発明・発明家・技術者の名言格言一覧

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考えるより当たれ。体当たりによって生きたアイデアが生まれる。

日本の企業には暗黙知(言語化できない身体を基盤とする知識)が詰まっている。その宝の山を利用することが大切です。

我々は「ああでもない」「こうでもない」と、日々試行錯誤を繰り返しているんです。私は50年この会社にいて、いまだに「チクショウ、チクショウ」と思っている。まだまだわからないことが多いんです。

発明は恋愛と同じです。苦しいと思えば苦しい。楽しいと思えばこれほど楽しいことはありません。

飾りによってデザインの効果を現そうとする考え方は邪道だということだ。実用品自体が飾りでありデザインであるということでなくてはならない。

オンリーワンの商品を開発するために大切なのは、二つの考え方である。ひとつは、他社にないオンリーワンのキーデバイス(テレビにとっての液晶パネルなどのような製品の中核となる部品)を開発し、それを自社の商品に組み込むことで、他社にないオンリーワン商品をつくるやり方。もう一つはカメラ付き携帯電話のような通信、映像、液晶、情報、半導体など、それぞれ異分野で開発された技術を一つに融合させ、新たな付加価値を創出するやり方だ。

技術は盗むもんだと思ってる。給料払ってるのはこっちなんだ。なんで、給料払う方が懇切丁寧に教えて差し上げなきゃならない?そんな間尺に合わないことはないじゃねえか。腕のいい職人の技術を盗んで一丁前になるには、なんていったってやる気だね。いまは俺が修業した時代とは違うし、褒めてやる気を出してくれるんなら、いくらだって俺は褒めるね。気前にゃ自信があるし、大盤振る舞いは得意なんだ。

技術力だけじゃ駄目なんだ。情報収集力がないと、仕事の選び方も間違えちまうし、細かい話、値段の付け方だって失敗しちゃう。それじゃ仕事がうまく回るはずがない。適正な値段をつけて、きっちり稼ぎ、利益を的確に先行投資していく。ホントに大事なのはそこだ。

職人の世界は特にやる気が重要だね。うちは仕事を教えるなんてことはしないんだ。俺が親父の下についた時も、親父が直接、技術を教えてくれるなんてことは、これっぱっかりもなかった。何やってんだコノヤロウ!ってゲンコツで殴られ、ダメ出しされながら、見よう見まねで覚え、自分で工夫しながら、技術を磨いてきたんだよ。

特許なんて個人で取ったって何の意味もないんだよ。大企業にしてやられるのがオチだね。特許を取った技術は、大企業にとっても垂涎もんだ。欲しければ、しかるべき手続きをして買い取ればいいわけだけど、大企業ってのはプライドだけは超一流だ。ちゃっかり特許技術を真似て商品を作っちまうんだ。特許を持ってる方は当然訴える。裁判にはなるよ。だけど決着するまでには何年もかかるし、終わるころには技術は古びちまってもはや用済みになってる。勝ったってわずかばかりの賠償金で終わりってことになる。

エンジニアの技術や能力といったものは、「業界で何が求められているのか?」「だから何をしていくのか?」という、そういったヴィジョンに基づいて活かされなければならないのです。

技術には歴史がある。しかし、技術者には過去はない。ただ創造あるのみ。
【覚書き:ファナックの研究開発の基本理念を語った言葉】

設備が同じでも、もっと効率的に作れないのか。それと、腕を磨くことには無限の可能性がある。
【覚書き:太平洋戦争終結10年後にドイツのフォルクスワーゲン社の工場を訪問した時、最新の設備に驚かされ、生産技術向上に力を入れることを決意したときの言葉】

普通の足袋にゴムを縫い付けた地下足袋はあった。しかし、地べたにはくのですぐに糸が擦り切れ、終始修繕しなくてはならない。自動車のタイヤは二枚の布を貼り合わせ、その上にゴムを張っている。そのゴムのりで張り付けるのが一番いいだろうと思った。
【覚書き:ゴム底地下足袋の開発時の発言】

産業に興味を持つ者にとって、役所における技術者の仕事にはおのずから限界があると感じた。
【覚書き|逓信省電気局から住友財閥に移籍した当時を振り返っての発言】

ひたいを集めて相談したのがウィスキーの製造だった。つまり松花江工業の計画でジェット燃料をつくるのに蒸溜の工程があったが、それから思いついたのが白酒を蒸留して、96から97度くらいの純粋アルコールにし、これをウィスキーに化けさせようとの算段である。

事業を伸ばすには消費者の趣向や流行に合わせた製品を安価な価格で出さなければならないと考えた。しかし、発明家は「俺の発明は」「俺の発明は」で押し通してくる。これだけの発明品が売れないのは、あなたのやり方が悪いといった調子だ。万一、発明家と一緒に事業をしなければならないような場合は、事業経営の面に一切口出させてはならないと悟った。

私はこれまでいろいろなモノをこしらえて商売にしてきたが、たいてい軍とか役所とか放送局のもので与えられた仕様書によってつくったモノばかりだった。それで何か大衆に直結した商品をかねがねやってみたいと思っていた。大衆は製品の厳しい審判官であり、正しい評価をするものだと信じていたので、大衆商品は一番やりがいがあるような気がしていた。
【覚書き|テープレコーダー開発に取り組んだ当時を振り返っての発言】

私は売れないものは発明したくない。需要は実用性を立証するものであり、実用性こそ成功である。

ライト兄弟は、不可能という名の煙幕をとびぬけたんだ。

999回失敗しても、1回うまくいけばいい。それが発明家だ。失敗は、うまくいくための練習だと考えている。

発明家は、学校で教わったことなど、あまり重視しない。

心を開いていれば、そこは常にフロンティアだ。

人間の巧妙さが、自然が創造するものよりも美しくシンプルな、あるいは正確な発明をすることは決してできない。なぜなら自然の女神の創造物には何一つ欠けるところがなく、何一つ過分なものがないからである。

レオナルドは物がどう動くかを記録するだけでは満足しなかった。なぜ動くのかということも発見したかったのだ。技術者を科学者に変えるのは、こういう好奇心だ。

ある種の機械の製作に関する疑問が最初にあった。次に、アルキメデスの影響ものもとに、動力学の第一の法則に疑問が出てきた。それから、風、雲、地球の年齢、世代、人間の心について、それまでに問われたことのなかった疑問が次々に出てきた。【覚書き:ダ・ヴィンチの手記を時系列で分析した結果についての発言】

アメリカあたりでは大学教授が企業に入っていくのは自由だが、日本では科学者が象牙の塔に籠っているから、相当立派な業績を上げても評価は学会の中だけで、社会一般に認知されることが少ない。

ウィスキーでもそうだが、良い酒をつくるためには、規模や設備では解決できないものがある。熟成をじっくり辛抱して待つ精神や気質がないと、決してよいものはできないというのが私の信念のひとつである。

金属の疲労破壊は表層から始まりますから、表層にナノレベルでコントロールされたレイヤー(層)を貼れば、ほとんど破壊は防げる。そのレイヤーはメッキ技術の応用でいけるわけです。理論的には鉄鋼材料でいえば、母材の百倍の強度アップが可能になりますから、理想郷度まであげられる。自動車や航空機の軽量化に繋がりますし、燃焼の配管強度がアップできれば、原子力の供給安定も可能にしてくれるんです。夢の素材と言っていいと思います。

いままではメッキを厚みとか析出する粒子単位でコントロールする技術がないし、またその発想すらなかった。言ってみれば、いわゆるメッキ屋さんはメッキ技術を使っているのではなくて、メッキ作業をしているだけなんです。メッキ液も、薬品メーカーさんが開発したものを買ってきて、機械も機械屋さんから買ってきて使っているだけ。どういうメカニズムで機械が成り立ち、どういうことが可能なのかほとんど理解されていない。熟練キャリアがあると言っても、ただ作業に熟練しているだけで、メッキの持つ技術的なポテンシャルを何も理解していない。

メッキというのは非常に面白いんです。みなさん、メッキと言うと、ローテクの代表みたいに思われて、単なる表面の修飾技術だと思っていますけど、そうではありません。メッキはボトムアップ型のナノテクノロジーそのものなんです。金属原子を一つ一つ積み上げていくということで、まさにオングストローム(1オングストローム=0.1ナノメートル)単位の作業ですから、ナノテクを超えたスーパーナノテクなんです。

技術を高めるということは、技術の本質を理解することなんです。とりわけ、不良品を減らそうと思ったら技術の本質を突き詰めなければいけない。良品率を高めるためには、プレスの条件を変えるのではなく、プレスとは何ぞやを追求することなんです。商品によっては歩留り100%を何か月も継続しているものがあります。そうした商品は、各プロセスの技術的な内容を物理現象にまでさかのぼってみているんです。

極論を言うと、私は技術の伝承は不可能なのではないかと思っています。技術とは自分で苦労して考えたり、困難を克服することで身につくものです。技術は自分で作るしかない。また、技術は刻々と変化します。技術は伝承するものではなく、変わっていくものなんです。

会社の社是に「独自の製品を供給して文化の発展に貢献」とあります。独自の製品を提供しようというのは、創業者以来の会社の理念であって、なぜ創業者がそれを言い出したかというと、祖父の時代には、村田製陶というのが陶器屋さんの下請けをやっていて、こういう蓋を作っていたわけですね。それで、家人の手伝いをしていた私の父は、もっと販路を広げたいと考えました。それを祖父に進言したところ、販路を広げるということは、自分の同業であるお客さんのところへ商品を持ち込んで価格競争をすることである。そうしたら相手に迷惑がかかるし、自分のところも安く売らねばならない。そんな人に迷惑がかかるようなことはしてはいけないと言われたというんです。それで困って思いついたのが違うものだったら競争にはならないのではないかということなんです。

私は熊本大学理学部卒業で、三洋電気入社後は一貫して技術畑を歩んできました。これからのビジネスにおいて、技術は重要なコアになることは間違いありません。しかし、私はもう技術は忘れたと言っています。ですから、私の名刺にはドクターの称号を入れてありません。必要ないと考えています。私がしゃしゃり出たら、開発している人が委縮してしまうじゃないですか。社長は技術を見守るだけの度量が必要ではないでしょうか。

開発者全員が共通の目的意識をもつことが最も重要なので、この点に注意して、話すことや行動に注意しています。原理原則は非常に単純なことですが、やはり実行するとなると大変だし、この辺でいいかと妥協しがちですが、徹底することが大切だと思います。

ホンダ技術研究所には「研究所は技術を開発する場所ではなく、人の思想の集まる場所である」というフィロソフィー(哲学)があります。まず「こうありたい」という人の思想があって、その次に来るのが技術。つまり技術はあくまでも手段なのです。技術が先行した、思想のない技術は危険です。ですから、志というものをすごく大切にしています。

誰にもできない技術とノウハウがあれば、自分を安く売ることもないじゃないか。たとえば衛星通信地上局システムに用いる導波管を手掛けたのは、30年以上も前で、導波管なんて一般に知られていなかったけれど、俺は誰にもできないことをやるのが好きなんだ。どこかでやっているものはやりたくない。

企業の技術力を高めるためには、質の高い人材を育成することが避けては通れない課題です。日本の大学は海外のものを日本に伝えることしかやってこなかった。だから、形式知しか伝わらず、自分で見つけるというサイエンスの心を育ててこなかった。日本の基礎化学が育たなかったのはそのためです。

一流大学を卒業した新入社員に、光電管に使うガラス管を洗う仕事をさせたことがあります。毎日ごしごしと洗う単純な仕事をさせて、一か月くらいたったころ会社の門の前で、この社員が私を待っていました。彼は「いったいいつまでガラス管を洗えばいいんでしょうか?」と不満をぶつけてきた。私は「それなら聞くが、いったい何のためにガラス管を洗っているかわかるか?」と言うと、「きれいにするためです」という答えが返ってきました。「ガラス管がすり減るまで洗うなよ。きれいになるということはどういうことかよく考えろよ」と言いました。それで気が付いたようで、彼はガラス管の表面はどうなっているのかについて強い関心を持ち、きれいになるとはどういうことかを研究するようになったのです。

浜松ホトニクスは創業以来、光と物質の相互作用に関する研究を続けています。未知未踏は大学院を出て高等教育を受けたらわかると思ったら大間違いです。たとえば、光がどうして電子をはじき出すのか。それは光が当たり、電子が飛び出るからだ。では、光のどの部分が電子のどの部分にあたるのか?突き詰めていくと、いくら学校で勉強したからと言っても我々は「光とはなんであるのか」「電子とはなんであるのか」ということがわかっていない。

「匠」という言葉が使われますが、私たちは自分たちを「企み屋」と呼んでいるんです。図面と向き合い、どうやって作ろうかと企むことから仕事が始まるからです。

ファナックは全社員の約三分の一の社員が研究員として商品開発に携わっています。研究開発で大切なのは、目標を決めることです。仮に目標なしに興味本位で研究を進めたら、成果はまとまりません。全研究員が共通の目標を認識し、タイムリミットを決めて開発を実行していくことです。

こんなものがやってみたいとチャレンジする。もちろん、最初はうまくいきませんから、誰にも見向きもされない。それでも懲りずに追求が続く。ある日、面白いじゃないかと誰かの目に留まりそこから勢いがついてくる。大切なのは、そこまで我慢できるかどうか。我慢を支えるのは技術者の夢です。夢を持っている技術者は我慢ができる。情熱や信念も大切ですね。技術者が夢をもつことができる会社は活性化し、どんどん新しい可能性が広がっています。

狩猟民族はみんなと違うことをしないと獲物はとれない。みんなが獲物をとったところに後からノコノコ出て行っても、もう獲物はいないんだから。俺は人と違うことをする。だいいち人と同じことをしたってつまらない。浮いた存在になるくらいじゃないと何もできないよ。みんなと同じことを言っていてもダメだ。浮いているからこそ何でもできるんだ。浮いているというのはある種の感性を持っているということだからね。

作りたい車を作るというとプロダクトアウトの発想、作り手の理論の押し付けになる危険性があります。俺たちはすごい車を作ったぞで終わってしまうかもしれない。デベロッパー(開発者)側の発想も必要ですが、自分が作りたいというよりも、むしろ自分が持ちたいとか、買いたいといったお客さんと同じ視点に立つことが大切だと思います。そのバランスが問題なんです。

ペンシルロケットを開発した糸川英夫先生に「創造性を高める方法は、関心のある分野の知識や経験をできるだけ持つことだ」と教えられたことがあります。異分野の組み合わせから新しい発想が生まれるという考え方です。違った分野の組み合わせがA・Bの二種類だけではいけない。A・B・Cと三つ持っていれば、もっとたくさんの組み合わせができるわけです。五つ持てばほとんど無限大になります。【覚書き:ペンシルロケットとは東京大学生産技術研究所が開発した小型ロケット。大型ロケットが作れないなら小型ロケットで基礎実験をすればいいと逆転の発想で糸川博士が発案。様々な実験が行われ、収集されたデータは以後の日本宇宙技術に活用された】

科学技術において、失敗は必ずあるもの。それを乗り越えてこそ、本当の技術だというのが私の技術者としての持論です。飛行機にしても、鉄道にしても、失敗の経験を生かし、技術を高めてきたからこそ今日の発展があります。

技術と言うものはまことに人間くさいもので、技術者に孤立は許されない。人とのつながり、あるいは人の集団、技術者の集団をうまく形成していくことが、技術者の要件なのである。

私のような若造が研究してもうまくいくだろうかと思ったが、これこそ自分の長い間探し求めていたテーマであると確信を持ち、テレビジョンの研究を決意した。 【覚書き|20代中盤にテレビの開発に本気で取り組む決意をした時を振り返っての発言。その後、世界初のテレビ受像実験に成功。ブラウン管に「イ」の字を写しだす。イはいろはのい】

発明家の多くが貧乏なのは、世の中のニーズというものを考えてないからです。どんなに画期的な良いものでも、人が求めていないものは商品としての価値がないのです。会社の経営も発明も、その点では全く同じで、ニーズに敏感でないとやってはいけない。

われわれはホフ氏の発明を画期的な内容だと評価していたが、電卓専門の半導体だと考えていた。パソコンなど思いもよらなかった。(覚書き|ホフ氏=マーシャン・テッド・ホフ、インテルの技術者。インテルにマイクロプロセッサの着想をもたらした人物)

部品あたりのコストが最小になるような複雑さは、毎年およそ2倍の割合で増大してきた。短期的には、この増加率が上昇しないまでも、現状を維持することは確実である。より長期的には、増加率はやや不確実であるとはいえ、少なくとも今後10年間ほぼ一定の率を保てないと信ずべき理由は無い。すなわち、1975年までには、最小コストで得られる集積回路の部品数は65,000に達するであろう。私は、それほどにも大規模な回路が1個のウェハー上に構築できるようになると信じている。

我々は、絶えず線幅を細くし、プロセスを複雑化し、ウェハの集積度を高めている。つまり、1つのチップに詰め込む機能を増やし続けている。

朝7時に起き、夜11時に就寝すれば、たっぷり16時間ある。大抵の人は一日中なにか仕事をしている。ただ一つ違うのは、彼らの仕事は非常に多岐にわたり、私はたった一つの仕事に全てのエネルギーを集中する点だ。眠ることは時間の浪費に過ぎない。

チャンスがドアをノックしてもほとんどの人が気づかないのは、チャンスがたいてい作業服を着ていて、骨の折れる仕事のように見えるからだ。落ち着きのなさや欲求不満は、進歩にとって最初の必要不可欠なものである。

なぜ成功しない人がいるかと言うと、それは考える努力をしないからだ。ほとんどすべての人間は『もうこれ以上アイデアを 考えるのは不可能だ』という所までいきつき、そこでやる気をなくしてしまう。いよいよこれからだというのに。不満は進歩するために一番初めに必要なもの。

「時計を見るな」これが私の、若い人々におくりたい、ただ一つの言葉である。時計は必需品ではあるが、仕事をしている最中、研究をしている最中に時計を見るようでは、良い仕事は出来ない。

発明や発見には立派な設備や資金はいらない。新しいものを創造する力がなければ企業は存続できません。自分の周囲にいつも好奇の目を向けろ。消費者のニーズや時代を読むヒントは日常生活のいたるところに転がっている。明日になれば今日の非常識は常識になっている。子供のようにいつも「なぜ?」と疑問を発しなさい。

発明はひらめきから。ひらめきは執念から。執念なきものに発明はない。ひとつこころみては捨てていく。考えて、考えて、考え抜け。私が考え抜いた時には血尿が出る。私は眠るときもメモと鉛筆を枕元に用意する。あなたも四六時中考える習慣をつけなさい。

知的財産で事業を固めていても、新しい市場には必ず新規参入者が出てくる。異議申し立ての多いほど、その特許には実力がある。異議を退けて成立した特許はもっと強力である。発明したと思っていても世界では同じことを考えている人が3人いる。

事業を始めるときは成功を語るな。失敗から考えろ。大きな目標があれば、戦略はおのずと生じてくる。細心大胆であれ。いつも心の窓を開けておけ。するとほかの人には見えないものまで見えてくる。開発リーダーに必要なのは安易に妥協しない頑固さである。

私が他のエンジニアと違うところは、失敗を実験過程の一部として受け入れる心構えだ。他のエンジニアたちが3度で断念する試行を、私は上手くいくまで100回でも繰り返す。

即席めん開発に成功したとき、私は48歳になっていた。遅い出発ともいわれるが、人生に遅すぎるということはない。50歳でも、60歳でも新しい出発はある。

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