哲学者の名言格言一覧

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成功のはしごに足をかける前に、それが目当てのビルに立てかけてあるかどうか確かめろ。

自分の持っているものを、十分に自分にふさわしい富と考えない人は、世界の主となったとしても不幸だ。

存在するものは、変化のためにのみ存在することを忘れるな。宇宙の大自然にとりて、旧秩序や姿を変えて旧秩序に似せて新しいものを作るほど楽しいものはない。

幸運がもたらす富や順境は素直に受け入れよ。ただし、それを手放すときは渋るべからず。

巣箱の利益にならざることは、ミツバチの利益にもなり得ず。
【覚書き:社会・国家と個人との関係について語った言葉。巣は社会や国を、ミツバチは国民をあらわしている】

苦しみは、苦しむ者がその限界を知り、その恐怖に想像を加えさせざれば、耐えられぬこともなく、かつ永続するものにあらず。

哲学とは、ある種の人々が大衆を馬鹿にするために装う古い流行である。

快楽に抵抗する人は賢者。快楽の奴隷になるのは愚者。

氷上を滑るには、スピードを出した方が安全だ。

とっくみあいの喧嘩をしても負けないのが禅だ。地獄へ行っても、鬼どもを投げ飛ばして、家来にしてこき使うのが禅である。神も仏もあるものか。勝手気ままにやりたい放題のことをして、戦って戦い抜いて悔いのない一生を過ごすんだという意気に燃えるのが禅である。

苦悩を乗り越えるための聖なる道は8つの部分からできている。すなわち、正しいものの見方、正しい決意、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい思念、正しい瞑想である。

失うことを恐れるあまり必要なものを手に入れることも断念するという人は、理屈にも合わないし、卑怯である。

運は我々から富を奪うことはできても、勇気を奪うことはできない。

重要なことは何を耐え忍んだかということではなく、いかに耐え忍んだかということだ。

これまでに激しい苦悩も味わわず。自我の大きな劣敗を経験しなかった、いわゆる打ち砕かれたことのない人間は何の役にも立たない。

私は長い間、君たちに法律に従うように説いてきた。その私が、どうしてここから脱出できよう。死ぬことと、自分の信念とどちらが大切だろうか。【覚書き:ソクラテスが裁判で死刑判決を受けた時に、弟子たちから牢屋から脱出して外国に逃げたらどうかと言われた時の返答】

思案なんぞいっさいやめにして、一緒に世間へまっしぐらに飛び出しましょう。あえて言いますが、瞑想なんかする奴は、悪魔に取りつかれ枯れた草原の上をグルグルひきまわされる動物みたいなものです。そのまわりには美しい緑の牧場があるのに。

悲しむことはない。いまの状態で何ができるかを考えて、ベストを尽くすことだ。

失敗する方法ならいくらでもある。しかし。、成功する道はたった一つしかない。

我々の周りにある偉大なことの中でも、無の存在が最も素晴らしい。その基本は時間的には過去と未来の間にあり、現在の何ものをも所有しないというところにある。この無は、全体に等しい部分、部分に等しい全体を持つ。分割できないものと割り切ることができるし、割っても掛けても、足しても引いても、同じ量になるのだ。

●経験は決して間違えない。間違えるのは人間の判断だ。自分で実験してもいない結果を予測して、判断を間違えるのだ。
●人が一番惑わされやすいのは、自分自身の考えによってだ。
●我々の知識はすべて、我々の知覚に基づいている。
●理解するための最良の手段は、自然の無限の作品をたっぷり鑑賞することだ。
●音楽は絵の妹と呼べるだろう。なぜならそれは聴覚に頼るからで、聴覚は第二番目の感覚だから。絵は何よりも優れていて、音楽より高く位置づけられている。というのも、絵は生まれるやいなや消えてしまうというようなことがないからだ。

●そんな小さな空間に、全宇宙の姿を抱えることができるなど誰が信じるだろう。
●五感は魂に仕える従僕だ。
●想像は感覚に作用する。だから、思考と想像力は感覚にとって舵と手綱の働きをする。
●よい香りを作るには、新鮮なローズ・ウォーターで手を湿らせる。それからラベンダーの花を手に取り、両手でこすり合わせるとよい。【覚書き:香水の作り方についての発言】

大気のこの青い色は、本当の色ではないはずだ。暖かく湿った空気が蒸発して目に見えない細かい粒子になり、それがふたのように覆っている宇宙の黒い闇の下で太陽の光に照らされて、このような色に輝くのだ。【覚書き:なぜ空が青いのかということについてのダ・ヴィンチの仮説】

●すべては、すべてから来る。すべては、すべてから創られ、すべては、すべてに戻っていく。すべては、すべてに包み込まれる。
●どんな部分も、全体に組み込まれるようにできている。だから、それ自体の未完成から逃れられる。
●芸術の科学と、科学の芸術を研究せよ。
●あらゆるものは、他のあらゆるものと関連する。

正しく進もうとする者は、若い時に美しい形を訪れることから始めなくてはならない。そこから、彼は素晴らしい思想を作り出す。そしてまもなく彼は自分で一つの美しい形を感知し、それはまた別の美に似ていることだろう。すべての形における美は、ひとつであり、同じである。

いったん悟りを開いたからといって、あとは楽しいことばかり、というような世界はありえない。幸せなこともあれば、不幸にも直面する。不幸に直面したときは、それをいい試練だと思えばいい。

私たちは、ただ自由に、しかも自分を偽らずに生きていくほかないのです。生きるということは同時に成長すること。あるいは成熟するということなのです。それがある段階に達したとき、ある瞬間に、この人格とか、人間の尊厳とか言う言葉の意味が見えてくる。

私たちがもっと素直になれば、私たちが毎日こうやって生きているということが、やはり他人の心遣いを受けて生きているのだということが、しみじみ感じられるはずなのである。わたしたちがあまりにも傲慢であり、意固地であるために、自分が何かを借りていると思うよりは、自分が何かを貸していると思いたがるのである。

不幸にして私は、自分の顔を見たことがない。私はそれを気安げに、私の前にぶら下げているのである。私が私の顔を知るのは、むしろ反対に他人の顔によってである。

共通感覚を奪われた人間とは、所詮、推理することの出来る、結果を計算することの出来る動物以上のものではない。

人間が人間として生存しうるのは、言葉によるものであって、沈黙によるのではないのである。しかし言葉は、沈黙との連関を失えば萎縮してしまう。沈黙とは単に「語らざること」ではない。沈黙はひとつの積極的なもの、ひとつの充実した世界として独立自存しているものなのである。

アリストテレスも自然を相手取って、賢者には決してふさわしくない告訴を行っている。「寿命という点では、自然は動物たちに人間の五倍も十倍も長い一生を引き出せるように許しておきながら、数多くの偉大な仕事のために生まれた人間には、はるかに短い期間しか存続しない」

カゲロウは朝に生まれて夕に死すというといえども、人間の寿命に比べてさしたる相違にあらず。蚤と蟻と背比べしても、大衆の目より見れば大小なく、一秒時の遅速を争うも百年の勘定の上には論ずるに足らず。されば宇宙無辺の考えをもってひとり自ら観ずれば、日月も小なり、地球も微なり。まして人間ごとき無知無力、見る影もなきうじ虫同様の小動物にして、石火電光の瞬間、偶然この世に呼吸眠食し、喜怒哀楽の一夢中、たちまち消えて痕なきのみ。

大部分の人間たちは死すべき身でありながら、パウリヌス君よ、自然の意地悪さを嘆いている。その理由は、我々が短い一生に生まれついているうえ、我々に与えられたこの短い期間でさえも速やかに急いで走り去ってしまうから。

ごくわずかな人を除いて他の人々は、人生の用意がなされた途端に人生に見放されてしまうというのである。このような彼らのいわゆる万人に共通な災いに嘆息するのは、単に一般の大衆や無知の群集だけのことではない。著名な人々にさえも、このような気持ちが嘆きを呼び起こしている。それゆえにこそ、医家のなかでももっとも偉大な人物の発言がある。いわく「生は短く術は長し」と。

玉は琢磨によりて器となる。人は練磨によって仁となる。いずくの玉かはじめより光ある。誰人か初心より利なる。必ず磨くべし、すべからく練るべし。自ら卑下して学道をゆるくすることなかれ。

単純に、単純に、単純に。諸君の問題を百とか千とかではなく、二つか三つにしておきなさい。百万のかわりに半ダースを数え、あなたの親指のつめに勘定書きをつけておきなさい。

つま先で立つ者は長く立っていられない。
大またでまたぐように歩く者は遠くまでいけない。
自分から見せびらかそうとする者は人々に知られない。
自分は正しいのだと主張する者もその良さをまわりに認められない。
自ら自慢する者は業績を認められない。
自ら才能を誇る者は、人の長になれない。
このような行いはみんなが嫌う。
よくわきまえた者は決してそういった行動はしない。

黄金や宝玉を蔵にあふれるほど詰め込んだら、どうやってそれを守りぬくことができるだろう。金持ちだからといって奢り高ぶれば、他人からとがめられる。成功し有名になった後、その地位から身を引くということは天の道にかなった行為だ。

器いっぱいに盛ってこぼすまいと心配しながら持っているくらいなら、程よいところで盛るのをやめた方が良い。刃物もあまり鋭利にすれば刃こぼれしたりして長く使うことはできない。

君たちの恋人が、遠くへ去ったために、不実のために、あるいは死んだために失われたとして、もし君たちがその人のために悲しんでいるだけなら、君たちに進歩はありません。たとえ君たちが、そのためにどんなに技巧と才能を傾けても、そんなものには少しも価値はありません。前進する生命を頼みにし、おりあるごとに自分を吟味することを忘れぬようにしたまえ。

若い友人たちにいくらすすめても足りないと思うのは、自己省察を学ぶことです。詩の言葉をあやつることがいくらか容易になっても、それに伴って、内容にますます重さを加えるべきことを忘れてはならないからです。詩の内容は、自分の生命の内容に他ならないのです。

人のとる行動は、その人の考え方を最も的確に表明するものである。

私は敵を倒した者より、自分の欲望を克服した者を勇者と見る。自分に勝つことこそ、もっとも難しいことだからだ。

すべての進歩は「収入以上の生活がしたい」というあらゆる有機的組織体に共通する本能に基づくものだ。

恋愛は人情の永久的な音楽であり、青年には輝きを、老人には後光を与える。

観察力の優劣は人間に大きな差をつける。ロシアのことわざにあるように、注意力の散漫な人間は「森を歩いても薪を見つけられない」のである。

怠惰な人間、目的もなくぶらぶらしている人間には、どんな幸運も意味を持たない。幸福でさえ習慣として身につけられる。世の中には、ものごとの明るい面を見ようとする性格の人もいれば、暗い面ばかりに目を向ける人もいる。

無知を恐れるな。偽りの知識こそ恐れよ。

常に時間はたっぷりある。うまく使いさえすれば。

自分のしたいことをできたとき、そこに自由がある。この世の中で成功するには、力づくでも、死ぬまで剣を腕より離さないことだ。思考はひげのようなものである。成長するまでは生えない。

人間の邪悪な心を変えるより、プルトニウムの性質を変えるほうがやさしい。

今日、私は自分の問題から抜け出した。いやむしろ、問題を自分の元から放り出したのだ。問題は私の外にあったのではない。私の中に、言ってみれば私の主観を原因とするものだったからだ。(マルクス・アウレリウス、パクスロマーナ期のローマ皇帝、ストア派の代表的哲学者、哲人皇帝、ローマ5賢帝のひとり)

幸福は人生の意味および目標、人間存在の究極の目的であり狙いである。

一冊の書で人生が変わった人がどれだけいることだろう。もしかすると書物は私たちに起きた奇跡を解き明かし、新たな奇跡を示すためにあるのかもしれない。いま言葉で表せないことが、どこかに書かれているのが見つかるかもしれない。

卒(そつ)強く、吏(り)弱きを弛(し)という。(上に立つものが弱いと組織がゆるむ)

最も有効な解決策とは、最もシンプルな解決策である。

人間は自らの努力によっていわば虚無から抜け出し、その理性の光によって自然が人間を包んでいた暗黒を消失させ、自己を越えて向上し、精神によって天上界まで飛翔し、太陽のごとき巨人の歩みによって宇宙の広大な領域を駆け回り、一層偉大かつ困難な自己の内部へ立ち戻り、人間を学び、その本性、義務、目的を知ろうとしている。このことはまさしく偉大にして高貴な光景である。

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