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豊臣秀吉のプロフィール

豊臣秀吉、とよとみ・ひでよし。戦国時代から安土桃山時代の戦国大名。農民から立身出世し、主君織田信長の後を引き継ぎ天下統一をなし遂げた人物。智将として名高く、奇抜な作戦や、水攻め兵糧攻めなどの計略をもって仲間の損害を最小限に抑える戦いを好んだ。文化の経済的側面にも注目し、千利休を支援し茶道の発展に力を入れ、茶器などを土地の代わりに配下の褒美にした

天下を治める上から、掟を厳正に定めてほしい。そして、その掟に少しでもそむく者がでてきたら、決してえこひいきなく道理にかなっていること道理にかなっていないことをさばき、たとえそれが兄弟や親族であろうとも、罪のある者は処罰せねばならない。

諸国が平和で静かによく治まっているように見えても、あらゆる武備について、御油断あることなく、武具やその他兵糧に対する嗜みも、秀吉のやったように行ない、もし出陣するような事になったならば、用意万端整え、兵糧も十分に支度した上で、長期陣営の心構えが大切である。

主人は無理を言うものと知れ。

戦わずして勝ちを得るのは、良将の成すところである。

信長公は勇将であるが良将ではない。剛を持って柔に勝つことを知ってはおられたが、柔が剛を制することをご存じなかった。ひとたび敵対した者に対しては、怒りがいつまでも解けず、ことごとく根を断ち葉を枯らそうとされた。だから降伏する者をも誅殺した。これは人物器量が狭いためである。人には敬遠され、衆から愛されることはない。

金銀をたくさん積んでおくのは、良い侍を牢に押し込めて置くのと同じことだ。
【覚書き:秀吉が金銀を気前よく部下や民衆に与えるのはなぜかと家臣が聞いた時の言葉。秀吉は気前が良い武将であると同時に、敵だった武将を打ち負かした後、牢に押し込めておかずに自分の部下に登用するほどの器量を持っていた。】

人はただ、さし出づるこそ、よかりけれ。戦のときも先駆けをして。【覚書き|信長の配下になり知恵と行動で出世する秀吉を周囲の者が妬んだ。嫉妬した者の一人が「人は皆、さし出でぬこそ、よかりけれ。戦のときは先駆けをして」という皮肉を歌にした。上記はその歌への返歌】

露と落ち、露と消えにし、わが身かな。難波のことも、夢のまた夢。【覚書き|秀吉の辞世の句。絢爛豪華な大阪城を築き天下を統一した自分も、朝露のように生まれ、そして朝露のように儚く死んでいくという無常を詠んだ一句】

茶の湯・鷹狩り・女狂いなどは秀吉の真似など決してしてはならぬ。ただし、茶の湯というものは上品な慰み事であるから、しばしば茶会を開き、人を招待したりすることは、一向かまわない。また鷹狩りは、鳶鷹・鶉鷹など、男児の慰みとして盛んにやってよい。女中は屋敷の中に5人なり10人なり置いても差し支えない。ただ、屋敷の外で見苦しく女狂いをしたり、鷹野や茶の湯なども、秀吉のようにむやみやたらにやって、下賤の輩や人目のはばかる所へやたらに出入りすることのなきように、十分に慎むこと。
【覚書き|甥の秀次への訓戒】

これから先、覚悟を改めて恥ずかしくないように心がけるならば、どの国であろうとも知行させたい考えである。しかし、ただいまのように無分別のたわけであったならば、秀吉の甥子としてその身をながらえさせておくことは、お前だけでなく、秀吉の面目をも汚すことになるから、直々に手討ちにしてくれようぞ。秀吉は、元来人を斬ることが嫌いの性分であるが、覚悟がなおも直らないお前を、他国に行かせたのでは、恥の上にも一門の恥さらしとなるから、人手にかけず、秀吉のこの手で殺してやろうぞ。
【覚書き|甥の秀次への訓戒】

奉公人に対しては、誰彼れの差別をつけず、役に立つ者に対してはことさらねんごろにしてやるがよい。また、誰であろうとも、忠義のためにこの世を去った者に対しては、その後継ぎを立てて、一家の絶えないようにしてやらねばならない。ただ、家名を継がせる場合に、10歳未満の幼子には、代理を立ててやり、また、夫婦の間に子どももない場合は、弟に継がせ、娘一人子のときには困らないようにしてやらねばならない。

武辺(合戦で功名をあげること)をば今日せず明日と思いなば、人におくれて恥の鼻あき。

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