ハロルド・ジェニーンの名言 一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加

ハロルド・ジェニーンのプロフィール

ハロルド・S・ジェニーン。米国の大手国際電話会社ITTの会長。ニューヨーク大学卒。大学卒業後、ニューヨーク証券取引所のボーイや新聞社、会計事務所などの職を転々とし、軍需製品メーカーのレイセオン社に入社し、CEOまで上り詰める。その後、ITTのCEOとなり、保険会社、ホテル、不動産業などの会社を買収。14年半連続増益という偉業を達成する。アメリカでは経営の師と呼ばれ、現在でも起業家・経営者の目標となっている。

本は最初から読み始めるが、ビジネスは逆だ。最後からはじめて、そこに達するためにしなければならないことをするのだ。


リーダーシップは言葉よりも、態度や行動で示されるものである。


最高経営者の第一の役割は、いわばチームのクオーターバックとして、ゴールポストはどこにあるか、そしてそこへ到達するにはどうするのが最善かをチームの全員に示し、しかるのちに率先してそのプレーへとチームを導くことだ。
【覚書き|クオーターバックはチームの司令塔の役目をするアメリカンフットボールのポジション】


現実的な確固とした目的を定めること、終わりから始めることの素晴らしい点は、それ自体が、その目的に達するためになすべきことを示してくれ始めることにある。Z地点に到達したければYに行きつかねばならず、Yに行きつくためにはXを達成しなくてはならないといったふうに。それぞれのゴールが、そのゴールに行きつくためにしなくてはならないことを明示してくれ、それぞれのゴールはそれ自体がボトムラインとなる。


企業であろうと教会であろうと探検隊であろうと家庭生活であろうと、そのマネジメントの良し悪しは、それが自ら設定した目標を達成するかどうかによって判断され、その目標が高ければ高いほど、良いマネジメントだと言える。実際、目標があまりにも低ければ、私はそれをマネジメントとは呼ばない。そんなことだったら誰にでもできる。


ビジネス世界の報酬はすべて二種類の通貨で支払われる。二種類の通貨とは「現金」と「経験」だ。報酬はまず経験で受け取ること。現金は後でついてくる。


実績はすべてであり、実績のみがすべてである。これがビジネスで変わらない大原則だと私は思う。実績のみが、君の自信、能力、そして勇気の最良の尺度だ。実績のみが成長する自由を君に与えてくれる。


ITTで最初の2・3年、私は水っぽい、口ごもった、あいまいな報告書を散々読まされた。そこで私は報告書に何を期待するかを、はっきりと述べたメモを配布した。

    今後、私はすべての報告書の冒頭に、以下のことを以下の順に、具体的かつ率直に述べた概要をつけることを要求する。
  1. 提案の要領。
  2. 問題の概要。
  3. 必要な場合には、その提案に到達した論拠を明らかにするため、思考過程の明確な説明と、判断を助ける展望を提供してくれる数字。
  4. 右以外の起案者の個人的意見と、確信の度合いと、取り上げられた事柄に関する疑問点などを述べた短い記述

最初の四半期に目標を達成できなかったら、決して年間目標を達成することはできない。とにかく最初の四半期に予定された収益目標を達成するのだ。それから第2、第3の四半期の目標を達成する。そうしたら、もしかしたら第4四半期はあまり努力しなくても計画通りに行くかもしれない。


ある問題を解決するのに22通りの方法を試み、それでもまだ成功しなかったら23番目の方法を試みなくてはならない。何かが上手くいっていないのを見つけたら、原因がわかるまで究明し、ひとつの解決法が効果をあげなければ、別の、また別の、さらにまた別の方法を試みることだ。


真のリーダーは下の人々に、どんな理由からであっても、自分に近づくことを恐れさせないようにしなければならない。


リーダーシップは物事を遂行するように人々を駆り立て、答えを出さなくてはならないと感じるがゆえにそれをやり続け、満足できる結果を得るまで止めないように駆り立てる情念の力である。もちろん、努力がいつでも成功するとは限らない。だが、その場合には、早くそれを悟り、その状況から抜け出すことだ。損失を最小限にとどめて、他のことに向かっていくのだ。マネジャーたる者は、押し流されてはならない。


多くのビジネス戦略家が見過ごしがちなことは、屑物置き場が稼ぎ出す1ドルも、石油会社やコンピュータ会社が稼ぐ1ドルとまったく同じものだということだ。


良いリーダーのやることは紳士的でなくてはいけない。誰も自分のリーダーが無知、優柔不断、弱さから無能を甘やかすことを望みはしない。弱いリーダーについていきたいとは誰も思わない。リーダーとして弱いことは最低である。困難な状況にぶつかったら、どう変わるかわからないからだ。困難で、不評判ですらある決断をすることを恐れない強いリーダーの方がずっと多くの尊敬と忠誠を勝ち取る。目下の人間を扱うのに紳士的で公正で信頼できると知られている限り。


良いアイデアというのは得難いものであり、最高経営者は創造力に富んだアイデアを歓迎し、育てる責任があると私はいつも考えていた。最高経営者は、一見突飛なアイデアに率先して予算や資金を割り当て、リスクを冒せる地位にある。少なくとも、そうあるべきだ。


批判されるのが好きな人間はいない。批判を受けた場合、最初の反応は防御と反撃の衝動だ。しかし、それは各自が努力して自制すべき種類の衝動だ。誰かが私と意見が合わない場合、私はキッとなるのを避けるために、意識的に後ろにもたれる姿勢をとるように努めた。私は自分が間違いを犯そうとしているかもしれないときには、誰かがそれを指摘してくれることをいつでも望んでいた。私は相手の言うことを聞き、見解を交換した。


余分に働くことの価値の理論的根拠ははっきりしている。ほとんど同等の知能と能力を持つ二人の人間を想定してみなさい。そして10年間、一人は1日8時間、もう一人は1日12時間働き続けたとしよう。10年たったころに、一人は10年、もう一人は15年に匹敵する経験を積んだことになる。君が人を雇う立場だったら、その二人のどちらを雇うだろう。どちらの方が他よりすごれたビジネスマンになる可能性が大きいだろう。


ビジネスは素晴らしい冒険。面白さにあふれた、毎日待ち望むべきものでありえるだけではなく、それから得られるものはサラリーやボーナスをはるかに超えたものである。


いつでも私は仕事をするのが楽しかった。実際、私はそれを仕事だと思ったことはなかった。それは生活の一部、私が住んで呼吸している環境の一部だった。私はしばしば同僚たちに、仕事はゴルフやテニスやヨットやダンスや、その他どんなものにでも引けを取らないぐらい面白いと話した。仕事は思考を刺激し、その滋養となる知的挑戦を提供してくれる。


いかなる企業においても、自由な情報の流れが必要とされる理由は、経営者は自分の会社と市場の現実を知ることによってのみ、満足のいく経営を行うことが期待できるからだ。


新しい仕事、新たに引き受けたことはどれも、それを登り越えるまでは、高い危険な崖のように思われた。しかし、登り終えてから振り返ると、もうそんなに険しいとは感じられなくなっていた。


コンピュータや報告書や調査や分析が我々に提供してくれるものはただの情報でしかない。そしてそれはおおむね事実に即した情報ではあるが、中には誤った情報も混ざっている。決定を下さなくてはならないときになると、私は一人か二人、あるいは数人に「君はどう思う?」と尋ねた。そして手元にある事実に基づいた考えとひらめきを交換し合った後に決断を下した。


私の全生涯を通じて、公式の組み合わせや図表や経営理論によって自分の会社を経営しようとした最高経営者にはいまだかつて出会ったことがない。逆に、ハイスクールも出ず、経営理論など全然読んだことがないのに、私の見たところでは、自分の事業を運営する術を完ぺきに心得ている人々に大勢出会った。


趣味や服装の流行のように、ビジネス理論は次々に現れては消えていくものだ。ある年、町中の話題になったかと思うと、あくる年はもう忘れられてしまっている。


本来は古風な簿記係の私は、数字は会社の骨格のようなものだと考えていた。数字の相互関係は、本の行間を読むようなものだった。私は会社のだいたいの健康状態と、実績をあげている部門と、問題の所在に見当がついた。


あらん限りの知能をしぼって、何かより良いもの、何かまったく新しいもの、従来の物事のやり方とはどこか違ったものをつかんでこなくてはならない。それが創造的経験というものだ。やることが創造的ならば、失敗すら経験という宝をひとつ増やしたことになる。


どんな会社でも、経営者の基本的な仕事は経営することである。私は職業経歴を通じて、何百回、何千回となくそのことを強調してきた。経営者は意志決定を行い、それらの決定が遂行されるようにすることによって経営する。そして経営者がそれに成功する唯一の道は、会社に影響を及ぼすあらゆる状況に関する事実を完全に把握することだ。


企業にあって、びっくりさせられることの99%までは良くないことに決まっている。経営チームとして我々がどれほど熟達していようとも、誰かがきっと失策を犯し、予期しなかったことが起こり、問題が生じるものだ。しかし、予期しなかった問題を発見し、それに対処するのが早ければ早いほど、解決するのは容易になる。


間違ったり、過失を犯したりするのは恥ではないと私は本気で言っているということを、マネジャーたちに納得させるのにしばらく時間がかかった。過失はビジネスにつきものであり、そのように扱われるべきものだ。唯一の本当の間違いは、間違いを冒すことを恐れることだ。


経営者は経営しなくてはならない!経営者は経営しなくてはならない!経営者は経営しなくてはならない!何度言ったら、ほんとうにわかってもらえるのだろう?
経営者とは企業なり何なりを運営するマネジャーのチームを言う。経営するとは何かをなし遂げること。しなくてはならないとは、それをやり遂げなくてはならないということだ。


経営とは、いったんその事業計画と予算を定めたら、売上やら市場占有率やら、その他なんであれ、それを達成すると誓ったことをなし遂げなくてはならないことを意味する。もしその結果を達成することができなければ、その人は経営者ではない。


リーダーシップを伝授することはできない。それは各人がみずから学ぶものだからだ。野球選手が手引書を読んだだけではカーブを投げられるようにならないのと同様に、リーダーシップを学校で教わることはできない。


数字をいじくったり、組織図を作り替えたり、ビジネススクールで編み出された最新の経営方式を適用したりするだけでは、事業の経営はできない。経営は人間相手の仕事である。


リーダーシップの質こそ、企業の成功をもたらす処方箋に含まれる最も重要な成分である。リーダーシップとは、共同の目的を遂げるために、他の人々をチームとして結束させ、自分のリードに従うように仕向ける能力である。リーダーシップは学ぶことのできるものだ。


我々は見つかる限り優秀な人材を雇いたかった。我々が欲しいのは知能に優れ、知識と経験の備わった人物だったが、そうした長所を備えた候補者をさらに選考する条件として、働くことへの情熱という点で、私と共通している人々を周囲に置きたかった。


私は経験から、会社の個性を決定するのは最高経営者だということを知っていた。彼の下にいる人々は彼の命令を遂行し、彼のやり方を模倣する傾向がある。彼がやることとそのやり方は、一種のファッションとなって下の階層の人々に模倣される。


楽しい繁栄の雰囲気をつくるのに最も重要な要素は、経営組織の上下を通じて、開放的で自由で率直なコミュニケーションを定着させることだ。我々の頻繁な会議の背後にあったのはその考え方だ。どのマネジャーもトップに直接意思を伝えることができた。我々は階層に関係なく誰もが直接に意見を述べ合い、いかなる状況に関しても現実の事実に基づいて検討が行われるように、全員を一堂に集めることによって経営階層の間の壁を取り払った。


社内政略は停滞した会社に最もはびこり弊害をもたらす。いかなるマネジメントにとって重要なポイントは、社内政略というものは抑止しないと会社の士気と全身力を損なうため、絶対に許すべきではない。


リーダーシップは、言葉よりも態度と行為によって発揮される。言うのはやさしいが、いったん問題が起こったとき、そうした信条を貫き通す最高経営者がどれだけいるだろうか。何人が自分の職業的経歴を危険にさらしても、自分が統率するマネジメントチームと労働者をかばうだろう。あるエグゼクティブがたった一度でも部下を裏切るなら、彼はその部下の経緯と尊敬を永久に失う。そして話は広く伝わる。


通常、ある人の机の上がどんなふうかということから、その人の傾向について多くのことがわかる。私の経験から言って、机の上に何も出ていない、きれいな机の主は、ビジネスの現実から隔離されて、それを誰かに代わって運営してもらっている。トップマネジメントどころか、ミドルマネジメントでも、要求される仕事の量と水準を保ちながら、机の上を綺麗にしておくなど実際不可能である。


コングロマリットは単一製品、もしくは同じ業界のいくつかの製品に固執している会社に比べて明確な利点がある。広範囲の経済活動分野をカバーする多業種、多製品会社は、経済的不況に対する保険をかけているようなものだ。カバーする範囲が十分に広ければ、その会社のある製品には、他の製品が不況に見舞われているときも、需要がありよく売れていくだろう。どんな業種にもサイクルはある。それは潮のように上げ下げするが、潮よりずっと予測しがたい。


近年、ビジネスエグゼクティブの間に、仕事をないがしろにしてまで他のことで認められようと競争する傾向がますます強くなってきた。それらはエゴの発散競争と化している。法外な量の時間を外部での活動に注ぎ込んでいる。彼らがとるべき一番の責任は自分の報酬を支払っている会社に対するものだという現実が見えなくなっている。


数字が示す周辺を掘りはじめたとき、その人は初めてビジネスの真髄に触れる。もし売上が不振なら、それは製品の設計上の欠点だろうか?コスト高が原因か?マーケティングに問題があるのか?流通、財務か?数字はその企業がいかに上手くいっているか、あるいは上手くいっていないかを反映するためにある。


数字は企業の健康状態を測る一種の体温計の役目を果たす。それは何が起こっているかを経営者に知らせる第一次情報伝達ラインとして機能し、それらの数字が精密であるほど、また揺るがすことができない真実に基づいていればいるほど、情報は明確に伝わる。


人は失敗から物事を学ぶのだ。成功から何かを学ぶことは滅多にない。たいていの人は、失敗の意味を考える以上の時間をかけて、成功の意味を考えようとはしない。分別のある謙虚な人々が、それまで経験したことのない大きな権限を伴った地位に就いたとたんに狂ってしまった例を私は見てきた。成功は失敗よりもずっと扱いにくいもののように思える。成功をどう扱うかは、まったく本人次第だからだ。


数字を真剣に取り上げない企業が少なくない。事業部が報告書を提出するのは毎四半期という会社もあるが、それでは早期警報の役に立たない。また、予算の予測と市場の現実との大きなズレに慣れてしまっている企業もある。数字が低下すると、彼らは漠然とした希望と販売部の約束に望みをかける。彼らは数字が上がったり下がったりする真の理由を知らず、数字のシグナルをおろそかにする。


企業家とは自分自身のために事業に携わっている人間として定義される。彼は事業を組織し、経営し、進んでリスクを冒す。平たく言えば、彼はすべてを賭け、大きな見返りのために大きなリスクを冒す人間である。賭けに勝てば報酬は途方もなく莫大かもしれない。負ければ何もかもおしまいだ。


企業家精神は大企業の哲学とは相反するものだ。企業家とは、革新的な、独立独歩の、そして大きな報酬のために常識的な限界以上のリスクを進んで冒す人々である。安定した大企業は比較的小さな結果のため、漸進的な、比較的小さなリスクを冒すことしか許されない。大企業を経営する人々のおおかたは、失敗を犯さないように心がける。彼らの仕事の評価はそれにかかっている。


実績こそ君の実在だ。他のことはどうでもいい。マネジャーとは、実績をもたらす人間だと私が定義するのはこの理由からだ。他人あるいは自分自身に対してどんな言い訳を考えつこうと、この事実を変えることはできない。そして君が立派な成績をあげたら、他のことはすべて忘れられた時代になっても、世界はそれを覚えているだろう。そして何より重いのは、君もそれを覚えているだろうということだ。


気の緩みはマネジメントの最上層に始まり、下へと広がっていくのが常だ。もしそれを矯正するとしたら、まずトップを治療しなくてはならない。ガッツという言葉は、優雅な響きではないが、意味するものの感じをよくとらえている。今日のアメリカの企業経営の本流から失われてしまったと私が考えているものを表すのに最も適した言葉だ。


問題は危機へと発展する。そして手遅れにならないうちに危機に気付かないと、それは破局を招くかもしれない。危機や破局は一夜にして生ずるものではない。それは問題が長い間隠蔽され、症状が悪化するままに放置されてきた結果である。


大不況は私を仕事から仕事へと渡り歩かせ、私は絶えず何か新しいことをしていた。単にある職業に就き、反復的な仕事をしているだけでは経験にはならない。経験とは何か新しいことを発見し、学び、能力の成長と蓄積をもたらすプロセスである。経験を意識的に探し求めなければならない。手を伸ばして掴み取らなくてはならない。


人名ランダムピックアップ


経営・ビジネス・投資・仕事・お金・経済的な分野で成功を収めた人たちの名言を収録しています。

ページの先頭へ