世阿弥の名言 一覧

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世阿弥のプロフィール

世阿弥、ぜあみ。室町時代初期の猿楽師。父の観阿弥とともに能を大成した。

命に終わりはあっても、能の研鑽には終わりはない。


「衆人愛敬」の精神を大事にすることが、一座を維持してゆく幸せの基礎であり、一座の繁栄につながる。


少し技が不足していても、能の本質をよく理解している役者のほうが、一座を背負って立つ棟梁としては勝っているというべきであろう。


わが観世座流に金言というべき一句がある。「初心忘するべからず」この句には三か条の口伝が付随している。ひとつは「是非によらず、修行を始めた頃の初心の芸を忘るべからず」ふたつめに「修行の各段階ごとに、それぞれの時期の初心の芸を忘るべからず」みっつめに「老後に及んだのちも、老境に入ったときの初心の芸を忘るべからず」


過去のそれぞれの時期に行った演技というのは、それぞれの段階での初心の芸に他ならない。それを現在の芸風の中に統合して持っておくことは、それぞれの時期の初心の芸を忘れないことだろう。人はこのようにしてこそ、あらゆる芸域を広く身につけた演技者となりうるのである。だからこそ、それぞれの時期の初心の芸を忘れるなというのである。


50歳を越えてからは、なにごとについても「しない」ということを方針にする。これはきわめて重大なことである。この時期に習うこととは、まず演目の数を少なくすること。そして音曲を中心にし、演戯は淡白に、舞なども技芸の型は減らし、昔日の華麗さの名残を見せるようにすべきである。


若い頃の芸を常に忘れずにいれば、老後にさまざまな利益となる。「以前の欠点や間違いを知ることが、のちのちのためになる」と世で言われているように「前を行く車がひっくり返るのを見るのは、後に続く車の教訓になる」ということわざと同じだ。初心の芸を忘れてしまっては、その後に得た現在の芸境も忘れてしまうのではないだろうか。


生涯この初心を忘れずにすごせば、引退の舞も上達一途のうちに舞うことができ、最後まで能には退歩ということがないはずだ。だから、能の行き止まりを見せることなく生涯を終えることを我が観世座流の奥義とし、子々孫々家訓として守るべき秘伝とする。


初心の段階から盛りのときを経て、老年の時期に至るまで、それぞれの段階にふさわしい演戯を習い覚えるのは、それぞれの時期における初心の芸に他ならない。もしそれぞれの時期の芸を捨ててしまって忘れてしまうなら、現在の芸風しか身につけていないことになる。


命には限りがあるが、能には限りがない。だから、それぞれの時期の演戯をひとつひとつ習い覚え、すべて身に着けても、さらに老後の姿にふさわしい技芸があり、それを習うのが老境の初心の芸なのである。そこで老境の芸を初心と覚悟していれば、それまでに身に着けてきた能が老境の芸に凝縮されてくる。


能の演技者として功なり名を遂げたのは、能がしだいに上達していったからである。にもかかわらず、上達の過程を忘れてしまっていては、もし自分の芸が初心の段階に逆戻りしてもわからない。初心の芸に帰ってしまうということは、すなわち能が退歩することだ。だから現在の自分の芸境を見失わないためには、初心の芸を忘れまいと工夫しなければならない。


勝機が見え、かさにかかって攻めたてる時が「男時」、敗勢が濃く、じっと耐えながら勝機を待つのが「女時」。時のなかに働く因果のことわりも、謙虚に受け止めなければならない。


そもそも芸能というのは、人々の心を和らげ、楽しませ、身分の上下なくあらゆる人の心も動かすものであり、幸福を増進し寿命を延ばす基となるべきものだ。さらに突きつめて考えてみれば、人間社会の営みというものは、いかなる道も幸せにしてゆくためにあるものだ。


たとえ我が子であっても、力のない者には継がせてはいけない。たまたまその家に生まれたから家の継承者になるのではなく、継ぐのはその道の真髄を知る人でなければならない。


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