一龍斎貞鏡の名言 一覧

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一龍斎貞鏡のプロフィール

一龍斎貞鏡、いちりゅうさい・ていきょう。日本の女性講談師。東京出身。祖父、父が講談師の家庭に生まれる。22歳のとき、父の八代目一龍齋貞山に弟子入り。講談の魅力を伝える活動を積極的に行った。

講談で人気の演目に「黒田武士」があります。いまから400年ほど前。筑前国、現在の福岡県の城主・黒田長政の家臣に、母里太兵衛(もり・たへえ)という武将がいました。ある日、太兵衛は勇将・福島正則のもとに使いを命じられます。正則は太兵衛をねぎらい、酒を勧めますが、太兵衛は主君の長政から「決して酒は飲むな」と忠告されていたため、これを固辞します。しかし酒豪の正則は「飲み干せたなら好きな褒美をやる」と執拗に酒を勧め、さらには「黒田武士は酒も飲めない、腰抜けか」と挑発。ついに太兵衛は、大盃で酒を3杯飲み干し、正則が豊臣秀吉から賜った名槍「日本号」を所望。後に引けなくなった正則は、家宝の槍を手放さざるをえませんでした。この逸話から民謡『黒川節』が生まれたといわれています。結果として太兵衛は、主君との約束を破ったわけですが、約束にこだわり続けていれば、黒田家の面子は潰れ、正則の怒りも収まらなかったかもしれません。ぎりぎりまで交渉を重ね、「ここぞ」というタイミングで動いたことで、大きな成果を手にしたわけです。


歌舞伎で人気の『忠臣蔵』。講談でも『赤穂義士伝』として盛んに口演されています。仇討ちの主導者である赤穂藩の筆頭家老・大石内蔵助(おおいし・くらのすけ)は、事件の前から「昼行灯(ひるあんどん)」と嘲りを受ける「ダメ上司」でした。江戸城殿中の刃傷事件が起きてからも、すぐには立ち上がらず酒色に耽ります。ほかの浪士たちは苛立ちを隠しませんでしたが、それでも彼らは内蔵助を信じて、1年10カ月の間、決起を待ち続けました。なぜ彼らは内蔵助を待ち続けたのか。それは平凡な日常では「昼行灯」と呼ばれるような「ダメ上司」でも、非常時には力を発揮するタイプだと、周囲から一目置かれていたからだと思います。いざというときに人を動かすのは、立場ではなく、人間力でしょう。内蔵助には、一見ダメに見えても、部下が期待を寄せてしまう魅力がありました。


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