が引いて、慙愧(ざんき)に身悶えした。「お父さん、お母さん、ごめんなさい!」って。その失敗でもう反省して、基本からやり直そうと、20世紀の住宅建築の傑作をじっくり勉強し直すことにしたんです。


設計も最後は1ミリや2ミリを問題にする細かい仕事なので、信じられないほど手間暇がかかるんです。設計料というのは、いただく側から言わせてもらえば高くはありませんが、払う側にしたら高いはずですからね、その設計料分を仕事の内容できちんとお返ししなければならない。これは設計者の義務だと思っています。


32歳で独立したんだけど、コネもないしお金持ちの親戚縁者もいなかったから仕事はほとんどゼロ。個人住宅の風呂場の改修とか、台所の改修とか、はじめは本当に小さい仕事で食いつないでいました。ただ、若かったから不思議に焦りもなかった。いずれちゃんとした仕事をやれる時期が来るだろうと。若者というのは、霞のおにぎりに夢を振りかけて食べていても生きていけるんです。ほかの職業のことはわからないけど、それくらいの覚悟がなければ、建築家ってやっていけない職業ですからね。いま思えば、あの頃は霞と夢が主食だったな。


それまでに手がけた一連の住宅作品で、「吉田五十八賞」の特別賞を受賞しました。それも、素晴らしいクライアントや職人に出会えたから。つくづく、僕は人との出会いに恵まれていると思いますね。クライアントや職人といつの間にか親友になっちゃうこともよくあるんです。


建築家は定年もないし、健康であれば死ぬまで現役でやれる仕事です。僕は60代になりましたけれど、さあこれからもう一頑張りしようって感じですね。マイペースを崩さないで楽しみながら、住宅設計と家具デザインと文筆の三輪車を漕いで、自転車操業を続けていくつもりです。


ある意味、住宅建築家は仕立屋(テイラー)みたいなものなのではないでしょうか。それも、人目を惹くパーティー服のテイラーじゃなくて普段着のテイラー。しっかりした素材で、丁寧に縫製してあり、着ていることを忘れるぐらい体に合っていて、洗えば洗うほど風合いを増す、何年経っても時代遅れにならない服を作るテイラーなんです。わかりやすく言えば、ブルージーンズのような普段着の住宅が僕の理想ですね。


クライアントには、いつも要望書を書いてもらっています。ただ、大切なことはそこに書かれている内容というよりは、要望と要望の間から浮かびあがってくる「潜在的な要望」なんです。それをどう建築的なかたちにするか。そこでお喋りをしたり、一緒に食事をしたりお酒を飲んだりしてよく観察して、要望書の行間を読み取ってクライアントのツボを見つけて押してあげる。これがハマると達成感がありますね。クライアントもかゆいところをちょうどかいてもらった気持ちになって、おたがいに、めでたし、めでたし。うまくいけばね。


住宅とは、そこに住む人の生活をまるごと入れる容器です。だからこれから家を建てたい人は、自分や家族のことをよく考えて、背伸びもせず、卑屈にもならず、自分の身の丈にあった住宅を作ればいいんだと思う。ただ、「等身大の自分たちの生活を知ること」って、住み手の側にも設計する側にも案外むずかしいんだよね。クライアントが、どう暮らしたいのか。どう生きたいのか。それがわかれば建築家は仕事がやりやすくなるけど、これが結構わかりにくい。生き方にポリシーがあれば、住宅の細部に至るまで、判断はプレないものなんですけどね。


自分の仕事にとってのひとつの転機になったのは、40代の後半になってから雑誌に連載した『住宅巡礼』です。20世紀の名作住宅をひとつひとつ訪ねてルポルタージュを書くというものでした。400字詰の原稿用紙で20数枚というまとまった文章を書くなんてはじめてでしたからね。それが最終的には19回分の連載になったので、大変さは半端じゃなかった。世界各地の名作住宅を、ほとんど一人旅で30軒ぐらい訪ねて回りましたね。旅費と宿泊費が取材費を大幅に上まわって、毎回、大赤字だったけど、その経験で得たものは、自分にとってはお金なんかに換算できない生涯の財産になりました。この連載をきっかけにして、文章を書くことが僕のもうひとつのライフワークになり、自分の進むべき文章の世界の扉が開いたんですよ。


建築家の仕事って、かけだしの頃に両親や親戚の家からはじまることが多いんですよ。簡単に言うと、身内から犠牲者を出す。それから業績を重ねて仕事の規模を大きくしていき、公共建築をやるようになり、最後には国家的なプロジェクトまで手がけるようになれば、建築家すごろくはめでたく「あがり」になる。ほら、たとえば丹下健三さんみたいになるわけね。だけど、僕はハナから「あがり」を目指さず、住宅と家具デザインだけをやろうと思っていました。何回も何回も「ふりだし」に戻る道を選んだことになるんです。


建築家に必要な資質って、楽天的で計画性のないことかな。予定していた仕事が延期や中止になることもよくあって、なかなかこちらの思惑通りにはいかないですからね。最近も、住宅の新築工事がはじまった途端に手がける予定だった工務店が倒産して窮地に追い詰められたりしたけど、不測の事態に見舞われても、いちいちしょげたりメゲたりしていたらやっていられない。繊細さと図太さが同居していないと務まらない職業なんです。


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