三浦雄一郎の名言 一覧

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三浦雄一郎のプロフィール

三浦雄一郎、みうら・ゆういちろう。日本のプロスキーヤー、登山家。北海道大学獣医学部卒業後、同学部で助手として勤務。スキー学校を開設してプロスキーヤーとして活動を始める。イタリアで開催されたスピードスキーの大会キロメーターランセに日本人初参加し、当時世界新記録を樹立。ギネスブックに掲載されたエベレストのサウスコル8000メートル地点からの滑走を始め、世界七大陸最高峰からの滑降を成功させた。青森大学工業学部生物工学科教授。スペインのスポーツ英雄大賞、米国アカデミー賞長編映画部門などを受賞。

人間も国も企業も、夢を持ってチャレンジし続けることが大切。


健康よりもうひとつアクティブな「健康寿命」が大事です。言い換えれば、攻めの健康。守るだけじゃ、どんどん年齢に負けますよ。


この先の日本は高齢化社会でしょう。せっかく世界で最先端の高齢化社会になったのだから、どうやって活力を持って生きていくか考えないと。


原動力は単純に「やりたい」という気持ちと、やっぱり世界の天辺に登る夢ですよね。夢の力。これが大きいと思います。


ある意味で死ぬのが一番簡単なんですよ。山へ行っても、もう死んだほうがましと思うほど苦しくなる。でも、そんな簡単な道を選んではいけない。人間、最後の最後まで生き抜いて、最後に笑って死ねればいい。それしかありませんよ。


老いぼれるのは結局、自分で諦めているんですよ。年を取ると、できない理由ばかりを一生懸命考え始めるんです。


多くの人は高齢者はこうあるべきだと、勝手に自己暗示にかかっている。「もう余生だから」と思っているわけです。よせぃばいいのに(笑)。僕の親父はいつまでもスキーがしたいと思っていたから、元気でいられたんです。


僕の人生だって壁だらけですよ。ただ、僕の場合でいえば、心臓の不整脈や骨盤骨折があっても、治せばまたチャンスがあると本気で信じていた。時間をじっくりかけてでも、壁は乗り越えるしかない。


心の中でいつも目標を持つことが大切。そうすると怠けていても、やらなきゃいかんなという気持ちがどこかで起きますから。


父から学んだことは、年齢に関係なく、好きなことに熱中する姿ですね。白寿(99歳)でモンブランを滑ったあと、ホテルの部屋に戻ってシャワーを浴びてベッドにドンと腰かけて「いやあ、わしゃ今生の別れのつもりだった」と言うんです。要するに死んでもいい覚悟でやったと。その言葉を鮮明に覚えています。


「諦めなければ夢はいつか叶う」という言い回しがありますが、本当にその通りだと思います。夢や目標を持つといっても、そんなに大それたものでなくていいんです。富士山に登ってみようとか、高尾山に登ってみようとか。旅に出ようでいい。何か夢や目標を持って行動につなげてほしいと思います。


子供にはあまり「勉強しろ」とは言いませんでした。小学校の頃から「冒険しろ」「一緒にキリマンジャロに登ろう」と。要するに面白いけど、苦しいことをやらせるわけです。れを何回も経験させるんですよ。勉強だって苦しくなってくる。それを「面白くなるように工夫してみろ」と言っていたら、いつのまにか医学博士を取っていて。


小さな挫折や失敗を気にせず、「今日はこれだけやれた」という達成感を積み上げていく。無理しない範囲で、できることを積み重ねていけば、やがて無理がきくようになります。私は70歳でエベレストの頂に立つという大きな目標を掲げながら、日々の生活では階段を一段一段上ることに意義や喜びを見出してきました。


本田宗一郎さん、佐治敬三さん、盛田昭夫さん、私が会った一流の企業家は、やっぱりみなさん前向きで、上機嫌な人たちだった。そして、年齢に関係なく何かを追い続ける生き方は、全員に共通していたと思います。


トレーニングというものは、いつでも、どんなレベルでも疲れるものです。これをやり続けるためには、焦らず、常に前向きに物事を考えることが大切です。二日酔いで一日トレーニングをさぼっても、自分を責めたりしない。明日からなんとかなるさ、と大雑把に考えた方がいいんです。


私の父親は、あと数カ月で100歳になりますが、今年白寿でモンブランでのスキー滑走をやってのけた。98歳から99歳の二年間で本も三冊書いています。その姿を間近に見ていたら、自分もまだまだと思わずにはいられません。エベレスト登頂を前にして、私の体力が、30代後半の水準まで戻ったのは、父親に負けてはいられないという思いが、それだけ強かったからかもしれません。


いま、企業で働く中高年には、夢をなくしていた頃の私とだぶる人が多いような気がします。会社の業績もいまいちで、何とはなくしょぼくれている。年齢的にも「もう限界」と挑戦を諦めているのではないでしょうか。でも、私がそうだったように、50歳、60歳からでも相当のことができるんです。


再びやる気になっても、初めはまさに醜態をさらす状態でした。札幌の自宅から藻岩山に登ってみたんですが、過去の栄光は見る影もない。「たかが500メートルの小山」と思っていたのに、途中で息が切れて先に進めなくなった。その横を70歳、80歳の人たちがスイスイ追い越していくんです。世界のミウラの横をですよ。
【覚書き|53歳で世界七大陸最高峰のスキー滑降を成し遂げた後、目的もなくトレーニングしていなかったために体がなまってしまったこと当時を振り返って】


53歳の時に、世界七大陸最高峰のスキー滑降を成し遂げて以来、私は全く普通のおじさんになってしまいました。冒険家としての挑戦は、この辺でいいのかなという気がして、飲み放題、食べ放題。その結果、164センチの身長で体重は80キログラム以上に増え、高血圧に高脂血症、おまけに糖尿病の兆候まで出てきた。そこから、「人生、このままたそがれてちゃいけない」と一念発起し、本気でエベレストを目指して始めたのは6年前のことです。


今年5月、70歳7カ月でエベレスト登頂に成功しました。いままでの最高齢記録を更新し、いろんな人から「すごいですね。どうしたら70歳までそんな力が出せるんですか」と言われるんですが、私の答えはいつも決まっています。「皆さんにもできるんじゃないですか。できますとも」と。


僕も病気やけがを抱えています。80歳で3度目のエベレストに登ろうと思った時には大腿骨と骨盤を折りました。エベレストに向けて出発する1か月半前には心臓手術も受けました。あの時に目標がなかったら、今頃は寝たきりでしょう。


新幹線に初めて乗って、三島辺りで富士山が見えた。富士山は何度も滑っているけど、あれを直滑降したらカッコいいだろうと思いました。「待てよ、どうやって止めるかな」と考えて、ノートを取り出して富士山をスキーで滑っている絵を書いていたら、パラシュートを付けたら面白いというアイデアが浮かんだ。大阪で講演があったんですが、終わってすぐに防衛庁(のちの防衛省)の航空装備研究所に相談に行ったら、「面白い」とパラシュートの設計に協力してくれたんです。


体の老いと心の老いでは、心が先じゃないですか。僕らもやっぱり同窓会に行くと、「俺はもうダメだ」とか、「あっちが痛いこっちが痛い」「老人ホームはどうする」とネガティブな話題が湧いて出てきて、当然、自分もそういう話の輪に入っていくものだと思っちゃうんですよね。


エベレストでお茶会をしたとき、外はマイナス25度。でも、絶対8500メートルでお茶会をやろうと決めてたんです。だから茶筅(ちゃせん)から何から全部持っていった。本当は100グラムでも軽いほうがいいのに(笑)。「お父さん、何でそんな無駄なもの」って息子や他のメンバーからは言われました。でもね、すごく効いた。8500メートルの高さでは交感神経が優位になって、興奮して眠れなかったり、落ち着かなかったりするんです。それがお茶を飲んでいるうちにスーツと心が静まって。


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