三國連太郎の名言 一覧

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三國連太郎のプロフィール

三國連太郎、みくに・れんたろう。日本の俳優。群馬県出身。旧制中学卒業後、様々な職を転々としたのち、太平洋戦争に従軍。なんとか生きて復員したのち松竹のプロデューサーにスカウトされ演技研究生になる。その後、様々映画やテレビドラマに出演した。日本アカデミー賞最優秀主演男優賞3回。ブルーリボン賞主演男優賞2回、助演男優賞・新人賞各1回。カンヌ国際映画祭審査員特別賞。そのほか多くの映画賞を受賞した。

人は一人では生きられない。だからこそ、人とのかかわりに人生は大きく左右されます。


偶然の出会いを重ねてきた僕ですが、自分の経験を踏まえて若い世代に伝えたいのは、「自分の才能にプライドを持つ」ということ。志を高く、誇りを持って突き進むことで、人生を実り豊かにしてくれる出会いを引き寄せて欲しいです。


30代のころ、当時は所属する映画会社の作品以外に出演するのはタブーでしたが、素知らぬ顔でやってしまったり、独立プロの作品に出演したりしていました。僕はただ純粋に、自分が尊敬する人と一緒に仕事がしたかっただけなんですがね。


女房はしんどいと思いますよ。僕は演じている役柄で人格が変わってしまうんですから(笑)。明日の芝居を考えていると、今日の生活が役と同じになってしまうんです。


自分という容器の中で、自分の体や感情の中にある役柄との共通点を取り出して、そこを原点に精一杯演じていく。その方法しかないと思っています。


若いときは自分の実人生と、演じている役柄は、まったく別人格だと思って演ってきたんですけど、自分と演じている人物はまったくの別の人格だと割り切って、その役を演じ切ることはできない。それは錯覚だったと気が付きました。


いい加減なくせに台本には文句をつける。監督とはけんかはする。クビになったり干されたことが何度もありました。そのとき、ありがたいことに手を差し伸べてくれる演出家がいたからこそ、60年近くもこの仕事を続けられてきたわけです。


僕はいつも、自分が納得する作品に出演したいと心がけています。お客さんが入場料を払っても見合う作品を選んで出演しようと思ってきました。日本映画の入場料は国際水準を遥かに超えているんです。「よかった。考えさせられた。決して高くなかった」と合点の行くシナリオと役者の演技が第一条件ではないかと思っています。いつごろからかは、はっきりと覚えていませんが、そういう選択に合格する仕事をしていこうと心に決めているんです。


俳優になったのは、偶然の出会いからです。上京して間もない27歳のとき、新橋を歩いていたらスカウトされましてね。それまで俳優を職業として考えたことはありませんでしたが、当時はなかなか就職先が決まらずに困っていたため、「飯が食えるなら」と引き受けることにしたんです。


27歳でスカウトされた翌年、木下恵介監督の『善魔』で主役デビューをしました。演技経験ゼロの素人でしたから、撮影は本当に大変でした。当然、NG連発なわけです。が、監督は絶対に妥協しない。納得いくまで何回でも撮りなおすんです。ワンカット撮るのに8000フィートのフィルムを使うという意味で「三國8000」などといわれ、参りましたね。


60年近い俳優人生を振り返ってみると、「僕ほど出会いに恵まれた人間はいない」とつくづく思います。今回、22作目でファイナルを迎えることになった『釣りバカ日誌』も、スタッフや共演者の方々とのいい出会いがあったからこそ、こんなにも長く続けてこられたのでしょう。


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