松下幸之助の名言 一覧

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松下幸之助のプロフィール

松下幸之助、まつした・こうのすけ。日本の経営者。「松下電器産業(のちのパナソニック)」創業者。9歳の時に父が米相場で破産したため尋常小学校を4年で中退し丁稚奉公に出る。16歳で大阪電燈(現:関西電力)に入社し7年間勤務。在職中に電球ソケットを考案した。その後同社を退社し独立。水道哲学、ダム式経営など独特な経営哲学で同社を日本屈指のグループ企業へと育て上げた。松下政経塾、PHP研究所の設立者でもある。

「命ぜられたとおりにやって、その通り上手くいったのだから、もうそれでよい」と考える人。「たとえ人から命ぜられたままにやったとしても、その結果は一応きちんと報告しなければならない。そうしたら命じた人は安心するだろう」と考える人。その何でもない心がけ、ちょっとした心の配り方の違いから、両者の間に信頼関係に対する大きな開きが出てくる。


人は様々です。短気な人もいれば気の長い人もいる、緻密な人もいれば大雑把な人もいる。理論派もいれば人情家もいる、というようにそれぞれの持ち味が皆異なります。しかも、同じ人でも心というものは刻々と動いて、千変万化の様相を呈しています。ですから、自分の考えを伝えようとすれば相手の人がどのような人で、いまどのような心の状態にあるかよく知ったうえで、その人に一番受け入れてもらいやすいような言い方を工夫する必要があります。


ただ単に自分に与えられた仕事のみをやっていればよいと考えて毎日を過ごしていたら、あまり楽しさを感じることもできないでしょうし、ものごとを見る視野も限られてしまうと思います。


世の中には秘訣とかコツとか、それさえ心得ていれば何でもできるという当意妙法なんて絶対にありえない。私に言わせると人間万事、世の中すべては、天の摂理で決まるのが90%、あとの10%だけが人間の成し得る限界だと思う。私の言いたいことは、「絶対に無理をしない」ことなのである。宇宙大自然に逆らわず、むしろ宇宙大自然に溶け込んで、これと一体になりきってしまう。これが人間の本当の姿であり、その結果あらわれてくるものが、世の中でいう成功とか成就とか、あるいは億万長者ということになるのではなかろうか。


働くことは尊いが、その働きに工夫が欲しい。創意が欲しい。額に汗することをたたえるのもいいが、額に汗のない涼しい姿もたたえるべきであろう。怠けろというのではない。楽をする工夫をしろというのである。楽々と働いて、なお素晴らしい成果が挙げられる働き方を、お互いにもっと工夫したいというのである。そこから社会の繁栄も生まれてくるであろう。


「人を見て法を説け」と言ったのはお釈迦様ですが、人間というものが変わらない限り、やはりこれは真理を突いた言葉ではないでしょうか。


経営者に最も大切なことは、正しい自己評価と、その経営理念がどこに置かれているかということだ。その理念が、何が正しいかという人生観に立ち、かつ世界観さらには自然の摂理から芽生えてこなくてはならない。


どこの会社の経営でもそうでありますが、我々のような日進月歩の商品を扱っている会社は、よほど競争力にたくましいものをもたなければいけない。非常に迅速果敢にして、常に適正を表していくというような経営をやらなければ、競争に打ち勝つことができない。


一国の首相であれば国民のため、会社の社長なら社員のため、部長や課長なら部下のために、大事に際しては自分の命を捨てるんだ、という心意気をもたないといけません。命をかけるといえば多少ウソになるというなら、命をかけんでも職をかける、指導者は当然、それをやらないといけません。その気がまえで臨めば、そのことに誤りがなければ成功しますよ。


経営者の決断ということに関して言えば、とらわれた心を持って事を判断してはいかんということです。名誉欲にとらわれたり、世間の評判にとらわれたりしない。そういうものにとらわれないで、笑えば笑え、自分は正しい道を行くんだという強さが一面になかったらいけませんな。


経営が正しくなされれば、共同生活を向上させ、社会にとっても大きな貢献となる。経営というものは、人間が相寄って、人間の幸せのために行なう活動であり、芸術と同じように高く評価されるべきものである。


みなが共存し、みなが繁栄する社会生活を生み出すためには、それぞれの好みを尊重し、また自らの持ち味を発揮して、各自が繁栄していく必要がある。社会性に反した無思慮な方法で競争が行なわれると、その結果、業界全体が収拾のつかない混乱に陥ることは、過去何回も体験してきたところである。


発展途上国に進出する場合、賃金が安くコストも安くなる、だからそこでつくったほうが得であると考え、進出している国は1カ所もございません。それは第2に考えております。第1にはそこでつくったほうがその国のためになる、という考えでやっております。これを私どもの基本的な方針としています。だいたいそういうところであります。


私どもはあまり難しく考えず、ごく平易に考えてやっていくことにしています。というのは、甘いものが好きな人には甘いものを食べてもらう、辛いものが好きな人には辛いものを食べてもらう、きわめて平凡な原理と申しますか、そういうことで仕事をしています。


謙虚に素直に学びたい。すべてに学ぶ心があって、はじめて新しい知恵も生まれてくる。学ぶ心が繁栄への第一歩なのである。


競争が激しくなると、つい目先にとらわれて、莫大な景品をつけたり、無謀な値引きなどを考えるようになる。しかしこうした方法で市場を確保できると考えるのは、人間性を軽視した行為と言わねばならない。人の好みはさまざまであり、それを目先だけの方法で独占しようとしても、成功するものではない。そこに世間の広さがあり、また妙味もあるわけである。


何年働こうがその会社が腰かけだと思っている限りは、何も身に付かない。だけど3カ月であっても、丁稚になりきる。毎日そういう気持ちでやれば、得るものは大きい。


88歳のオレがまだ働いているのに、64歳で退くなんて早い。
【覚え書き|三代目社長・山下俊彦への言葉】


躍動した経営をやるとかやらんとかいうことは、頂点に立つ経営者が使命感をひとつ持たなかったらいけませんな。指導者次第ということでしょうな。


自分の力、さらには会社の力を超えた大きな仕事をしようとしても、それは多くの場合失敗に終わってしまうだろう。それでは企業本来の使命も果たせず、社会のマイナスにもなる。だから、そのような、その時々における自分の力の範囲で経営を行い、社会に貢献していく、いいかえれば、適正経営という考え方が極めて大切である。


本当の人材とは、その会社に相応した人ですよ。町工場へ東大出に来てもらっても、その人は人材になりますか。困ることもあるでしょう。


商売というものは、売る方も買う方も双方が喜ばなければいかんものです。買った人は、こういうものが買えて良かった、大変便利だとか、豊かになったとか、そういう喜びを持つ。売った者も、その喜びを感じてもらうと同時に、利益も残ったというふうにね。


値切られて、薄口銭で飯も食えんようになるという商売はいけません。双方に喜びが残り、味わえるような商売のあり方を、政府は奨励しなければいかんでしょう。


私は社員に、私の会社は人をつくる会社であって、電器製品は人の次につくるものだと言っているんです。人をつくるのが本業で、電器製品をつくるのは副業やと。


経営でも、政治でも、経営学とか政治学は教えることができるし、習うこともできる。しかし、生きた政治、生きた経営、これは自問自答して、あるいは体験を積んで体得するしかない。


ある時、宗教家に会ってお話を聞いたんです。そうしたら、もっと大きな立場に立たなければ駄目だと言われた。小さな悩みでなく、もっと大きな悩みを救うのだ、大きな使命が仕事の上にあるんだと。私はそれまでは遠慮しながら仕事をやってきたんだが、今度は使命感に立って競争するんだと理解したわけです。その使命とは、広い社会の繁栄ということですね。それからは、小さな悩みがなくなって仕事も堂々とできるようになったんです。


忙しい時(好況)には、どこの店も忙しいが、ヒマ(不況)になるとお客さんは仕入れ先を吟味しますね。そうすると、日ごろ勉強している店から買おうということになるのです。忙しい時に勉強していれば、ヒマな時かえってお客さんが増えるわけですね。だから「景気によし、不況になおよし」ということになるのです。


「3ヶ月前にあんたの言うたことと違うやないか。豹変している」と仮に言われても、それが真実だったらかまわんと私は思う。真実だったらそれだけ進歩したわけです。


経営者というものは、知識は最高でなくてもかまわん。知恵も技術も最高でなくてもかまわん。けれども、真実にもとづいて経営せねばならん、という使命感だけは誰にも負けずにもっていなければいかん。


経営者には、社員みんなの注目が集まっているのです。そのことを、経営者は一刻も忘れず、どんな場合にも旺盛な経営意欲を失ってはいけない。


少々戦況が自軍に不利であっても、大将が「よし、この戦、きっと勝ってやろう、勝つんだ、勝てるんだ」という確固とした信念をもっていれば、たいていは勝てるものだ。


自分の力というものをはっきり判定し、それをしっかり把握して、その上で社会に処していくということが、きわめて大事。


商店の主人公が、みずからの価値というものを正しく判断しない場合は、おおむね失敗します。まわりの店が店舗を改造した、人を増やした、だから俺のところもやってやろうと、こういうような考えをする場合もあるでしょうが、しかしそれだけでは失敗する場合が多い。


自分の力の限界というか、会社の総合的な力の限界というものが、今10あるか、15あるか。15あるにもかかわらず、13の仕事をしているというのではいかんし、13の仕事をしているけれども、実際は10の力しかないというのでもいけない。評価が過ぎたら危険ですし、少なく見たら損ですね。力相当の仕事をやらないといかんです。


素直な心というものは、すべてに対して学ぶ心で接し、そこから何らかの教えを得ようとする謙虚さをもった心である。


企業は単に物をつくるだけでなく、あわせてよき社会人をつくらなくてはならない。それが企業の社会的責任であり、また現に多くの企業が行なっているところでもあるわけです。


経営者が一心不乱に仕事すると、まわりもただ見てばかりはいないものです。一心不乱という本当に真剣な姿を見ていると、そこには必ず教えられる者、心を動かされる者が出てきて、まわりの人々は、いちいち言わなくても手伝うし、働くようになる。


経営者自身が身をもって示すことが第一です。ああすればこうなるとか、こうすれば社員はどう動くかといった意図的なことに神経を使うよりも、まず自分が一心不乱にやることです。


企業の経営者は社員を適所に生かす。社員は自分の適性をつかみ、その適性を生かすように、認めてもらうように努力する。認めてもらって、そこに生きれば、いのちをかけて働く喜びが生まれ、その個人は伸びていくのです。


どんなにに努力したところで、すべての人が大臣にはなれませんし、社長になることも不可能です。みんなが資産家になることもむずかしいでしょう。それに対して、それぞれの天分に生きるということは、考え方によっては全員が可能だと思います。しかも、そのようにみずからの天分に生きている人は、たとえ社会的な地位や財産があろうとなかろうと、いつもいきいきと、自分の喜びはここにあるのだという自信と誇りをもって、充実した人生を送ることができると思います。


よく「事業は人なり」ということをいわれますが、これはまことに当を得た言葉で、よき人材の育成なしには、企業はみずからの社会的責任を全うしていくことはできないでしょう。


人間にそれぞれ異なった持ち味、特質が与えられているということは、いいかえれば、人はみな異なった仕事をし、異なった生き方をするように運命づけられているのだとも考えられます。ある人には政治家としての天分なり使命が与えられているかと思うと、他のある人には学者としての天分、使命が与えられている。また、医者や技術者、画家や歌手、建築家や商人等々、さまざまな仕事をしていくにふさわしい天分、使命が、それそ奴の人に与えられている、ということだと思うのです。


昔から十人十色といわれるように、人はそれぞれ、みんな違った持ち味、特質をもって生まれついています。性格にしても、素質や才能にしても、自分と同じという人は地球上に一人もいないのです。


人間あっての経営である。だからまず、人間というもののあり方を考えなければならない。よき経営を実現しようと思えば、まず人間のよきあり方について検討しなければならない。


経営といい、商売といっても、これは結局、人間が行なうものである。人間が行なうものであるからには、経営や商売は人間をぬきにしては考えられない。というよりもむしろ、人間を中心において考える、人間を主体に考える、ということが非常に大切ではないかと思う。


みんなが個性をもち、それぞれの好むところに従って生活をしていく。しかし、そういうような百花繚乱のようなお互いの生活が、大きく言って、一丸となり調和を保って社会を形成し、維持していくというところに、私は今日の人間観といい、社会観というものがあると思う。


「企業は人なり」とよくいわれるが、そのことばは、人間の尊さを知ってはじめて本当のものになるわけである。人間の尊さというものを真に理解することがなければ、いくらロで「企業は人なり」と言っていても、それはよりよい姿に結びついてこないのではなかろうか。


どんな科学者でも、カンの働かない科学者はダメだといいます。偉大な発明をしたエジソンのような人でも、その発明は、ふっと浮かぶひらめき、カンによっています。そのひらめきによって、よりよい科学というものをつくりあげているわけです。


人心の統御というものも、熱意があるかどうかです。それが大部分です。あの人はしっかりしている、学問があるからついていくというよりも、あの熱意には頭が下がる、わしもやってやろうと、こうなりますわな。


すべて熱意が人を動かすんだという、この単純明快なこと、これですわ。オヤジさんがしっかりやっているのやから、手伝ってやらないといかんなと、人は半分はそれに引きずられて動くものなんです。


経営者にとって、一番大事なものは素質の有無ですな。その上で道に入って修業して、失敗したり成功したりして、あるコツを会得する。これは、漫才をやるにしても酒屋をやるにしても通じることでしょうが。


平易なことを間違いなくやり通すのは難しいことである。難しいことだから根気がいる。それを指導するほうはもっと根気がいる。


よく「そんなことは言われなくてもわかっている」と言う人がいる。しかし、私の経験からいえば、そういう人に限って当然なすべきことができないのである。私は、世の中で一番難しいことは、誰でもわかっていて、誰でもやればできることを、間違いなくやり通すことだと思う。


嵐のときほど、協力が尊ばれるときはない。うろたえては、この協力が壊される。だから、揺れることを恐れるよりも、協力が壊されることを恐れた方がいい。


素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生み、順境はうぬぼれを生む。逆境、順境そのいずれをも問わぬ。それはそのときのその人に与えられたひとつの運命である。ただその境涯に素直に生きるがよい。


逆境であれ、順境であれ、その与えられた境涯に素直に生きることだ。謙虚の心を忘れないことだ。


逆境、それはその人に与えられた尊い試練であり、この境涯に鍛えられてきた人はまことに強靭である。


組織が官僚化すれば、パイプがつまって下部の意見が上部へ通らなくなるし、何よりも仕事の能率が下がってしまう。したがって経営者たるものは、絶えず目を光らし、組織を引き締めないといけない。


一人一人の汗の結晶が隣の人に理解されまいほど寂しいものはないと思うのであります。皆さんの努力が、部下の人にもまた上長の人にも知られるということは、何にもまして心うれしいことだと思うのであります。


自分の体験を語りますと、考えてみれば、私は50人ぐらいのときはもう常に皆と相談しておったですな。「きみ、どう思うか」というような調子ですな。「私はこう思いまっせ」「ああ、そうか」というようなものです。そう言うて、自分は最後の決定をするわけです。それでいいわけですね。だから、「おやっさん何をやっておるんかいな」と言うて、知らんようなことはないですな。常にものを言うて仕事してますから、私のやっていることはみな知っておるんです。ですから自然に、一致団結というとえらい硬い言葉ですけども、そういう姿で仕事をしていたですな。


自分が雇っている人が本当によくやってくれる、もったいないほどよくやってくれる、自分もうっかりしてられんわい、というような気分が、人間関係をつくっていく。


松下電器の人々のあいだでは、北海道におる人の苦労が九州におる人に伝わる、九州におる人の苦労が北海道の人に伝わるという、打てば響くようなかたちにおいて全員が結ばれていくというようにずらなければ、けっして成果というものはあがるものではないと思うのであります。


昔の日本に「頭(かしら)まわらんだら尾もまわらん」という言葉がある。だから100人の人を緊張させて、大いに成果をあげようと思えば、自分の活動をはたの人が見て「気の毒な」というようにならんといかんでしょうな。うちの社長はもう一所懸命にやっている、「もう気の毒や」という感じが社員のあいだに起これば、全部が一致団結して働くでしょう。けど、そうでないかぎりは、あなたの活動の程度にみな働くでしょう。


僕はものを言いやすかったんだと思います。極端にいえば、今日入った小僧さんでも、僕にものが言えたわけです。僕に注意できたわけですよ。「それは間違ってますよ」「間違いやおまへんか」と、そういうことがたやすく言えたわけです。「そうか、それなら考えてみるわ」と、こうなります。自分で一所懸命考えて、こんなふうにやらないといかんというようなことで気張って、それを押し付けるということはまずなかったです。


社内でも、僕が非常に偉いから僕に従ったというよりも、頼りないオヤジさんだからしっかりやったろうかと、そういう点があったと思うんです。ですから、一番大事なことは、ものを言いやすいオヤジ(上司)になることですよ。


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