三森久実(三森久實)の名言 一覧

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三森久実(三森久實)のプロフィール

三森久實、三森久実、みもり・ひさみ。日本の経営者。和定食屋「大戸屋ごはん処」を展開する「大戸屋」社長。山梨県出身。中学卒業後、子供のいなかった大戸屋創業者(伯父)の養子となる。高校卒業後、フランス料理店などを運営するフローラフーズに入社。養父が急逝したため21歳で大戸屋の経営を引き継ぎ同社を大きく成長させた。

自分の夢や思いが強ければ強いほど、自然と導かれてそれが具現化していく。


結局のところ、経営理念や基本が大事。それが根底にあって、その範囲内でやれば間違いありません。


常に最新、最高レベルの情報に接していないと繁盛店にはなれない。


朝から晩まで現場に入っていると、お客様のニーズを把握できて、いろんなアイデアが浮かんでくる。


よそ見をしないで、本業に徹しようと覚悟を決めることが一番大切です。


コンビニが追随できないような品質の日本食を効率よく提供できるようにしていれば、当然のように生き残っていけると思います。


遅すぎることはありません。自分で志を打ち立ててこそ、自分本来の能力を存分に発揮できます。これこそが自分の人生を生きることではないかと私は思うのです。


若いうちに上手くいくと、たいてい失敗するんですよ。調子に乗っていろいろ手を出したくなる。私も大皿料理の居酒屋をやったり、ハンバーガーチェーンのフランチャイジーを始めたり。でも、そういうのは全部失敗しました。大戸屋の利益をそれ以外の店で食いつぶす状態に陥ってしまったのです。


たったひとつでいいのです。「何が何でも成し遂げたい」というものを決めれば、すべての行動が自然とその達成に向かうようになります。そうすれば努力も苦ではなくなります。


なぜ一軒の定食屋がこれほど成長できたのか。それは、お客様の存在、関係者の方々のご協力や従業員の働きがあってのことなのは言うまでもありませんが、「何が何でもこの店を広げよう」という志を立てたからだと私は思っています。それがなければ、海外に出店するほどの成長など、とうてい叶わなかったでしょう。


不幸中の幸いというか、新しい吉祥寺の店で打ち出した「女性が気軽に入れる定食屋」というコンセプトが評判になり、経営は持ち直してきました。それ以来、「清潔感があって、誰でも気軽に健康的な食事ができる定食屋」を広めるのが、私の新しい目標になりました。
【覚書き|34歳のころに大戸屋吉祥寺店が火災に遭ったときを振り返っての発言】


火災による吉祥寺店の全面改装で借金はさらに膨らみ、資金繰りが難しくなりました。借金を返すためには、いまある店できちんと利益を出しながら、成長することが必要でした。カメのように着実に、ウサギのように速く走らなきゃいけない。相反することを同時に成し遂げなくてはならない難しさを身をもって感じたのはこのころです。
【覚書き|34歳のころに大戸屋吉祥寺店が火災に遭ったときを振り返っての発言】


養子に入った伯父の家が東京の池袋で定食屋をやっていましてね。大戸屋はそのときからの屋号です。最初は継ぐつもりはなかったんですが、私が21歳のときにその伯父が亡くなってしまって。私は伯父をとても尊敬していましたから、この食堂をもっと大きくして恩返しをしようと思ったのです。


海外店舗の成功の秘訣は、日本人が食べて美味しいと言われる店をつくること。日本人は世界で一番味にうるさい。その日本人に評価されなければ繁盛店はつくれない。


食を提供する人間として、美味しいものを食べて研究することにはお金を使っています。自ら食べて美味しい味の記憶を積み重ねることが最も大切だと思うからです。


海外店舗でも日本と同じように、大戸屋の経営理念がスタッフに伝わるようにしています。アジアでもニューヨークでも朝礼をしますし、それによって従業員も判断基準が「お客様である」と言えるような良い意識に変わってきます。朝礼をきちんと行わない店は人も育たず、成長しません。これは、人の行動が意識によって変わる以上は当然のことです。


約40年前に日本の外食産業が発展しはじめたのは、マクドナルドのようなアメリカの総合オペレーションをとりいれたことがきっかけでした。もちろん効率は良くなるのですが、やはりアメリカのシステムは洋食向きなのです。「それをそのまま和食に全て当てはめるのは難しい」ということは初めからわかっていたので、大戸屋ではアメリカ式のオペレーションを取り入れつつ新しい技術を開発し、これが結果的に他チェーンとの差別化になっています。


大きな失敗をいくつかした後、反省して、立て直した吉祥寺店の現場に戻りました。これが非常に良かったですね。女性客の多さに気が付いて、女性が一人でも気軽に入れる定食屋として今の大戸屋を生み出すきっかけになったのです。そこからは比較的トントン拍子に進んでいけました。


私は大人気の定食屋を作った先代を非常に尊敬していたので、突然亡くなったことが非常にショックでした。先代は私を子供の頃から随分可愛がってくれました。その恩返しに先代が残した定食屋を継ごうと私は強く思ったのです。でも当時のお店はおじさんたちや若い学生が通う昔ながらの定食屋であまり良いイメージはなかった。それが悔しくてね。だから新しい定食屋を創造して大きくして全国に広めたいと思いました。その想いが今に続く原点にあります。


我々の仕事は家庭食の代行業です。家庭でお母さんやおばあちゃんが作る料理の基本は、家族の健康の維持と促進。いわばこれが家庭料理の理念です。お母さんやおばあちゃんは家族を代表し、家族の健康を思って、バランスを考えて献立を決め、手間がかかっても料理をするために買い物へ行く。その時、ただ安いだけでは買い物をしないでしょう。おふくろの料理は家族を思いやる料理です。我々はその代行業であるかぎり、安さだけで競争することはありえません。


食べ物によって人々の健康を促進するのが外食産業の使命です。それに食べ物が美味しかったり、良い接客をしてもらったりすると、心も美味しい気持ちになるでしょう。つまり心と体の両方で感じられる健康促進が我々の理念なのです。その理念を実現していくために、大戸屋は存在しています。


先代が亡くなった時は、借金がほとんどありませんでしたし、大人気の定食屋だったので、2~3年で8000万円ほどの資金が貯まりました。その後、高田馬場や吉祥寺にも店舗を出店したら、すべて繁盛店になったのです。3店舗で年間約5億円の売上高になっていました。羽振りがよくなった私は自分の力量を勘違いし、他の飲食店にも手を出してしまった。すると見事に失敗しました。


先代には商いの心構えなどを教わっていなかった上に、店を継いだ1年前には母も入院していたため、経営のことなどまったく分からず戸惑っていました。そんな頃に出会ったのが、たまたま書店で手に取った松下幸之助さんの書籍『実践経営哲学』でした。正直言うと、その時は読んでも「そういうものか」と感じたくらいで、あまりピンと来ませんでしたが、経営者として働きながら折にふれて読み返すうち、この本は私にとって、とても大事な一冊となったのです。
【覚え書き|21歳で大戸屋食堂を引き継いだ当時を振り返っての発言】


広い意味で考えたら、他の定食屋チェーンや居酒屋、ファミリーレストランなどの外食だけではなく、コンビニエンスストアのお弁当などもライバルと言えるでしょう。食に関わるあらゆる業態がライバルだと思います。コンビニのお弁当も美味しくてリーズナブルですからね。


右肩上がりで成長してきた時代は、料理がたとえあまり美味しくなくても、便利だったりお酒落であったり新しい業態であれば、外食チェーンも支持されました。しかし今は「美味しい料理を提供する」という本業に徹しているところしか生き残らないと思います。だから品質の追求を徹底的にすることが大切。


我々の規模では、安売り競争に入れば生きていけません。安売りをしようとすれば、食材の質も落とさなければいけない。しかし安全性の疑問が残るような素材は絶対に使いたくありません。お客様からの支持が得られないと思うからです。安売りが激化すれば、仕入先などの企業が泣かされる場合があります。そうすれば、無理が重なり、ほころびが出来て、大きな社会問題になる可能性も考えられます。我々は安売り競争から脱却しなければいけません。そのためにはリーズナブルな価格で品質が高いことが最も重要でしょう。


言葉は違いますが、海外でも日本と同じ社員教育をしています。経営理念を具現化することは国内でも海外でも非常に大切であり、大変なことです。経営理念がしっかりしていれば、判断に迷いません。


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