ジェームズ・アレン(自己啓発)の名言 一覧

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ジェームズ・アレン(自己啓発)のプロフィール

ジェームズ・アレン。イギリスの作家、哲学者。イングランド中部出身。様々な職を転々とした後、38歳で作家となる。のちの自己啓発や能力開発の分野に大きな影響を与えた。より良く生きるにはどうすればいいか追求し続けた人物。「原因と結果の法則」などの著書で知られる。

人生は、習慣のコンビネーションです。良い習慣、悪い習慣のいずれにしても、習慣の源は、考え方の癖、習慣づいた考えにあります。考えが人を創ります。「正しく考える」ことは、人生でもっとも重要なことなのです。


不運な人生から自分を解放する方法は、実に簡単です。あなた自身が、「自分を動かす主人」であればよいのです。


誰でも、失敗の憂き目を見ることはあります。でもそれは、より高い理想にあなたを導くためのステップなのです。


失敗は、それまで自分が描いていた理想を、より洗練された実現の方向に描き直すためにあるのです。


人のことに心を煩わせるよりも、自分自身の道をひるむことなく、しっかりとした足取りで歩んでいくことに専念しましょう。


何をすればよいのかを、じっくり考えてください。ただし、行動すべきときには、躊躇せずに実行することです。


「揺るぎない確かな成功」とは、人からは勝利に見えなくても、自分自身が、喜びと充実感で満たされるものなのです。


私たちは、人生からさまざまなことを学ぶことができます。しかし、賢明さがなければ、いくら経験を積んでも、正しい考えを自分のものにすることはできません。


真実は、浅はかでも軽率でもありません。だから人生の勝利は、軽薄でいいかげんな人には見向きもしないのです。


誤った考えは、その人の誤った行いが明らかにします。正しい考えは、その人の正しい行いが示します。


他人を制圧しても一時的な支配者になるだけだが、自分を征服すれば永遠の勝利者になる。


自分の弱さを克服した強さは、他の人たちを救うための強さでもある。


新たに学ぶことや、自分のやり方を改めることを拒む「頑固な人」は、愚かな人です。愚かなまま歳を重ねても、尊敬もされなければ支持も得られないでしょう。


古い悪習慣の扉を閉めることは、新しい良い習慣の扉を開けることになります。
古いものを手放すことで、新しいものをとり入れることができます。


弱い心のままで生きる人は、神経が過敏で苛立った馬に乗り、目的地もわからないまま、暴走しているようなものです。
心に強さを持って生きる人は、絶妙な手綱さばきで馬とひとつになり、思いのままに目指す方向へ走っていく姿に似ています。


他人の過ちを理屈で容赦なく突く皮肉屋よりも厳しく、自分自身の考えから心の持ちように至るまで、間違いを明らかにしていかなければなりません。


穏やかで慎み深い心が得るモノは、利己的な欲望のために騒々しく焦って得るモノを、はるかに凌駕する。


強欲な心のままに多くを求め続け、いくら期待しても、心から満たされる幸せをつかむことはできません。真の幸せは、完璧な自己抑制に取り組みながら、ひたむきに待つ人のもとへと、招かなくても自然にやってくるものです。


自分を抑制することから逃げている限り、本当の幸せを知ることはないでしょう。不運と弱さに身を沈め、精神的なコントロールのない無責任な状態で、低いレベルに留まり続けることになります。


自分を「弱い」などと、思わないことです。弱さは、強さに変えられます。エネルギーを何に向けるかで、それはパワーに変わります。思考の流れを、自分を高める方向へ切り替えましょう。虚しい願望や、前に進まない後悔は、捨て去ることです。不平や不満、自分への慰めは終わりにしましょう。


自分から取り除くことのできない悪い癖などひとつもありません。対処できない過ちも、乗り越えられない悲しみもありません。そもそも、自分で克服できないことは、人生に何ひとつないのです。


私たちは、過ちや苦しみ、問題の種が、自分自身にあるという事実に目覚めるべきです。自分の未熟さが、自分を苦しめる現実を創り出しているということを理解していきましょう。そして、その現実を受けとめつつも、生き生きと存分に生きていくことです。苦悩をもたらすのは、ほかの誰でもなく、自分自身の犯した過ちなのです。


人生は、不成功のまま終わることはありません。そもそも、人生に失敗などないのです。誰にも、人生の部分的な失敗はつきものです。しかし、そうした失敗は、人生全体をもっと強く完璧にするために、自分の弱さや未熟さが、一連のできごとと関係して引き起こしているものだと考えるべきでしょう。


怒りや憎しみで心をいっぱいにし、飽食に走り、自分を堕落させる快楽に浸って、うまくいかないことを世の中のせいにして不平を言う。そんな人が世の中にはたくさんいます。でも、本当に非難するべき相手は、人生を無駄にすり減らしている自分自身でしょう。自分の気質や能力は、もっと大事に扱うべきです。


人生は、あなたが経験することを受け入れるにつれて、その厳しさが軽くなっていくものです。人生のすべての経験を、自分自身を向上させていく材料にできるようになったとき、あなたは苦しみや痛みを心から遠ざけることができます。


人は、甘えて弱い立場でいようとする限り、しきりに望みながら嘆き、過ちを重ね、心に悔いを残して生き続けてしまいます。しかし、胸の内の暗闇を振り払い、立ち上がろうとする気持ちが起きた瞬間から、人は「最高の人生」の実現に向けて行動しているものです。


貧困や苦難などの厳しい状況の中でも穏やかさを保ち続けるには、動物的な勇猛さよりも、毅然とした気高い勇気が必要です。それは、相手を圧倒する強さとは別の、自分自身を律する強さです。その毅然とした精神の強さは、信念とともにあるものです。


自分の弱さは、自分で克服するしかありません。その弱さと不運を招いているのは、自分自身の利己心だからです。あなたを貶(おとし)めるふとどきな悪魔を、心から追い払うことです。


弱さも過ちも、エネルギーの方向とパワーの使い方を間違えているだけです。過ちを繰り返す人は、弱いどころか、自分の意思を実現するだけの強さを持っているということです。ただ、正しいルールに沿った方向で、能力を発揮することを知らないだけなのです。


あなたの知識と知恵を活かして立ち向かう相手は、目に映る敵ではありません。周りの人たちでも政府でもなく、また法律や思想でもありません。闘う相手は、自分自身の心につきまとう、無知と愚かさと苦悩の種です。確かに人は、弱くて無力な面を持ち合わせています。しかし、それに甘んじて安心せずに、戒める意志を持ちましょう。


人は皆、人生の勝利を収めるために、生を享(う)けています。同じ生を享けた仲間から、力づくで勝ちを得るためではなく、セルフコントロールによって、自分自身の気質を治めるために生きているのです。


正しくものごとを見据えるまっすぐな心の目に、恐ろしいものは映りません。悪魔、悪霊、吸血鬼、邪悪な亡霊、怒りと嫉妬の神々、想像が生み出す恐れは、熱にうかされて見る悪夢とともに、現実の世界から消え失せるでしょう。歪みのない純粋な洞察の目には、整然とした美しい世界が映し出されます。


わけもわからずに人の意見や考えを信じ込んだり、勝手な理論を真に受けることは、馬鹿げた過ちを犯しているのと同じです。正しいか正しくないかの判断ができない曇った心の目しか持たない人は、不運なできごとから無知な妄想を展開したり、正しい道理から外れた着想でものごとを捉えたりします。こうした妄想ほどやっかいなものはありません。この世に存在しない恐怖の怪物を、自分で創り出してこわがっているようなものです。


良心に従い善良な心でいる人は、様変わりする環境の中でも、その心を変化させることはありません。どんな状況にいようと、誰に対しても変わらない態度を見せるでしょう。そうしてますます、神聖な善良さへと向かっていきます。


罪は、自分を欺く行為です。そして、平然と自分を欺くことができるのは、自分自身を欺いていることがわかっていない無知な証拠です。洞察という精神的な目が未発達で歪んでいる場合、善悪の判断がひどく曖昧なまま、罪に手を染めることになります。


私たちは、貧欲にお金を得ようと努力をする代わりに、穏やかさを得るための努力をするべきです。決して、人生の一部分で目標を達成したくらいで満足していてはいけません。そうすれば、気高さと知恵を高め、強さと安らぎに向かって成長していくことができるはずです。


人は、穏やかな状態を常に保てるようにならない限り、「人生の勝利」を実現することはできません。束の間のさまざまなできごとに心を煩わされている間は、理解は未熟で、心は完全に浄化されていません。また、自分の精神を甘やかして野放しにしていたり、自分を欺いていたりするうちは、人生の勝利に向かうことはできません。


人生の試練や予期せぬ事態、非難や中傷、誤解に出合っても、かき乱されることのない穏やかさは、強い精神から生まれます。それは、人生を深く理解した、正しい知識と聡明さの表れなのです。


自分を知らなければ、心の平穏は訪れません。自分の心の癖を自覚できないまま、激しい感情に任せて生きている限り、誰も神聖な平穏の領域に達することはできません。


自分を抑制し、正しい方向へ導くコントロールは、粘り強く実行しなければ身につきません。そのためには、日々、努力して、自分の弱さを克服していかなければなりません。また、自分の悪い心の癖を、いかに取り除いていくかを学び、理解していかなければならないのです。


よりよい自分に向かって、自分自身の心を克服するためのセルフコントロールに努め、冷静な穏やかさを知る人だけが、平和を見いだすことができます。自分をよりよくコントロールすることが、自分自身を幸せに導き、周りにも幸せをもたらす唯一の方法になるのです。


穏やかな境地に至る道は、実は単純です。刺激や興奮をはじめとする欲求や身勝手な考えなど、心の平穏を乱す要因と対極にある美徳の精神を実践すればよいのです。状況や環境に左右されず、大きな影響も反動ももたらすことのない、美徳の精神に従って自分を高めていけば、必ず絶えることのない充足感と永続する平和に行き着くことができます。


多くの人にとっては、うんざりするような義務的な仕事や役割でも、心穏やかな人は、自分の任務として喜んでやり遂げます。ありのままに真実を受け取る人には、「義務」の中に本来の使命が見えています。使命を果たすことが、自分の歓びになります。そうであれば、義務と喜びを切り離すことができないのは当然です。


美徳とともに穏やかな精神を育んでいる人は、自分の心をチェックし、感情や心の状態と向き合うことを怠りません。そうすることで、心のバランスを保つことを覚え、さらに穏やかさを深めていきます。そして、確かな穏やかさを、常に心に置くことができるようになったとき、影響力とパワー、偉大さとともに、充実した人生の深い歓びを実感するのです。


安らかな心でいられる人たちは、人生の真実をよく把握しています。そして、あらゆるできごとをあるがままに見ています。人生のできごとには、ほんの些細なことでも、大切な意味があります。そうした小さなことを見逃すことなく、宇宙の法則の光に照らして考察し、この世界のしくみの一部として、ものごとの正しいつながりを理解していきます。そして、この世界が公正さを保っていることもよく知っています。


知識を高めていくのが、謙虚さです。謙虚な気持ちも、口先だけの言い分や根拠のない憶測を取り去ったところに生まれるものです。


世の中に広まる、よくできた美徳の定義や言葉を受け売りして、やたらと口にしたり、知識を得たつもりになっていれば、それはかえって無知をひどくするだけです。知識とは、単に情報を記憶することではなく、心の深いところで理解するものです。心から理解する知識こそ、美徳と通じる神聖な知識なのです。


ダイヤモンドを採掘するとき、大量の土をふるいにかけて取り除くように、精神の採掘者は、心の鉱山に集積した思い込みや憶測をふるいにかけて取り除かなければなりません。そうすることで、「真実の原石」を見つけることができます。その原石に磨きをかけることによって、知恵と精神の深みが増していくのです。


たとえ少ない知識でも、自分が知識として持っていることを喜ぶべきです。それは、あなたが自分の人生から得た、純金にも勝る貴重な宝なのですから。


知性を高めていくには、現実と思い込みを明確に区別しなければなりません。さらに、自分の知識の範囲を自覚していくことが必要です。この世界について、人生について、自分自身について、今の自分が何を知っていて、何を知らないかを、知っていく必要があります。そして、単に「信じていること」と実際に「知っていること」、「思い込み」と「事実」を見分けることを覚えていきましょう。


空想は、一時的な慰めにすぎず、心のよりどころにはなりません。現実から遊離した考えは、真実に立ち返る必要があります。


好ましい環境で気高くいられたとしても、「美徳の精神」に同調しているとは限りません。劣悪な環境においても、心の輝きを失わずにいられなければ、本当の気高さとは言えないからです。


優しさにしても、単に温和で親切なだけでは不充分です。「なぜ、自分は優しくしているのか」と考える理性を持って、「本当の優しさとは何か」ということを理解していく必要があります。


不運にとりつかれた人生から逃れる方法は、正しく考えて生きることだけです。人や状況に対して適切な、正しい心の姿勢でいることが、安らぎと平和を人生にもたらしていきます。


賢明な人と愚かな人の決定的な違いは、自分の考えを自覚してコントロールしているかどうかという点です。賢明な生き方をしている人は、状況や他人の言葉に惑わされて、肝心な目的から考えが外れていないかを常に確認しながら、何をどのように考えるべきかを判断しています。しかし、愚かに生きている人は、周りの影響を受け、自分本位な考えに囚われて、衝動や気まぐれ、感情に振り回される人生を送ります。


学ぶことそのものは、価値のあることです。しかし、学んでいるということ、知識があるということにプライドを持っていても価値は生まれません。知識は、自分を成長させ、実際に役立たせることで、生きたパワーになります。謙虚な心とともにあることで、パワフルな道具になるもの、それが知識です。


状況やできごとにしても、心にしても、複雑に絡みあっているものから余計なものを削ぎ落とすと、根本的な原則や法則が浮かび上がってきます。ものごとと精神の流れや動きが、根本的な決まりによって管理調整されているからです。


家庭でも職場でも、そして心の中も、余計なものを片付けてきれいにするのは、容易なことではありません。しかし、きれいにしたあとは、心地よく安心して過ごすことができるでしょう。


たくさんの荷物を背負って旅に出ると、途中で疲れて立ちどまってしまいます。そのようなときは、余計なものを捨てれば、身軽になって、また歩き出せるようになります。このように、欲望や信念、憶測などを、ごちゃごちゃとたくさん背負い込んでいる「複雑な人生」と、本当に必要なことだけを満たして、事実に反する憶測や余計な議論に煩わされない「シンプルで自由な人生」はまったく違います。


生活をコントロールをする人は、健康面だけでなく、同時に精神面のコントロールも強化していくことになります。恵まれた健やかさと強さは、心に歓びとパワーを与えます。自分をよりよくコントロールしていけば、快適な暮らしに恵まれるのです。


「自分の身を修めてから、人びとを教化せよ」これは、中国の思想家である孔子の道徳的政治思想の根本的な原則です。状況の圧力を受けて、狂乱的な不安に陥ったり、怒りや敵意を露わにして暴走するような人には、人を率いて、責任のある任務をおこなうだけの能力が備わっていません。


私たちは、自分に命令する以外は「強いることはできない」ことを学ぶべきです。人の意志を、強制的に従わせることはできません。しかし、自分の意志だけは、自分自身で使いこなすことができるのです。


自然の流れは、急いでもいなければ、遅れをとることもありません。自然界は、季節にふさわしいものを完全な形でもたらします。つまり、イライラしたり、じたばたと焦ったりしても、自然界の真理はどうすることもできないということです。


憎しみ、怒り、欲張り、わがまま、うぬぼれ、権力欲、名誉欲など。強欲な心が生み出す独善と欲望の数々は、人生に不運をもたらす道具です。こんな不細工な道具を生み出す人たちの心は、なんて無知で未熟なことでしょう。愛、忍耐、優しさ、自制心、気高い望み、ひたむきな願い。充分に満たされた幸せを創り出す優れた道具は、真理がもたらす賢明で熟練した心の愛用品です。


多くの人が幸せを求めて、浪費を重ね、刺激を欲し、快楽に走ります。しかし、永続的な深い幸せは、そうした生活の対極にしか見つけることができません。つまり、セルフコントロールされた生活です。


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