ラ・ロシュフコー(ロシュフーコー)の名言 一覧

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ラ・ロシュフコー(ロシュフーコー)のプロフィール

ラ・ロシュフコー(ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)。17世紀、フランスの貴族、モラリスト、文学者。いくつかの戦争で戦った後、著作活動に入る。マドレーヌ・ド・サブレの文学サロンに参加し、当時新しい文学の一分野となった警句の作家として活躍。著書に『考察あるいは教訓的格言・箴言』。

羨望というのは、他人の幸福が我慢できない怒りなのだ。


欠点の中には、上手に活かせば美点そのものよりもっと光るものがある。


世間なんかなくてもやっていけると考える人間は、よほど自分を騙している人間である。しかし、自分がいなければ世間はやっていけないと空想する人間はそれ以上に間違っている。


自分の腕前を隠す心得があることこそ、大きな腕前である。


才能があっても、胸くその悪くなるような輩(やから)もいれば、いくつも欠点を持っていて、快感を与える人もいる。


美徳は、虚栄心が同行してくれなければ、それほど遠くまで行けないだろう。


どんなに不運な出来事でも、賢人はそこから自分の利になることを引き出す。しかし、どんな幸運な出来事でも、愚者はそこからわざわいを引き出す。


金に目もくれない人はいくらでもいるが、金の与え方を心得ている人はほとんどいない。


適当に語るには多くの技巧を要する。黙っているにも、それに劣らぬ技巧がいる。雄弁な沈黙というものである。


人間は、自分が考えるほど不幸でもないし、それほど幸福でもない。


ひとつも馬鹿なことをしないで生きている人間は、彼が自分で考えているほど賢明な生き方ではない。


我々はあまりにも他人の目に自分を偽装することに慣れきって、ついには自分自身にも自分を偽装するに至るのである。


千人もの人が愛すべき長所を持ちながら、嫌な感じを与え、千人もがそれ以下の才能しかないのに好感を与える。そのわけは、一方は「ありのままの自分でないもの」に見られようとし、他方は「見えるとおりの人間」だからである。


我々は時として自分の器以上の位や顕職に引き上げられることがあり、また生まれつき定められていたのとは別の新しい職に従事することも多い。こうした境遇には、すべてそれぞれにふさわしい顔があり、その顔は必ずしも我々の本来の顔にふさわしいとは限らない。


人がしばしば嫌な感じを与えようとすれば、それは顔と挙動を自分の境遇に調和させ、声の調子や言葉を自分の考えや気持ちに調和させることが、誰にも上手くできないためである。人はそれらの間の諧調を調子はずれでそぐわない何物かで乱してしまう。自分自身を忘れ、知らぬ間に自分から遠ざかる。ほとんどすべての人が、どこかでこの過ちに陥る。誰一人この種の快い調べを完全に聞き取るだけの良い耳を持たない。


結局我々は、自然からどんな利点もしくは不利な天を与えられているにせよ、自分の身分や境遇にふさわしい、顔、声、挙動、気持ちに即しているほど好感を与え、底から遠ざかるほど嫌な感じを与えるのである。


人それぞれ、境遇と才能にふさわしい顔がある。その顔をやめて他の顔にすれば必ず失敗する。自分にとって自然な顔を心得て、それを置き忘れず、できるだけ良い顔にしようと努めなければならない。


我々の気分が穏やかであるか荒れるかは、生涯の重大事によってよりも、むしろ毎日起きるこまごましたことの運びが、思わしく行くか行かないかによって左右される。


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