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セネカのプロフィール・経歴・略歴

ルキウス・アンナエウス・セネカ。小セネカ。ローマ帝国ユリウス・クラウディス朝時代の政治家、ストア派の哲学者、詩人、ラテン文学白銀時代を代表する作家。ローマ帝国ユリウス・クラウディス朝最後の皇帝ネロの家庭教師を務め、同皇帝即位後は相談役、演説の起草者を務めた。ネロ暗殺計画に関与した疑いをかけられ自殺した

大事な時間を雑事で浪費するな。

困難だからやろうとしないのではない。
やろうとしないから困難なのだ。

治そうと思うものは、もう半ば治っている。

憤怒より自分を抑えるには、他人の怒れるときに静かにそれを観察することである。

生きることを止める土壇場になって、生きることを始めるのでは、時すでに遅しではないか。

高い年齢に達した老人が、長い間生きてきたことを証明する証拠として、年の功以外には何も持っていない例がよくある。

運命は、志のある者を導き、志のなき者を引きずっていく。

すべてのことを自分の意のままにしたいなら、まずあなた自身の理性を意のままにできるようにすることだ。

他人にあなたの秘密を守らせようとするなら、まずあなた自身があなたの秘密を守れ。

節約は不必要な費用を回避する科学であり、慎重に私たちの財産を管理する技術である。

私たちは常に命の短さを嘆きながら、あたかも命がいつまでも続くかのように振舞う。

人間にとって真の最大の敵は、自分の胸の中に居る。

多くの人が自分より先行しているのを見たなら、多くの人が自分より遅れているかを考えなさい。

他人に恩恵を施す者は、隠れて行いなさい。
他人に恩恵を受けた者は、それを皆に知らせなさい。

私たちは自分のものを他と比べることなく楽しみたい。他人がより幸福であるということに苦しめられるならば、人は決して幸福ではありえない。

精神的活動なき余暇は一種の死であり、生きながら埋葬されるのと同じことだ。

誰も永遠に仮面を被り続けることはできない。偽装はやがて自分の天性へと帰る。

運は我々から富を奪うことはできても、勇気を奪うことはできない。

重要なことは何を耐え忍んだかということではなく、いかに耐え忍んだかということだ。

我々は短い時間を持っているのではなく、実は多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、もっとも偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。けれども放蕩や怠惰に浪費してしまったり、どんな善いことのためにも使われないならば結局最後になって否応なしに気づかされることは、今まで消え去っているとは思わなかった人生がもはやすでに過ぎ去っていることである。

アリストテレスも自然を相手取って、賢者には決してふさわしくない告訴を行っている。「寿命という点では、自然は動物たちに人間の五倍も十倍も長い一生を引き出せるように許しておきながら、数多くの偉大な仕事のために生まれた人間には、はるかに短い期間しか存続しない」

大部分の人間たちは死すべき身でありながら、パウリヌス君よ、自然の意地悪さを嘆いている。その理由は、我々が短い一生に生まれついているうえ、我々に与えられたこの短い期間でさえも速やかに急いで走り去ってしまうから。

ごくわずかな人を除いて他の人々は、人生の用意がなされた途端に人生に見放されてしまうというのである。このような彼らのいわゆる万人に共通な災いに嘆息するのは、単に一般の大衆や無知の群集だけのことではない。著名な人々にさえも、このような気持ちが嘆きを呼び起こしている。それゆえにこそ、医家のなかでももっとも偉大な人物の発言がある。いわく「生は短く術は長し」と。

真の幸福は現在を楽しむことだ。希望や不安で気を散らせ、ひたすら将来に望みを託すのではなく、無欲であることで自分がすでに十分に持っているもので満足し、泰然自若として暮らすことだ。人間が神から恵まれたものは、我々の内にあり、手の届くところにある。賢者はいかなる運命であれ、おのれの運命に満足し、自分が持っていないものを乞い願わない(ルキウス・アンナエウス・セネカ、ローマ帝国時代の哲学者、政治家、詩人、ローマ皇帝ネロの家庭教師、ストア派学者)

時間が足りないのではない。時間をみすみす浪費しているから、そう思うに過ぎない。

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