心理学者・医者・カウンセラーの名言格言一覧

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心理学における法則を一つ挙げる。自分がこうしたいと思う映像を頭に思い浮かべ、その映像をずっと抱き続けていると、じきに考えていた通りのことが起きるものなのだ。

自分でやるのだ。恥ずかしい思いを何度でも体験し、その口惜しさを忘れるな。狂ったように精魂込めて一つのことに打ち込め。命を懸けるのだ。

命を賭けて一つの目標をやり遂げれば、それは死線を一回越えたことになる。死ぬくらいの苦しい思いをして、はじめて道は開かれる。

誰よりも3倍、4倍、5倍勉強する者、それが天才だ。

絶望のどん底にいると想像し、泣き言を言って絶望しているのは、自分の成功を妨げ、そのうえ心の平安を乱すばかりだ。

自分自身を重んじない限り、自分の時間を重んじることはないだろう。自分の時間を重んじない限り、それをもって何もすることはないだろう。

偉大なるレオナルドは生涯を通じて、実のところ子供のままでいたようだ。大人になっても遊ぶことをやめなかった。それで同時代の人たちからは、彼は不思議な、理解しがたい人間に思われたのだ。

知能は頭脳だけでなく、体内にくまなく配置された細胞の中に存在している。感情などの心理的プロセスを身体から区別する従来の考えは、いまでは無意味だ。

仕事の面でも、人間関係の面でも、育児や介護の面でも、老後のことでもいろいろな悩みが出てくる。しかし、悩みにとらわれすぎてしまって、悩みから抜け出せないでいると、時間もエネルギーもどんどん減ってしまう。一番まずいのは悩みによって堂々巡りの状態になることだから、まずは問題を整理してみる必要がある。

我々は泣くから悲しい、殴るから怒る、震えるから恐ろしいということであって、悲しいから泣き、怒るから殴り、恐ろしいから震えるのではない。

二人の人間の対話では、言葉によって伝えられるメッセージは全体の35%にすぎず、残りの65%は話し振り、動作、ジェスチャー、相手との間の取り方など言葉以外の手段によって伝えられる。

もし若き日に一生を貫くほどの友や師との心の交わりが与えられていたら、それは人生最大の幸福の一つに違いない。青年にとって知識以上に大切な心の糧は、こうした「われとなんじ」の体験であると思う。現代の社会や学校は、こうした人間的な出会いの機会をどのくらい提供しているのであろうか。

人間の眼は決して、性能の不安定なカメラではない。決して認識や思考の道具ではない。見るとは、決して対象を分析し、切り取ることではない。何よりもまず感じることなのだ。見るとは眼で感じることなのだ。認識や思考は、そこから始まるのだ。

行動する人と、行動をじっと夢見ている人との違いは、チャンスが巡ってきたかどうかの違いではない。それは心の姿勢の違いである。行動者は、何者にもひるまない決意に燃えている。何事にも動じない信念に奮い立っている。

我々は、自分の容姿や身ごなしや、目的や行為や、性格や友達その他についてのなんらかの考えを、他人の心の中に想像し、その考えのいかんによってさまざまな影響を受ける。

もし私が、一人の人間としてのあなたについて、もっとたくさんのことを学びたいと思うならば、あなたを一つの単位、ひとりの人間として、全体としてアプローチしなければならない。他の人を理解しようとするには、われわれの口を閉じ、眼と耳を大きく開けることだ。

私は毎日彼に会いに行き、ドアの外から、あなたに、あなただけに会いに病棟にきたこと、あなたがわれわれに有効な治療的交流を試してみる機会を与えてくれるようになるまで、私は待っていることを話した。三ヵ月後に彼は私を招き入れた。

良心的エゴイズムとは、いうなれば「”他者に関心を向けようとしている自分”だけにしか意識や関心を向けていない」ありようだといえよう。そうした良心的エゴイストにとって他者との人間関係とは、自分はこうあるべきだという信念や態度の確かさを確かめ、自己評価するための大事な手段としてだけ大切なのである。

真に理解するということは、こちらの命をかけて向き合わぬと出来ない。自分の根っこをぐらつかせずに、他人を理解しようとするのは甘すぎる。

人生におけるもっとも大きな仕事は、人が自分自身に誕生を与えることであり、自分の内にある可能性を実現させることである。人間が努力して作り上げる最も重要な労作は、自分自身のパーソナリティーの形成である。

言葉を超えた沈黙のうちに、死に行く患者と一緒に座る力と愛とを持った人たちは、この瞬間が恐ろしくも痛ましくもなく、肉体の機能が平和のうちに終わる瞬間であることを知るであろう。人間の平和な死を見るとき、我々は消え行く星星を想う。広大な空にまかれた何百万もの小さな光の一つが、一瞬きらめいて永遠の無限の中へ消え去っていく。

死を覚悟した瞬間から、私は死ぬまでの時間が非常に大切に思えてきたのである。したがって、死ぬまでの時間内に自分が出来ることを、極力やっておこうと考えた。また、自分の意識が清明である間は、人間としての自由をできる限り遂行しようと考えた。
【覚書き|上記は死ぬ一年ほど前の言葉。このときすでに失明し、手も動かなくなっていた。その状態で三冊の本を口述筆記で書き上げ、大学で教鞭をとった】

母親から孤立状態で育ったサルは、常におびえ、自分の体を抱いたり、噛んだり、隅にうずくまったりして、他のサルと交渉はなかった。この状態で育ったメスが出産したとき、赤ん坊を踏みつけたり、床に押し付けたり、中には頭をポテトチップスのように噛み砕いてしまったものもいる。

リーダーシップがあり、人の上に立つ人、つまり経営者などは、相手に対する距離のとり方が普通の人より大きい。

日本人は一方を極端に愛し、他方を極端に憎むということはあまりしない。その代わり、同一人に対し、陰では悪口をいいながら表向きはお世辞を言うことが社会的に許容され、私には親愛の情を寄せながら公ではつれなく当たることが当然のように受け取られ、アンビバレンス(二律背反)をさばいているように観察される。

教えるとは学ぶ人の世界を豊かにし、それによってその人の自我を豊かにすること。それとともに教える人自信も、その世界と自我を豊かにし、それによって教える人と学ぶ人がともに育つことである。

自尊心とは、人間がまとう最も尊い衣装であり、何ものにもまして精神を奮い立たせる

強く期待する気持ちがあれば、それだけで可能性は現実に転化する。強い願望はわれわれが何かを成し遂げるための先触れとなる。

ごく小さな穴から日光を見ることができるように、小さな事柄が人の性格を浮き彫りにする。

家庭は一番最初のしかも一番重要な品性の学校である。

楽観性を育て上げる教育は、知識や素養をめいっぱい詰め込むよりはるかに重要な教育といえる。

世の中に悪が栄えるのは、われわれがノーという勇気をもたないためである。

どんな分野であれ、成功に必要なのは秀でた才能ではなく決意だ。

よく課長や部長に昇進し、上からの期待下からの不満の板挟みになってノイローゼなんて新聞ネタになります。でも昇進してノイローゼになる人より、昇進できないためになる人の方が圧倒的に多いんですよ。昇進した人の健康度は心身ともに高い。

前向きな心を手に入れるためには、まずいまに目を向けることが必要だ。ところで、いまに目を向けるとはどういうことなのだろう?だれでも何かに没頭して時を過ごした経験があるだろう。災害にあったとき、沈む夕日の美しさに息をのんだ一瞬、恋をしている時、シャワーを浴びている時、音楽に聞き入っている時、相手の話に巻き込まれている時。こんなとき、私たちは何を悩んでいたのかも忘れてしまう。

私たちが体験することは、すべて私たちの思考が生みだしたものなのである。イライラしたり、くじけてしまったりするのも、みんな自分の思考、考え方のせいなのだ。私たちは前向きに考えられないのは周囲が悪いのだと考えてしまう。そして環境を変えようとするのである。あなたがそれにどう対処するかは、いつでもあなたがどう考えるかによるのである。

自尊心・無条件の愛情・知恵・ユーモア・他人への思いやり・創造性・喜び・知的な思考力。こうしたものに代表される心の健康はすべての人々に生まれつき備わった能力で、人生を前向きにするための道具である。心の健康を呼び覚ますことによって豊かな人生を送ることができる。

ゆっくり生きることが大切な6つの理由。(1)ストレスが少なくなる(2)肉体的に健康になる(3)その場にふさわしい、親密で愛情あふれる人間関係を築くことができる(4)感動する心が生まれ、身の回りの自然の美しさを楽しめるようになる(5)心の平静と落ち着きが得られる(6)生産性や創造性が著しく高まり、集中力も飛躍的に増す。

望むものを手に入れても幸福にはなれないと知ること。誰でも自分には手に入れられないものを欲しがるものだ。望むものを手に入れさえすればすべてがうまくいくと信じている人は多い。けれども、もしそれが本当なら私たちはすでに幸福感に酔いしれているはずだ。多くの望みがかなってもなお、私たちは何かを求めてあがいている。大切なことは、望むものを手に入れることは素晴らしいことだが、それで幸福になれるとは限らないと認めることである。

心の健康を保つことによって、自尊心、つまり自分の常識を信じる心と自信が生まれる。人生をバランスのとれた見方で眺められるようになる。そしてまた、生真面目にならず、ときには自分を笑い飛ばせる強さを身につけることができる。心の健康はすべては上手くいくと信じられる楽天性を私たちに与えてくれる。

誰でも前向きな心を持つことができる。否定的な考えに陥っていることに気づいた時には、眠っている心の健康を呼び覚ませばよいのである。そうすれば、自分の思考法に気づくことができる。

「自分の思考法に気づく能力」が高まると、人生を直感的にとらえることができるようになり、考え方や感じ方、物事の受け止め方も自然と変化する。自分の考え方に気づくことさえできれば、すべてうまくいくのである。

私たちは、自分の思考法に気づくことによって、思考をコントロールできるようになる。たとえば渋滞に巻き込まれたとき、わざわざイライラするようなことばかり考えている自分に気づくことができれば、別の考え方をすることによって穏やかな気分になれる。一つの考え方に囚われている限り、人生は変わらない。思考法を変えなければいけない

自分にはどうしていいのかわからないと認めること。余計なことを考えず、どうしていいのかわからないと認めることで、私たちはしばしば予想もしなかったようなその場にふさわしい優れた答えを導き出せる。

同じ出来事にたいして他人が違う行動をとり、違う反応をするのが当たり前だと考えるようになると、自分自身や他人に対して思いもよらないほど共感できるようになる。そうすれば他人にたいする愛情と自分という唯一無二の人間を認める気持ちはいまよりずっと深まるだろう

穏やかでリラックスしている人たちを観察すると、気分がいいときは感謝の気持ちで満たされているのがわかる。彼らは前向きな気分も否定的な気分も一過性だと良くわかっていて、落ち込みもやがては消えると知っている。幸せな人たちは、ときには落ち込むこともあるさと割り切ることができる。落ち込みに抵抗したり、パニックになったりせず、その感情を優雅に受け入れる

人のあらばかり探すようでは穏やかな人生は望めない。冬に備えて家のひび割れや雨漏りする箇所を探すのは良いが、同じように厳しい目で人のアラや自分自身の人生のアラを探す人がいる。家のあらさがしは修繕するところを慎重に見定める作業だが、これを人に応用すると孤立するだけでなく、自分も嫌な気分になる。

人を批判するとき、その相手について何かを言っているわけではない。その人を批判したいという自分の気持ちを伝えているだけだ。それどころではない。批判したところで問題はひとつも解決されないばかりか、世の中に怒りと不信を撒き散らす。いいことはひとつもない。

私たちは人と話しながら頭では他のことを考えていたり、三つ四つのことを同時にやろうとする。一度に多くのことをやろうとすると、目の前のことに意識が集中しなくなる。そうなると、いましていることに楽しみが見出せないばかりか気が散って能率が上がらない。私は目の前のことに集中する癖をつけて以来、書いたり読んだり家の掃除や電話で話したりするといった生活のすべての技術が向上した。一度に一つのことしかしないと決めるだけでいい

自分がやるべきすべてのことをチェックし続けていると、なかなか充足した人間にはなれない。誰が何をやるのか、どっちが多くやるのか、そんなことばかり考えていると憂鬱になるだけだ。じつは、これこそが小さなことなのだ。ごみを出すのは誰の番かとあれこれ考えるより、自分でさっさと出して家族の責任を一つでも減らしてやった方がもっと人生は楽しくなる。

世の中で最高に幸せな人にも不幸せな時がある。事実最高に幸せな人もみんなそれぞれに憂鬱や悩みや失敗を抱えている。幸せな人と不幸せな人の違いは、落ち込む回数や落ち込み度の深さではなく、その気分にどう対処するかで決まることが多い。

怒りを感じたら、まず深呼吸しながら心の中でひとつと言う。次に息を吐きながら全身をリラックス。ふたつ、みっつと続けてすくなくとも十まで繰り返す(ものすごく腹が立っている時は25まで)。深呼吸しながら数えると気持ちが穏やかになって、しまいには怒っていることも忘れるほどだ。これが身につくと、怒りの方から遠ざかってくれる

リラックスするとはどういうことか?この言葉を何千回も耳にしながら、その意味が本当に分かっている人はほとんどいない。私たちのほとんどは「やるべきこと」がなくなってからリラックスしようと考えている。人生の書類入れが空になることは絶対ないのに。

作家でも何でも何かになるための最初のステップは、最大の批評家であるあなた自身を黙らせることだ。自分自身の限界を口にするのはたんなる癖で、もっと肯定的な考え方に変えられると知る必要がある

あと一時間しか生きられず、たった一人にしか電話ができないとしたら、誰に電話をかけて、何を言いますか?そしてあなたはなぜいま、それをしないのですか?

すべてを完璧に成し遂げるのではなく、ストレスの少ない生き方をするのが目標だとしたら、ほとんどの戦いは穏やかな気分を吹き飛ばすものでしかないと気づくだろう。もっと平和な人生を送るには、戦いがいのある対象をきちんと見極めるしかない。小さなことにくよくよしたくなければ戦いを賢く選ぶのが先決だ。戦う必要をまるで感じなくなる日がきっとやってくる。

この世の全員に認められるのは不可能だという事実を受け入れる早ければ早いほど生きやすくなる。否定されることもあるという事実と戦わずにそれを受け入れれば、人生の旅に役立つ視点を身につけることができる。否定されたときは落ち込まずに「そんなこともあるさ」と思うようにする。そうすれば人に認められた時は快い驚きを覚えてそれに感謝するようになる。

人は自分が気分に支配されていることに気づかない。だから突然人生がしんどくなったりするのだ。気分が落ち込むと、生きるのがしんどいと感じる。客観性がほとんど消えてしまう。なんでも個人的に受けとめ、周りの人たちの言動に悪意を感じたりする。だが、人生は落ち込んだ時に感じるほどひどくはない。

人生は思い通りにいかないもの、他人はあなたの都合通りに動いてはくれないもの、これが真実だ。あなたに反論する人、あなたと違うやり方をする人、いくらやってもうまくいかないことは人生につきものだ。この基本線に刃向かおうとすると、人生の大半を戦ってすごすことになる。

いい聞き手になると忍耐強い人になれるだけではなく、人間関係の質も向上させられる。みんな自分の話を聞いてくれる人と話したがるものだ。いい聞き手とは、相手の話を途中で遮る癖を持たないだけではない。自分の番が来るのをイライラと待つのではなく、相手が言いたいことをすっかり話し終えるまで満足して聞き手にまわるということだ。

自分と相手の間に豊かで内容のあるコミュニケーションを成立させたいのであれば、まず相手のことを理解するにかぎる。どこから来た人か、なにを言いたいのか、彼らがなにを重視しているのかを先にこっちが理解すれば、ほとんど努力せずに自然に相手から理解されるようになる。

一人きりの時間を持つと、その日の騒音や混乱が和らいでいく。一人きりの時間を持つと、本当に心がほっとして穏やかになる。ほんの十分の瞑想でもいい、毎日一人きりの静かな時間を持とう。

一般のストレス管理セミナーで第一に教えるのはストレスの耐性を上げる方法だ。だからストレスコンサルタントでさえストレスまみれになっているらしい!まず最初にすることは手遅れになる前に早めに自分のストレスに気づくこと。ストレスがたまっていることができれば、まだコントロールできる。

たまにはぼうっとしたらどうか、という提案を皆さんはたぶん聞いたことがないだろう。退屈することを自分に許すと、毎日絶えず何かをしなくてはいけないという大きなプレッシャーが取り除かれる。

私たちの不安や悩みの多くは「次は何だ?」おたえずめまぐるしく考え続けることからきている。たとえ一分でもぼんやりするなんてとんでもないと感じているかのように。体と同じように頭もたまには休めなくてはいけない。頭をからっぽにしてやれば、前よりもっと強くシャープにクリエイティブになって復活する。

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